新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月21日 その2 格安のトイレットペーパーを買ってみれば

2021-12-21 15:57:53 | コラム
丸富製紙のトイレットペーパーだった:
 
一昨日だったか、偶々通りかかった馴染みの薬局の店頭に、トイレットペーパーが魅力的な値段で出ていた。近寄って手に取ってみれば、丸富製紙の製品だった。丁度在庫が切れかかっていた時だったし、丸富の製品ならば信頼できるだろうと、躊躇することなく買い求めた。応対してくれた販売員も「滅多に出ない値段です」と言っていた。
 
トイレットペーパー等の家庭紙は、私の40年近い我が国とアメリカの紙パルプ産業界の経験でも守備範囲に入ったことがない分野だったが、丸富製紙がどのようなメーカーがくらいは承知していた。それと言うのも、丸富は早くから使用済みの牛乳パックを回収して再生した古紙パルプを原料に配合していた会社だったからだ。それに、私はウエアーハウザーの19年間にその牛乳パックの原紙となる液体容器原紙を、我が国に輸出する仕事を担当していたのだった。
 
ここで、この原紙の事情を解説しておくと、私が世界最高の製紙技術を持っていると見ている我が国では、この液体容器原紙は1 kgも生産しておらず、全てアメリカと北欧からの輸入に依存しているのだ。その理由は、この非常に優れた原木を使用する原紙は、大型の年産40万トン以上の能力がある抄紙機で製造しないことには採算に乗らないのだ。だが、我が国の総需要は21世紀に入ってからの最高の頃でも25万トンだったので、おいそれと国産化する訳には行かなかったのだ。
 
しかも、この原紙には北アメリカ産のSPFと言われているスプルース・パイン・ファー等の針葉樹の強靱な紙力を出せる(高価な)木材繊維が必要なのである。しかも、そのような最高級の原料を使って造られる牛乳パックは、1回使っただけで捨てられてしまうのは勿体ないことで何とか回収し、再生して、リサイクルできないのかと、一主婦である平井初美さんが目を付けられた。そして、その運動を起こされて、1984年に全国牛乳パックの再利用を考える連絡会(全国パック連)を設立されたのだった。
 
その回収された牛乳パックからの再生パルプを使っていたメーカーの1社が丸富製紙という図式である。ウエアーハウザーというか我が事業部というのか、私は一切この運動には関知しておらず、業界内の情報として丸富製紙が牛乳パックを回収して再生して生産したパルプを購入し、ヴァージンパルプ以外の原料として配合していることくらいは承知していた。
 
このパック連の運動は非常に貴重なことだったのだが、採算に乗るか否かという点では非常に微妙なところがあった。それは、以前にも述べたことで、使用済みのパックを切り開いて洗浄して束ね、全国各地々から専門の回収業者が集荷して、一旦倉庫にでも保管してから、トラック輸送でもかけて製紙工場に納入することになるのだ。この間の人件費、保管費、輸送コストを考える時に、費用対効果が如何なる事になるのかという問題が生じるのだ。
 
細かいことのようで大きな点に触れれば、「我が国の紙類の年間の生産量は約2,600万トンほどであり、それに要する原料はそれよりも大きくなるのだ。そこに、もしも全国津々浦々で消費されたパックの全量を回収できたとしても、最高潮の時期でも25万トンにしかならない計算になる。だが、現実には全量の回収はあり得ないことだ。また、このパックはパルパーという設備で原紙と両面にラミネートされているポリエチレンフィルムを剥がさねばならないので、この過程だけでも10%以上も目減りするのだ。また印刷されているインクも洗い流さないと汚れた再生オパルプになってしまうのだ。
 
ここで、何を言いたかったかと言えば「各方面の努力で優れた木材繊維を再生しようとしても、実際に古紙パルプとして製紙産業に貢献できる数量は決して魅力的なものではなくなるのだ」という点だった。しかも、昨今は牛乳が7万5千トンも余っていると報じられているように、消費者の趣味趣向が変わって牛乳の需要が減少した上に、学校給食向けの需要の減少もあるので、この原紙の輸入量も最盛期からは30%程減少したと聞いている。この様子では、どれほど古紙パルプに回っていくのかは極めて疑問だと思っている。
 
