新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

学校では教えられていない英語の分類 #2

2020-07-19 10:49:59 | コラム
英語の言葉の分類:

(承前)

Swearwordとは:
この言葉は一般的に「汚い言葉」と訳されているようだ。その解説に入る前に、是非この言葉についての私の思い出を採り上げておきたい。

私が1972年8月にアメリカの会社に転進して、生まれて初めてアメリカを出張という形で訪問した。その帰路はカナダ西海岸のブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァーからとなった。そこで母親と家内に土産でも買うかと、空港の免税店立ち寄った。応対してくれた販売員はかなり高齢の日系の女性で、当然英語で対応された。これはと思った商品が予算を超過していたので、何気なく“Jesus Christ!” と言ってしまった。

するとその女性がキッとなって急に日本語に変わって「貴方は何という言葉を使うのですか。少しくらい英語ができるからと言っていい気になって汚い言葉を使うとは何事ですか。即刻お止めなさい。私は戦争中にここで育ったために日本語も英語も中途半端になってしまったが、それでもswearwordを使ってはいけないくらいは心得ています。これから先は絶対に使わないようにしなさい」と、将に声涙ともに下る忠告だった。私は恥じ入って言葉もなかった。その教訓を肝に銘じた。

この今思い出しても恥ずかしい出来事を紹介したので、swearwordとはどういう種類の言葉かが、お解り頂ければ良いのだと願っている。

この言葉についての定番的な解説や「絶対に使ってはならない」というような説明を聞いたことも読んだこともない。私が好んで採り上げる邦人が使った例として採り上げるのが「沢尻エリカの “Oh, shit!” 」である。彼女は「別に」だったかの一言で評判が悪くなって語学留学と称してアメリカに渡った(逃げた?)。その留学から帰って来た時に成田空港で記者たちに追い回されて逃げる際に、ハンドバッグを落としてしまった。そこで出た台詞が“Oh, shit!” だったのだ。「何と言うことか」か、男性ならば「こん畜生」とでも言いたかったのだろう。

しかしながら、ここで“shit”が出てきたので解ることは、先ずアメリカに行く前に予備知識として「swearwordについて何も知らされていなかったようだ」という点である。だが、これは断じて彼女の責任ではないと言いたい。私がこれまでの経験では、大学でも何処でもこういう言葉について教えていないことが明白だったのだから。もしも、学校で教えられたと言われる方がおられたら是非お知らせ願いたい。

次に判明することが重要なのだ。それは、何も彼女だけに限ったことではないと思うが、swearwordがいきなり出てきたということは「彼女はその程度の階層の者から英語を教えられたのか」あるいは「彼女がアメリカ接していた連中がそういう低い階層に属する者たちが圧倒的に多かったのか」の何れかだったと読める点なのだ。これまでに繰り返して説明して来た通り、例えばアッパー・ミドルかそれ以上の家庭に育った者とか、一流企業に勤務する者たちの間では、少なくとも公衆の面前では絶対にと言って良いほど、swearwordなどは使わないものなのである。

更に言えることは、swearwordが言うなれば「禁句」であると知らなかった人たちには、例えば“It is warm like hell, today.“*1だとか”What the hell is going on here?” *2 などという表現を聞くと、無邪気に「格好良い」と思ってしまい「自分もそのうちに真似て使ってみよう」となってしまうものなのだ。この辺りには、“you know“をやたらに挟んでしまうのと似た現象で、“you know”も矢張り一定の階層以下で多用されるとは知らず、真似ることになってしまうのだ。要するに、“you know“は「貴方が有能である」という証明にはならないと知るべきだ。

注:*1は「今日はなんてくそ暑いんだ」で、*2は「一体全体ここで何をやってやがるんだ」とでも訳せば良いと思う。これらは使ってはいけないswearwordの簡単な例文だとご理解願いたい。

Oxfordはswearwordとは”A rude or offensive word, used especially to express anger.としているが、これでは弱いと思う。Websterは”to swear”を”Use profane or obscene language.”としている。

私は当初はswearwordが何であるかを知らずに覚えていた。だが、知らないのは恐ろしいもので、一旦覚えると何となく使ってみたい誘惑に駆られるものであった。これは戦後に駐在した占領軍の兵士たちが使ったために我が国で広まったのである。特に「ゴッダメ」=“God damn it.”がその代表格だっただろう。英語が何であるか良く知られていなかったあの頃には、何の躊躇いもなくアメリカ人が使う言葉を真似していた人が多かったと思っている。

