新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月28日 その2 順当に負けた日本代表のサッカー

2018-03-28 14:29:18 | コラム

弱将が率いる日本代表には期待していなかった:

27日は熱心に最後までと言うか11時まで、この対ウクライナの負け試合を見ていた。FIFAのランキングなど当てにはならないと思っているが、ウクライナは35位なのに対して我が方は55番目。結果もその差の通りで順当な敗戦となってしまった。結論から言えば「あの監督にやらせている間は期待は出来ない」というところだ。大体からして6月に迫ってきたW杯本戦を目前にして未だにあれやこれやと多くの選手たちを試しているようで望み薄だ。

私は「この頃になればメンバーを固定しておくべきであり、試用期間のような選手の使い方は論外である」と思っている。昨夜もつい先日のマリとの試合から先発を8人も替えているようでは、多くを期待できないと思っていた。果たせるかな選手間の息が合って折らず、相手のデイフェンスにむざむざと献上するようなパスを出していたのにはどうにもならない。代表に選ばれる者たちの間で意志が通じていないなどは、如何に未だに寄せ集めの集団であるかと告白しているようなもの。

私はハリルホジッチ監督が主張するサッカーの形は我が国で育ったサッカーの選手たちには不適切だと思って見てきた。即ち、何かと言えば「縦一発」式のパスを出させたがるのだが、肝腎の最前線にいる者どもが走ってフリーになり切っていない上に、パスの種類が蹴り分けられていないとしか見えないのは問題だと思う。それは強く遠くまで蹴るか、近距離に優しく取りやすく蹴るか、遠くまで走っている者がトラッピングしやすいようにバックスピンをかけるというようなことだ。

昨夜も「彼は良くやった」と二重丸でも付けてやりたい者は皆無だったのは大変遺憾だった。ほとんど全部の者たちが何かに怯えているかのようで「積極的に自分でやってやろう」という意欲を見せずに「パス回しの為のパス」ばかりを蹴っていたという感が濃厚だった。あれでは、何とかマイナス点を取らずに安全運転をして、最終メンバーに残ろうとしている意気地無しばかりに見えても仕方があるまい。

解説者もアナウンサーも希望的観測ばかりを言うのでうるさくて仕方がないが、補欠扱いで後何分も残っていない時に出てくる中島が頼りでは如何ともしがたい。本田圭佑は久し振りの先発だったが、右サイドに開いてパスを受けたり、競り合いに勝っていたのは先ず先ずとしても、そこから先には横への無意味な展開か後方へのパスでは、使って貰った意味がないかと思わせた。全体的に監督好みの連中を使った結果があの程度では、香川、岡崎、清武、乾だったらどうだったかなどと考えてしまう。

ウクライナのことにも触れておくべきだろう。これという技も知恵も無いと見えたし、特に上手いなと思わせる者も不在だった。だが、体格を活かしての競り合いの強く、それなりに正確なパスを展開してきたので、消極的な我が方を相手にして何とか2点を取って逃げ切ってしまった。勝敗を左右した要素は、言うなれば地力と体格の差だけだったと思う。今からでは手遅れだが「監督を替えようよ」と協会に進言したくなる不甲斐ない試合だった。

正直に言えば、選手たちは決して下手ではないのだが、お互いに活かす術を知らないのが問題だと思う。それは常に言ってきたことだが、ヨーロッパでプレーすれば周囲が上手なので、日本代表級の者たちを活かしてくれるのだが、寄せ集めの代表に入ると周りが活かす術を心得ていないので、スペインでは何点取ったがとかブンデスリーガではどうのという残念な結果しか出ないのだ。

ハリルホジッチさん、この苦境を何とかする手段を考えるのが貴方の仕事なんですよ。何時まで経っても選手がダメだから負けたと言っているようにしか聞こえない試合終了後のインタービューは辞止めて下さい。責任は貴方が持つべきなのです。



福山哲郎は言った

2018-03-28 07:32:47 | コラム
我々はやりたくてやっている訳ではない:

27日のあの佐川証人喚問の質疑よりも遙かに印象的だったのが、その夜のPrime Newsに出演した立憲民主党の福山哲郎の発言だった。彼は反町に「現今の国際情勢下で、森友なんていうことに拘っている場合かと言われているが」と水を向けられて「我々だったやりたくてやっている訳ではない。決裁文書を改ざんされたことは重大な問題から追及するのだ」と答えた辺りだった。「やりたい訳ではない」と言いながらも、何ヶ月やっているのかと思わずにはいられなかった。

27日は偶々DPRKの要人(金正恩に決まっているだろう)が北京を訪問したことに関して、彼が我が国の外交姿勢について彼が言ったことも興味深かった。「今や南北朝鮮、米中、米・中・韓、中・北等の関係の何れについても置き去りにされていて我が国に介入の余地はない。また、安倍総理が良き相談相手になっているとされたトランプ大統領にしたところで、鉄鋼とアルミへの関税では我が国は除外されなかったではないか」と批判したのだった。