長々と述べてきたが、丸富製紙のトイレットペーパーを包装してあったフィルムには、牛乳パックの古紙を配合したとの記述はなかった。長い年月この原紙の我が国向けの輸出を担当してきた者としては一抹以上の寂しさを感じながら、トイレットペーパーを抱えて帰宅したのだった。風の噂によれば、全国パック連の運動は今や「使用済みの牛乳パックを回収して再生原料に」という主旨ではなく「貴重な天然資源を無駄にしないように」という「勿体ないことをしないように」との点を強調しておられるとかだ。
 

中国に対する姿勢

2021-12-21 08:26:50 | コラム
不甲斐ない我が国の政治家たち:

本日は、本当はこういう話題を取り上げる予定ではなかったのだが、矢張り黙ってはいられない気がするので触れておこうと思う。

手近なところでは今国会で「文書通信交通滞在費」の改正は決められなくなったことがある。これは全く不甲斐ないことで、恐らく国会議員たちには決めきれないだろうと予想していたが、その通りになってしまうようで腹立たしい。私はこの程度の者たちに我が国を任せようと選んでしまった国民の方にも責任があると、何時も考えている。しかも、維新の会で言い出さなければ話題にも議題にも上がらなかったのも、情けないこと。お陰様で、私のPCは「文書通信交通滞在費」をスラスラと出力してくれるようになった。

昨20日のPrime Newsで櫻井よしこさんが非常に厳しい口調で岸田総理が「北京五輪の外交的ボイコット」を未だに決め切れていない優柔不断な態度を、林外相をも含めて批判しておられた。残念ながら「誠に以て遺憾なこと」と同感だった。櫻井よしこさんは自民党の宏池会の歴史にまだ遡って厳しく言っておられたが、その通りだと思って聞いていた。

そこに、本日の「頂門の一針」には有本香さんもZAKZAKニュースでの「対中国非難決議」に至らなかった件を厳しく批判しておられたので、その記事から引用しようと思うに至った。

>引用開始
「臨時国会も終盤(21日閉会予定)。はて、「対中非難決議」はどうした のだろう? まさか雲散霧消か? といぶかっていたところへ、不信を強 くするニュースが入ってきた。14日、超党派の「日本ウイグル国会議員 連盟」と「日本チベット国会議員連盟」、自民党有志による「南モンゴル を支援する議員連盟」の3議連の幹部らが官邸に岸田文雄首相を訪ね、来 年2月の北京冬季五輪への「外交的ボイコット」を求める共同声明を手渡したという。

やっぱりかー。今年6月の通常国会の会期末、公明党と当時の自民党幹事 長室が首を縦にふらなかったために、人権問題で中国を非難する国会決議 が見送られた経緯は、当コラムでさんざん書いた。その?末(てんまつ)を当コラムで暴露したため、私が幹事長室から「文 書」をもらうことになった経緯も詳しく書いたので、ご興味ある方はネッ トのアーカイブでお読みいただきたい。あのとき、3議連の幹部も幹事長室の対応を苦々しく思っていたと聞いた が、それはどうやら勘違いだったようだ。「親中派のドン」といわれた二階俊博氏が幹事長の座を去った今も、対中 非難決議はなされない。つまり本気でやる人はいないのである。(以下略)
<引用終わる

中国に対して思い切った態度を取れないことは解らないでもない。だが、中国は我が国というか岸田政権が人権問題の非難決議にも、外交的ボイコットにも、直ぐには出てこないと読み切っているのだろう。そんなことで良いのかなと思ってしまうのだ。数年前に何とか言う漫画家が「中国に対しては謝って謝って謝り続けていれば良い。そして何時かは属国にして貰えれば良い」と言っていたことがあった。現在の岸田政権の決断できない姿勢を見ていて、この戯言を思い出した次第だ。


12月20日 その2 私が甲子園ボウルを語れば

2021-12-20 15:39:10 | コラム
甲子園ボウルとは:

その歴史を振り返ってみれば、第1回の甲子園ボウルは1946年に開催されていて、当時は関東と関西のリーグ戦の優勝校が覇権を争っていた。今日では東日本と西日本地区で優勝した大学の(アメリカン)フットボール部が、日本一を決める試合を兵庫県西宮市の甲子園で行うのである。因みに、bowl即ち「ボウル」とは、英語の「お椀」か「鉢」の意味であるbowlから来ており、その試合をするスタジアムがお椀型になっているところから取ったと聞いている。

昨19日には西日本の王者、関西学院大学ファイターズと東日本の覇者、法政大学オレンジが日本一の座を争って対戦していた。私は勿論この試合はテレビ観戦していたが、その試合の内容を語る前に「私と甲子園ボウル」を振り返ってみよう。

私が初めて甲子園ボウルを西宮まで出向いて観戦したのは1983年のことで、日本大学フェニックスの6連覇がかかった重要な試合だった。そこに日本大学高校ブルドッグスの清水之男監督(残念なが故人である)に招待して頂けたのだった。清水氏は「この京都大学相手の試合に勝って6連覇を果たせば、そこから後に本格的なフェニックスの時代が来る」と緊張の面持ちで語っておられた。私は甲子園には1967年までの大阪支店勤務の時に一度だけタイガースの試合を見に入ったことがあったので、あの時が2度目だった。

清水監督も私もフェニックスの勝利を確信して観戦に訪れたのだったが、まさかと思ったようなフェニックスの新人にして身体能力抜群のQB松岡秀樹君が、強力な京都大学ギャングスターズのデイフェンス陣のブリッツに遭って無理な姿勢から投げたパスを、深掘と名字まで覚えているデイフェンスバックのインターセプションされたのだった。その後からフェニックスは崩れ去って、敗戦となってしまったのだった。不思議なことながら、私は未だに松岡君が投げた無理な姿勢を覚えている。

それから暫く間が空いて、1988年から90年までは毎年のように甲子園まで出掛けていって行ったので、篠竹幹夫監督のライスボウル3連覇に至る前の88年から90年までの甲子園ボウル3連覇までの間の試合は全部見ていた。特に88と89年の対関西学院大学ファイターズとの試合は、マスコミが称える「赤のユニフォームのフェニックス」対「青の関学」が、甲子園の美しい緑色の芝生の上で展開する熱戦で、色彩的にも大いに楽しめたのだった。

因みに、ファイターズは昨日の勝利は32回目で、フェニックスは21勝だった。その関西学院ファイターズの前に立ち塞がったのが、立命館大学パンサーズだった。パンサーズはアメリカの大学フットボール界の強豪校、オクラホマ州立大学と提携しているので、アメリカ式の合理的且つ科学的なトレーニング及び練習法を導入して、我が国のスポーツ界に新風を吹き込んだのだった。だが、遺憾ながら、我が国の運動競技全般には未だ立命館大学パンサーズ式の近代性が遍く導入されているとは言えない状態であると見ているのだが。

そこで、漸く昨19日の甲子園ボウルの観戦記に行こう。忌憚のないところを言えば「それ以前の『西高東低』の傾向が一層顕著になっていた」という所だった。結果としては47対7でファイターズの圧勝だったのだが、私には前半の13対0という接戦では「これほど生温いファイターズを見たことがない」というのが、偽らざる感想だった。

それは、ファイターズの47得点を分析してみると、タッチダウン(TD)が5本で35点、フィールドゴール(FG)が4本で12点なのだ。これ即ち、ファイターズは4回もオレンジのゴール前に迫りながらTDに至らず、FGを蹴らざるを得なかったという不甲斐なさだったと思っている。

法政大学オレンジの言うなれば惨敗は、敢えて言うが関東大学リーグの技術と水準の低さをみせていた事になったと思う。今年は橋詰監督の契約が切れた為かフェニックスが不振に終わったので、関東の各大学が冴えなかったかの感が濃厚だった。正直に言えば、ファイターズ対オレンジの間には40点どころではない格差があったと思うのだ。簡単に言えば、ファイターズがFGに終わったオフェンスを全部TDにまで持って行っていれば、合計9TDで63点になってしまうのだ。これは、同時にファイターズにとっても反省点になると思うのだ。