何故いけないかは上に述べたように明かである。それは私が所属したアメリカの大手というか株式を上場しているような会社の本社組織に属する年俸制の社員ともなれば、人前では使ってはいけない、ならない言葉なのである。それだけでは具体性がないかも知れないので更に説明すれば、この言葉を使うと言いたいことを強調できるのだが、それが同時に「無教養さ」、「語彙の貧弱さ」と「品格の欠如」とを表し「お里が知れる」(知的な下層階級と告白したのと同じ)ことになるのである。ここまでで、swearwordがslangとは明確に一線を画しているとお解り願えると思う。

次にswearwordの具体的な例を挙げていこう。

shit.=「チクショウ」か「何だよ」辺りになるだろうが、下品である。
bull shit=これも「コンチクショウ」であり「この野郎」にもなるだろうか。“horse shit”と言う場合もある。
He is a hell of a salesman.=「彼は凄腕のセールスマンだ」なのだが、このhellがいけないのだ。“hell of a driver”と言えば「運転が凄く上手い人」という具合だ。
God damn it! これも「コンチクショウ」で、日本語でも余り褒められない表現だ。
Jesus Christ.=「なんてこった」か「コンチクショウ」辺りが訳語だろうか。
fuck.→日本語に訳すのも躊躇うような言葉。fuckingとも言う。
ass hole=日本語にも「何とかの穴の小さい奴」という表現があるが、それとは意味が違うものの、汚い言葉の代表格であろう。
Oh, brother.=「何としたことか」とでも言おうか。
Son of the bitch と言うのもあるが、これは戦後間もなくは「サナダベチ」のように使われていた記憶がある。
「オーマイガー」(=Oh, my God.のことらしい)が近頃テレビで大流行だが、これも好ましくない”swearword”だと知るべきだ。せめて“Oh, my.”までで切っておくべきだ。何故にテレビ局はタレントどもに言わせているのかと思う。

汚い言葉の例はまだ山ほどあるが、この辺で打ち止めにする。その言葉がswearwordかどうかの判断の基準には、先ず“four letter word”がある。日本語と妙な符号であるが4文字の言葉を指す。例えば上記の例にも4文字のものが幾つかある。次が動物である。そして最後に宗教関連である。その例は上に掲げたが“brother”もそのうちだろう。

要注意事項:
ここまでに採り上げた言葉の分類の中では、idiomを除いては十分に注意して使うようにして欲しい。繰り返しになるが、swearword=「汚い言葉」は絶対に避けるべきだ。迂闊に使えば上述のように品格の問題になる。残る二つについては時と場合を熟慮して使って欲しい。だが、どれがswearwordかは解らないと言われそうだが、思いつく対策を一つだけ挙げておこう。

それは、数年前に気が付いたのだが、映画やテレビのドラマに出てくる警官や守衛等の役では、この言葉が多用されている。私は口語を知ろうと思えば映画を見ると良いと言ってはきたが、英語を学ぼうと思って気安く副音声などにしないことだ。私が最も巧みにswearwordを操っていると見た映画は、一寸古い例になるが、“Die hard 2”の空港警備隊のLorenzo隊長役だった。この役者は日常生活でもこの言葉だけで暮らしているのかと思うほど巧みに使っていたのだった。

参考までにswearwordを沢山知って置きたい思われれば、このDVDかVideoを買うか借りて見ることか?これ以外では、アメリカ人を主体として外国人と話をしている時に生ずる問題だから、こちらが知らずに使ってしまったか否かを相手に尋ねればよいし、会話の相手が上記に例に挙げたような言葉を使ったようだったならば、“What do you mean by saying so?”であるとか、“What do you mean by using such an expression like hell of a sales person?”とでも質問する方法もあると思う。


7月18日 その2 学校教育では教えられていない英語の分類 #1

2020-07-18 14:18:24 | コラム
英語の言葉を分類すれば:

私は我が国の学校教育の至らなさを批判し続け、私独特の勉強法を語り、それがどれほど効果を上げたかの実例も採り上げてきた。だが、所詮は犬の遠吠えの如きで、何年経っても我が国の英語教育には何の変化もないどころか、その強化の為に小学校の3年から教えるなどと戯言を言い出す始末だ。