即ち、少なくとも福山哲郎は「国際情勢が緊迫する一方であり刻々と変化していること」を認識しながら、森友問題と文書改ざんに拘泥していると認めたのと同然であると聞こえた。彼ら野党は何かといえば「政府や財務省の説明に国民が納得してない」とほざくが、私は85年も国民であるが大阪府下の国有地をどれだけ値引きして処分されようとも、そんなことは知らなかったし、関心も何もないのだ。勝手に国民をダシに使って欲しくないのだ。


3月27日 その2 証人喚問

2018-03-27 19:37:30 | コラム
野党はアホか:

彼ら野党はもしかして本気で佐川宣寿元理財局長が真実を語ると思っていたのか。そうだったらならば、それではアホ以下ではないか。それだけではない。何で彼ら、特に共産党はあれほど居丈高なのか。私は午後の衆議院の部を一寸見ただけだったが、報道によれば「訴追を受けるので」を50数回言ったとか。財務省内部では「立派な財務官僚答弁だった」と評価しているとか。

私の周囲の誰に尋ねても「何か言う訳がないだろう」と予想していた。それが常識というか良識というものだろう。特に「馬鹿なことばかり訊くな」と痛感したのが今井雅仁(っていったか、上智大学出身)で、こっちが恥ずかしくなった。

何が何でも忖度があって、安倍総理夫妻の影響があったと言わせたいようだったが、佐川氏は完全にかわしていた。器量が違うなと思わせられる気もしたが。

「続投」って何だ

2018-03-27 07:25:30 | コラム
野球の報道用語を使うな:

昨日からだったか、テレビも新聞も「八角理事長が続投」と報じている。私はこの「続投」という表現が嫌いだし、何故に野球用語擬きである言葉を使って報道するのかと、マスコミの浅薄さを軽蔑している。そもそも「続投」と言えば「その投手の調子が芳しくないので、投げ続けさせるかどうか迷った挙げ句に降ろさない時に使うことばであるし、または例えば6回投げさせる予定で先発させたところ好調なのでそのまま投げ続けさせた」という意味で使うのだと思っている。

大体からして、この言葉では八角理事長が何かを投げると言いたいのかと尋ねたくなる。まさか、貴乃花親方を上手か下手投げにでもすると言いいたいのか。この場合は「再選された」か「留任する」か「交替せず」と表現すべきではないのか。何故、野球で使われている表現を使うのかと問いたい。彼らはこれ以外にも「辞職」か「辞任」を「降板」と言う。これだって「投手が降ろされた」か「投手が降りた」という時の表現だ。

「新聞の紙面ならば言葉の数が少ないので好都合か便利だろうが、テレビの報道にまで使うことはないじゃないか」と言いたい。何れにせよマスメデイアに野球の報道用語を転用乃至は濫用するなと申し渡して終わる。

3月26日 その2 Accidental花見

2018-03-26 15:54:44 | コラム
初めての花見

25日は久し振りの好天で家の中にいるのは勿体ないとばかりに、午後1時半頃に散歩を兼ねて買い物に出てみた。先ずは我が家の近所にある区営の人工芝の多目的競技場の周囲にある桜の咲き具合をと確かめに行くと、一組の高齢者がマットを敷いて車座になって酒を酌み交わしているところに出会った。それは良く見れば、当アパートのシニア会(=老人クラブ)の方々だった。

私は2006年1月の第1回目の心筋梗塞以降はこの会の集まりに出ていないので、知っている顔はただ一人だった。だが、その人物に折角通りかかったのだから飲めなくても仲間に入っていけばと勧誘されて断ることも出来ずに、実は生まれて初めてこういう地面に座って花見をするという貴重な経験をすることになった。元々酒が飲めない体質なので、花見酒の経験などある訳がないのだが。その顔見知りの方はどうやら幹事役だったようで「ところで、お幾つにおなりか」と問いかけられて85歳と言うと、勿論その場の最高年齢となっていた。言うなれば、長生きはしてみるものだということかも。

まさかこういう場面に出くわすとは予期していなかったので、前日に巣鴨のマルジで買ったばかりの深紅の室内履きの靴下をはいていたのが全員(と言っても10人ほどだが)の目に止まって「お若い」とからかわれる始末となった。飲めないということで水で乾杯してから歓談したが、座って下から桜を見るのは初めてで、何と言って形容したら良いのか解らない妙な経験だった。しかも、これが初めてということも会員の方々を驚かせる結果となって、一時の話題にされてしまった。

30分ほども仲間入りしていたが、幾らマットがあっても地ベタに座っているのは脚も痛くなって来たので、丁重に誘って頂いたお礼を申し上げて買い物に出掛けていった。まさかこういう偶発的なことで人生初のお花見をするとは全く予想していなかったので、あらため偶然の怖さと言うなれば有り難さを味わった30分ほどだった。私には矢張り前日のような染井霊園内で移動しながら多くの染井吉野を眺める方が性に合っているようだと思う。