揃目の年が終わりに近付いた

2021-12-20 07:54:46 | コラム
2021年は生涯に一度だろう揃目の年だった:

その2021年も残すところ11日なってしまったので、あらためて二つの数字が並んだ模様を振り返ってみよう。自分では滅多にない面白い現象だと思っているのだが。

1933年生まれの私は戸籍上では来年の1月21日までは88歳である。大学卒業が55年、それから今年が66年目だった。

今住んでいるこのアパートに転居してきたが55歳の時であり、ここに住むこと33年で88歳になっていたのだった。来年になれば、このように同じ数字が並ぶことが消滅するかと思うと、何となく寂しい気がして回顧してみた次第だ。

敢えてゾロ目とせずに「揃目」としたのは、この方が何となくサイコロの目を厳かに表現すると感じたまでで、それだけのことなのだが。

あれは法輪功だったのか

2021-12-19 10:41:08 | コラム
大久保通りで女性が「真相」特集号を配布していた:

2~3日前に大久保通りの山手線外側に買い物に出掛けたときのことだった。歩道に立っていた女性が何かビラというかチラシのようなものを手渡そうとしていたが、殆どの通行人は無視していたし、私もそのうちの一人だった。1時間ほど経って戻るときにも未だ女性は立っていて、私に受け取って欲しいとばかりに差し出してきたので、何の意識もなく受け取って手に持っていたエコバッグとでも言いたいずた袋の中に放り込んで、そのまま忘れていた。その女性が法輪功辺りの一員だろうことの見当は付いていたが。

昨日、またその袋を取り出して、そのビラを読んでみることになった。それは、かなりチャンとした両面コート紙に両面に写真入りで多色印刷されていたのが印象的だった。「なるほど、彼らの組織に用紙を提供し、オフセット印刷を請け負っている会社があるのだ」と知ったのだった。表面には「コロナウイルスだけでは終わらない 迫る中国共産党の脅威」とあり、裏面は「にわかに信じがたい 人類史上未曾有の国歌犯罪 中共による臓器狩り」とあった。

直ちに思ったことは「中国の若者がこれほど溢れかえっているこの街で、このような反中国であり反中国共産党の資料を撒き散らすとは良い度胸だな」だった。大久保通りの山手線外側を一歩でも歩いて見れば解ることで、そこを闊歩する若者の過半数が大声で北京語と思しき言葉で語り合っているのだ。私は彼らが「国家防衛法」の対象であり、事があれば工作員として活動することを義務付けられているはずだと理解しているのだ。そうであるから、私がビラを受け取った際に女性が「有り難う御座いました」と囁いたのだと認識している。

そこで、参考までにビラの小見出しだけを書き出してみようと思う。表面では「中国と中共を混同していないか」、「コロナ流行 中共の隠蔽でパンデミック」、「全世界に及ぶ浸透工作 日系企業にも多くの中共党員」、「人権や国家安全面でも中共の傍若無人ぶりが日本の眼前に」、「中共排除はもはや世界の潮流」とある。

私にとって最も印象的だった記述は「全世界に」の所では「中共は世界各地で政治浸透工作を行っている。多国籍企業及び外国の領事館や大学などで雇用されている中共党員は約200万人にのぼり、上海の日系企業だけでも5000人の中共党員が雇用されている。中国の人材招致プロジェクト「千人計画」には、中国の国防大学系大学に所属していた研究者8人を含め、少なくとも44人の日本人研究者が関与している。こういったプロジェクトを通じて中共政府は海外から情報盗用と中共イデオロギーの海外への浸透を目論んでいる」という辺りだった。

私は記載されている事柄の真偽を論じるよりも、こういう反中国政府的なことを広めて行こうとする人たちがいることをあらためて認識させられた。だが、この組織のような人たちが本当に反中国政府であり反中国共産党なのだろうかとまで疑いたくなった。このような資料を配付して反中国の者たちをおびき寄せる手段なのかなとまで考えたということだ。香港に於ける民主派狩りの徹底ぶりを見せられては、そこまで疑っても良くはないかと思ったという意味だし、表面の見出しにあった「中国共産党の脅威」を見せ付けられた気がしたのだった。