私は何も実用性に重きを置いて教えなさいなどと言っているのではなく「英語という言語を本来のEnglishとはかけ離れた科学の一種として扱うのではなく、英語そのものを広範囲に基礎から学ばせ、『単語』だの『文法』だの『英文和訳』だの『英作文』というようにバラバラにしないようにすれば、結果として自然と実用性も備わってくる」と主張しているのだ。

そこで、今回は学校教育では教えられていないと看做している、文法上に言う「品詞」ではなく、英語の世界に入ってみれば日常的に使われている口語体であり会話の中にごく普通に出てくる慣用句等の言葉を私流に分析し分類して採り上げて、“English”とは如何なるものかを論じようと考えたのだ。この分類は少々長くなるので、2回に別けることにするのでご了承を。以前にも見たと言われる方もおられるだろうが、内容は少し変えてある。

英語の言葉の分類:

ここに採り上げるのは、文法に言う「品詞」(=“a part of speech”)である名詞や動詞等ではなく、文法とは異なる私式の分類の仕方である言葉の種類を解説してみようというものである。具体的には「口語」=Colloquialism、Spoken language、「俗語」=slang、(俗語、専門用語、隠語、符丁等)、「慣用語句」=idiom、(成句、熟語)、「汚い言葉」=Swearword、(罵り言葉)を私が知る限り説明してみようという狙いで、かなりな難しい課題だとは思うが、敢えて挑戦してみようと思う。

慣用句(idiom)と口語(colloquialism):
実は正直に言って、私には未だにこの二つの分類は困難で、その境界線を何処で引くかが明確には解っていないのである。だが、そうとは言っていられないので、この際「間違ったらご免なさい」で分類していくことにした。

Idiomとは:
「慣用語句」とも訳されている。実際にこれを読んだり会話中に聞かされたりしても、直ちに「今、“idiom”が出てきた」と感じるようなものではないと思う。Oxfordには”A group of words whose meaning is different from the meanings of individual words”とあり、Websterには”An expression that cannot be understood from the meanings of its words but must be learned as a whole”となっている。即ち、慣用語句の中の言葉一つ一つの単語の意味が分かるかおよその見当がついても、その句(phrase)全体の意味はほとんど把握できないので困るのだ。だから一つの言葉の流れと捉えて、全体を覚えよ」ということが肝要なのである。私はこれが英語の実用性を知る為にも極めて重要な点だと思っている。

そこで慣用句の例を挙げてみよう。

He gave in.=「彼は屈服した」

He burnt his bridge (boat). =「彼は退路を断った」

He saw the handwriting on the wall. =「悪い兆候が見えた」、「悪いお知らせだった」

I was between the devil and the deep blue sea. =「進退窮まった」

Let’ get the show on the road. =「さー、仕事を始めよう」、「さー。出掛けようぜ」

It’s a piece of cake. =「朝飯前だ」なのだが、“cinch”も“It was a cinch.”の様に使われている。ジーニアスは“No sweat!” も例に挙げている。
How come you put up with such a bad treatment against you? では“put up with”は「我慢する」か「耐える」の意味である。
A Mr. Jones came into the picture out of the blue. =「ジョーンズなる者が突然登場した」という意味で、out of the blueが「突然」であり「青天の霹靂」に似ている点が面白い。come into the pictureは「登場する」と意味で使われている。

It’s your baby. これは「君が責任を持つ仕事だ」という意味なのだが、このbabyの遣い方が難しいので、俗語に分類している辞書もある。即ち、babyには俗語として「厄介な役目、責任、関心事」という意味がある。

私が好んで採り上げてきた例にJohn DeLorean1979年に上梓した“On a clear day you can see General Motors”(邦題;ある晴れた日にGMが見える)がある。私は最初には翻訳本を買った。すると「それは本社の赤ん坊である」という文章が出てきた。その場でこれは誤訳だと解った。恐らく翻訳を担当された方はbabyが上記のように日常的に使われているとご存じではなかったのだろうと察しがついた。そこで読むのを止めて、直ぐに巡ってきた本部出張の際にシアトルの本屋で原書を購入した。元の英文は記憶が正しければ“it’s a corporation’s baby.”だった。一言述べれば「だから、翻訳は怖い仕事なのだ」となる。

次は、私はこれが慣用句かどうか判断出来ないが、「一方通行出口」に行くとWrong wayとなっているのが非常に興味深かった。Wrongの使い方では、アメリカ人は日本に来て「右ハンドル」の車を見てSteering wheel is on the wrong side.と言ったのには驚かされた。「ハンドルが誤った方についている」と言っていたのだから。

Colloquialismとは:
「口語」のことである。Oxfordには“A word or phrase that is used in conversation but not in formal speech or writing.”とある。私は文語の反対語で話し言葉くらいかなと考えている。即ち、信頼するに足る大修館の辞書「ジーニアス」には反対語は”literary”となっている。私はこれと慣用句の区別は難しいと考えているが。そこで、私が思う例文は

I will take a rain check.=「次の機会にします」これはジーニアスには「雨天順延券」となっており「招待などを次の機会にはお受けします」と解説している。“rain check”を入場券から切られた後の半券のことと考えれば解りやすいか。

I’ll sleep on it. =「今晩一晩考える」

Let’s hit the sack.=「さー、寝よう」

Hang in there! =「頑張れ」である。中国語では「加油」と書くと「頑張れ」になるようだが、油を加えると頑張れるというのが面白い。この発音は「ジャーヨー」と聞こえる。

How are you getting along in this hot weather? =「暑さに中で頑張っているかい」とでも言うか。

少し長い文章になるが、

Thanks a million for your kindness extended to me when I visited the United States last time. =「前回訪米した時の歓迎に感謝する」とでもすれば日本語の訳になるか。例文の“Thanks a million”以下は話し言葉であり、これを固い語体に書き換えればいくらでも言い方はあるが、
Let me take this opportunity to express my most sincere appreciation to you for your kindness and hospitality, during my last visit with the United States of America.
もその一例になるだろう。これは所謂“Thank you letter”に屡々登場する決まり文句のようなもので、日常的にはこういう話し方はしない「文語体」だ。なお、私はアメリカ人が日常的に使う“I’m gonna ~.”(I am going to ~.”の省略)であるとか、“I wanna ~.”(I want to ~.の短縮形)も口語の内だと考えている。こういう言い方をチャンと英語で話せない段階で使うべきではないと思っている。

同様に広く使われていると思う例に“Me, too.”がある。これは言い換えれば“The same here.”か”I think so, too.”辺りになるだろうが、この言い方は文法的に誤りでありアメリカの所謂支配階層では蔑まれる語法だと知るべした。
(続く)

7月17日のPrime Newsより

2020-07-18 09:21:47 | コラム
私の興味と関心は登場するゲストの品定めにもある:

17日のPrime Newsは見出しの点から見れば、とても楽しめる一時だった。偶々というか何と言うが、半分裏番組である「報道1930」が事もあろうに読売の野球中継をしてくれたので、心置きなくPrime Newsに専念できた。

ゲストの中で最も私の興味を惹いたのがデイビッド・アトキンソン氏である。UKの人である彼の日本語の見事さは「俺の英語の全盛時代でも負けるかな」と思わせるほどの領域にある。つくづく我が国の英語教育の至らなさを、彼の話を聞く度に情けなく思っている。昨夜の彼の発言を思い出すままに列記してみようと思う。

先ずは「Go to キャンペーン」から東京を外したこと。彼は「0.06%にしかならない東京でも感染者の発症率の為に、1,400万人をアウトにした考え方が面白い」と極めて真面目な表情で皮肉ったのだった。私はこのアトキンソン氏の視点には虚を突かれた思いがあったと同時に、ゴールドマンサックスだたかに在籍されたエコノミストらしさを痛感させられた。彼等ならばこういう見方をするだろうと事は、永年アメリカ人の中で過ごしてきた者としては不思議ではないし、我々にはこういう分析をする思考体系と言うか傾向は余りないと思った。

そう聞かされて東京都内の危険な場所の代表格である歌舞伎町を抱えた新宿区の感染者率を17日時点で計算してみた。少し大雑把になるか1.296人に対して新宿区の6月の人口が347,014人だったのだから、その率は何と0.37%と100人に1人にも満たないのだ。だが、アトキンソン氏流に見れば、健全なはずの残る34万人が「アウト」になる危険性を秘めていることになる。我が国全体でどれほどの人数が新たな感染の危険性を残しているかは、不要不急の時間をお持ちの方は試しに算出してみて頂きたい。

アトキンソン氏は小西美術工藝社の社長を務めておられるが、その外国人独得の我が国の分析と、かなりきつい評価のほどは何回かPresident紙上で読んできたので、何を言われるかはおよそ見当がつく。だが昨夜の「0.06%」にはやや意表を突かれた。彼は我が国の中小企業の過保護が「労働生産率を世界最低の水準まで引き下げている(38位だったかで韓国よりも2位低いのだ)と批判し続けている。その持論は「極端に言えば過保護を止めて、中堅企業を増強すべきだ」と主張し続けてきておられる。

その意味では、彼は「今回発表された『骨太の方針』の中では『中堅企業の育成』が採り上げられているのは大変結構である。そういう方向に持っていかないと、日本は何時かは世界で最低の工業国に低落する」とまで言ってのけた。彼の中小企業の保護無用論を私がここに述べるまでもあるまい。関心がおありの方はPresident誌のバックナンバーからお探し願いたいと思う。なお、自民党税調会長甘利明氏はほとんど反論らしき反論することなく、寧ろアトキンソン説の解説をしながらヤンワリと批判はしておられた。

甘利明氏はTPPをあそこまで取り纏められた実力がある極めて真っ当な信頼申し上げるべき数少ない自民党の政治家であると評価している。だが、あのような意見交換と討論の場ではとてもに静かに語られるだけで、真っ向からの論戦は挑まれないので、もう一つ威力が不足するのは残念な気もする。あの奇妙な秘書の事件がなければ、使える人材不足が急速に明らかになってきた安倍政権と自民党内ではもっと日の当たる場所で使われるべき人だとは思う。だが、率直に言えば徐々に「アナログ時代の政治家」になってきた感が濃厚なことか。

残るは玉木雄一郎。党内の重要会議があったとかで遅れて参加。重要なという意味は、枝野幸男が又ぞろ持ちかけた「天上天下唯我独尊」の合併話に如何に対応するかの党内の会議だったという事。玉木という人は昨夜の論旨の展開を聞いていても「流石は元大蔵官僚」と思わせるだけに限定された範囲内の知識と経験が十分にあると解る。と言うことは「狭くて限定された範囲内では有能であるが、ある一定の人数の組織の上に立って指導していく経験も十分な能力があるのか」となれば、疑問かなと思わせられた。綺麗事過ぎるから、だから枝野如き虚け者に甘く見られるのだ。

彼に「デイジタル時代にずーっと前に入ってしまっている世界の流れを前にして我が国では、特に政界ではデイジタル化に対する認識も何も一向に広まらないのは何故か。このままで良いか」との反町の問い掛けに対して、着席依頼見続けていたタブレットを持ち上げて「これを国会内で演説等の原稿ように使って良いかと提案したら、議運に前例がないと拒否された。このように国会をアナログ世代が支配しているようでは、国内でも何処でもデイジタル化が期待通りに進む訳がない」と主張した。これはその通りだろうと思って聞いた。

甘利氏は銀行の合併の例を挙げられたと解釈したが、合併前の各行がそれぞれ独自のメーカー(例えば、日立や富士通という意味だろう)のシステムを採用していたのだから、統合後に統一で難航した例があったと言っておられた。だが、一寸本筋を外しておられたかなと感じた。でも、甘利氏はデイジタル化の後れは認めておられた。そこで思い出したのは我が社のこと。各事業部がそれぞれ独立した会社の形なので、給与計算のシステムだけで36通りもあった時期があり、CEOの厳命の下に超特急で一本化したという事があった。1980年代の話だがね。

私はこの番組の他にも仮令TBSであっても、松原の司会が気に入らなくても、「報道1930」は途中までよりも長く見ることがある。それはゲスト次第で有益な話が聞けて大いに参考になるからだ。同時にゲストたちの語り方や意見や見解を聞けば、その人物たちの評価になる点に興味があるのだ。換言すれば「この議員には多くを期待できないな」という辺りが気の毒なように見えてくるのだ。更に言えば、非常に遺憾なことに「何でこの程度の人物が当選して国会に出てくるのか」と思わせられることが多い点だ。ここにはPrime Newsの人の選び方も含めて言っている。

だからと言うべきか何と言うべきか、Prime Newsでは櫻井よしこさんが単独で出られたときが聞き物になるのだし、先頃は橋本徹氏も2時間弱を単独で持たせるだけ聞かせどころがあったのだ。議員の方々は色々と発言には限度か制約があるのだろうが、国会では原稿を棒読みし、テレビでは隔靴掻痒のようなことしかしか言えないのでは、玉木雄一郎に「国会が駄目だから」とシレッとして言われてしまうのだ。これは「デイジタル化の遅れ」を指して言ったことだったが、その通りのようなのが情けない。

7月17日 その2 少し柔らかい話題を

2020-07-17 14:50:06 | コラム
プロ野球観戦記:

などと大きな事を言うほど中継を見ている訳でもない。何時からだったか5,000人だかを限度に観客を入れているそうだが、カメラがスタンドに向くと結構密着して観ている人たちがいるようだ。あのような状況では、観客を入れるのが時期尚早とか何という議論よりも、観戦に来るファンなる者たちの意識の方を問題すべきではなかったかと思ってしまう。

今年はコロナウイルスの脅威に妨げられて、高田馬場駅前の書店か大久保通りの韓国系の店の真っ只中になってしまった書店まで出掛ける危険を冒していないので、選手名鑑が手元にないので何かと不便だ。その中から気が付いたことを幾つか挙げていこう。

先ずは嫌いなテイームから。言うまでもなく読売巨人軍である。今年も形振り構わずに既製品というか外国人の即戦力を買い入れたので、選手層が厚くなって他を圧するまでとは言わないが、テイーム力は明らかに向上している。特に目立つのが岡本和眞の実力(なのだろう)向上である。昨年度でもかなり強力なホームランバッターに成長していたが、今年は21試合だけ終わった時点で0.366の打率で本塁打も8本である。この調子で120試合というシーズンを乗り切れば、間違いなく読売の優勝に大貢献をするだろう。

次は私が「残念ながら良い投手だ」と評価する菅野智之だ。昨年もそうだったか調子に波があるというか、突如として崩れるの目立った。その為に投球フォームをいじったとか、投げる前に両手を後ろに引いている。私はそういう問題ではなく、以前にも指摘したが「かの奥川君が真似たとしか思えない、重心が高いままに腰の回転が十分でい状態で上体の強さを活かしただけの手投げになっているフォームが問題だ」と見ている。もしかして、コーチたちは気付いているのかも知れないが、あの形では150 kmと言うスピードは出るだろうが、体重が乗っていない分だけ力不足ではないか。

このテイームのおかしな弱点は何時まで経っても内野手の要である二塁手が決まらないことだ。ズバリと言って吉川だの私がプロには不向きな学校だと言っている慶応から来た山本等々がいるが、どれも「帯に短し襷にも短し」だ。私はてっきり広島でFAになった菊池涼介を買ってくると恐れていたが、それも果たせなかった。ではあっても、他球団が弱すぎるので今年も優勝できるだろう。優勝すれば賭けゴルフで週刊新潮に叩かれた原監督も心残りあって辞められるだろう。

パシフィックリーグに行こう。未だ首位の楽天に3ゲーム離されたソフトバンクは良いと思って見ている。滅多に褒めない私が褒めるこの球団の良さは「何処かの新聞社が持っている球団と違って育成で入れた選手を立派に一本目に育ててくる経営方針と監督コーチの目のつけどどころの良さと手腕」にある。投手の千賀、捕手の甲斐、先日はショートストップにも使った周東等々は皆育成出身だ。今年は育成ではないが栗原という捕手で採った者が内川の代役を立派に務めている。私は読売方式よりもこちらを好む。

楽天がこの時点ではあっても首位に立つとは余り考えていなかった。ここは個性が豊かすぎるオウナーの下に、これも独特の個性の持ち主であるジェネラルマネージャである石井一好が率いていれば、独得の強みを発揮しても不思議はないかも知れない。この球団はやや読売方式に近く方々からFAの選手を買い入れてきて、その連中が良い働きをしているのが好調の原因だと思う。それが浅村であり鈴木大地だと思う。だが、捕手の嶋を放出してしまったことが、何処かで反省材料にならねば良いのだが。

最後にセントラルリーグに戻ってDeNAを語ろう。何度でも同じ事を言うが、ここはソト、佐野(一時的かも)、ロペス、宮崎等の良く打つ選手を備えているが、如何せん野球の質が粗いのが欠陥だ。自分の都合だけで打ちに行く者が多いので、手を出してはならない球種やコースに手を出してチャンスを潰したり、所謂テイームバッテイングが出来ない者が多いので「ヒットは沢山打ってチャンスは作ったのだが、得点にならなかった」という結果が多い。

ラミレス監督も「奇を衒ったのか」と疑う投手の起用が多過ぎる。もしかしてスペイン語が母国語のはずなのに英語で話すから、英語の通訳を介していては意志が通じないのかなと思う。お仕舞いに阪神を。何とか最下位を広島に譲った格好。だが、珍しくも外様(元は中日)の矢野監督も苦心しているように見える。未だに43歳の福留が目立っているし、39歳の糸井に頼っているようではどうにもなるまい。全体的に選手が中か小粒だし、選手層が薄すぎるし、若手と思しき者たちが延びてこないのも辛いだろう。ところで、監督が替わった広島は何をやっているのだろう。


新型コロナウイルスの事態が悪化したのでは

2020-07-17 08:54:59 | コラム
東京型・埼玉型のエピセンターに:

昨17日には五木寛之氏が「我が国は新型コロナウイルスと戦っては来なかった」と述べておられるのを週刊新潮で読み「なるほど。そう言われて見ればその通りで、アメリカやヨーロッパのように外出禁止などという言わば強行策を採らずに自粛要請で済ませ、尚且つ奇跡かと言われたような結果を第一段階で出していたな」と思っていた。その矢先に、国会で東大名誉教授の児玉龍彦氏が「ウイルスが変異して東京型・埼玉型とも呼べるようになってきたので、このままに推移すれば大変なことになる」と証言されたという報道が出てきたのだった。

私は以前から我が国で経験している武漢型と、アメリカやヨーロッパの諸国で猛威を振るっているウイルスは既に武漢型が変異し、もしかして凶悪化したのではないかと述べてきた。勿論何らの科学的乃至は医学的な根拠などないのだが、その感染の急速な状況を見れば「何か違うウイルスが蔓延しているのではないのかな」と見えただけのことだが。それだけに、我が国が仮令遅まきながら、110ヶ国だったからの出入国を禁じた処置は適切だったと思っている。

ところが、児玉龍彦名誉教授の説を伺えば、東京型・埼玉型に変異したのであれば、他国からの出入国を禁じたところで効果がないことになってしまうのだ。仮に現状がその通りだったならば、かの「Go to キャンペーン」で東京を出入りする旅行代理店扱いの旅行を除外したくらいでは、事が済む話ではないのだ。いや、その通りであろうとなかろうと、東京や大阪で感染者の新記録が出てしまった事態では、現行の特措法のままで対処できる事態ではないと恐れるのだ。

東京の感染者の中では相変わらず20~30代が68%という高い比率を示している。事ここに至って児玉名誉教授のご意見も勘案すれば、小池都知事は補償のことなど後回しにすれば良いので、営業を自粛させねばならない業種と業界に向かっては、その旨を強硬に要求して貰いたいのだ。テレビのニュースを見ている限り、彼等は相変わらず外食と外飲業界に感情的に同情し続けている。東京型・埼玉型の非常事態が今日・明日にも襲ってくるとまでは思えないが、林修氏式に言えば「何時やるんですか、今でしょう」となると思う。もしかすると、これでも予防的措置ではないかも。

私のように歌舞伎町が目の先に見えている新宿区に住んでいれば、この上なく危険な状態が迫っているかと思わずにはいられないが、他の22区と区外の市町村にお住まいの方々も、私に近い危機感を抱いておられるだろうと思っている。行政府と東京都には国会を動かしても特措法の改正に着手されて、自粛要請ではなく「自粛の命令」を発せられるようにして貰いたいのだ。つい昨日も中途半端に発熱された為に保健所にPCR検査を拒否されたとの報道があった。未だこんな事をやっているのかと呆れる前に感心した。いや、感心ではなく「寒心」と言うべきかも知れない。

それは一寸の熱では、2~4万円を個人負担して何処の医院かクリニックで受けられるかも周知されていないような検査を、自発的に受けに行けいう意味かと思った。加藤勝信厚労相の管轄下にある検査だと思うが、こういう思いやりのない態勢は、もう好い加減に改善すべきではないのだろうか。小池都知事はしきりにPCR検査を受けなさいと言われるが、それは個人負担ででも受けないと奨励されているのだろうか。10万円渡してあると言われれば、それは違うと思う。あれは確か景気刺激策だったはずだ。誰が何時・何処で受けようと保険適用にすべきではないのか。

上述の懸念が、私のような悲観論者の杞憂に終われば良いのだが。