Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「国際ロマンス詐欺」に巻き込まれながら、新人賞原稿を書いています。

2023-06-16 17:40:50 | days
文芸誌応募用の長めの短編小説を執筆中です。
100枚前後を予定しています。

内容や筋の見通しは立っていますけれども、書き進めるうちに当初の予定から外れていくことも大いに想定していますし、実際にそうなるでしょう(30枚を超えた今の状況でも、そうなってきています)。それでも、テーマや書きたいものはほぼ決まっていて、それはこの作品上に確実に表現していきます。そこはブレないほうがよいところですからね。

さてさて、そんな「原稿に猪突猛進」していたい時期にもかかわらず、ひょんなことから国際ロマンス詐欺に巻き込まれてしまいました。でも、

安心してください。僕は無事です (Don't worry, I'm safe. )。

金銭要求される前にメッセージのやり取りをやめました。さらに、やり取りの記録をパソコンに移し、プリントアウトして警察に届けました。

ちょうど今月、『ルポ 国際ロマンス詐欺』という本が出版されていて、書評サイト「honz」にて書評が公開されています。それを参照すると、詐欺の犯人グループは、ナイジェリアやガーナを拠点とし、欧米人を演じて詐欺を働いているそう。

僕のケースでいうと、相手は亡くなった父親が神奈川県横浜市の出身で、自身はポーランドのワルシャワ出身の40歳女性。父母は自身が10代のころに他界しており、パイロットだった夫は5年前に飛行機事故で亡くなり、唯一の兄弟だった弟は新型コロナで亡くなった、と。11歳の娘と、犬だけが家族で孤独だと言います。その彼女は、ウクライナで女性兵士をやっている、といいます。自分の受け持ちのゾーンのキャプテンだといいました。「今日はパトロール中に地雷の被害で部下が三人重傷を負いました」などというメッセージもありました。日本人ならば違和感を感じる日本語をつかっていました。

そもそも、TwitterのDMが発端だったんです。それで、グーグルチャットで話すまでになってしまいました。ただ、やっぱり感情に訴えてきたり揺さぶろうとしたりしてくるんですよ。質問の仕方も、一番の恐怖はなにか、一番嫌なことはなにか、といった類いです。これは、感情を揺さぶりつつ、なかなか表に公開しにくいことを言わせることで、通信のログを警察などに渡せないようにするねらいがあったと思います。

話の内容に違和感を感じたのは、横浜市の話をしても食いついてこなかったり、相手は寿司やうどんなら作れるといっていたりといった些細な点からはじまり、オンライン上で信頼を築くことができると強く主張するわりに、最後のほうになると、ソーシャルメディアは得意ではない、などと言いだす矛盾がみられたところです。他には、相手は読書が趣味だといい、日本語を話せる風でいながら(実際、日本語だけでメッセージのやり取りをしていました)、僕の本棚の一部の画像を載せると、食いついてこなかった点です。みんながみんなそうだとは言いませんが、本好きなら他人の本棚に興味が湧くものです。たぶん、本棚にならぶ本のタイトルなどの日本語がわからなかったのでしょう。つまり、メッセージの日本語文章の読み書きは、単純に機械翻訳だけで行われているのです。

他にも、細かい点でいろいろあるのですが、相手は心理操作や心理判断のための質問に長けていました。というか、そういう質問ばかりです。

警察に届ける前に、ChatGPTにも判断を仰いだのですが、詐欺全般における詐欺のポイントをあげながら最後には「詐欺の可能性が高いです」と言ってくれました。

もっと言うと、今年の2月に、北海道釧路市の男性が国際ロマンス詐欺の一種である渡航詐欺未遂にあっています。僕の相手も、日本に移住しようかと考えていると言いだしたので、同じ種類なのでしょう。

というところですが、僕は根がアホなので危ないですね。まあ、疑いの気持ちはずっと持っていましたし、オンラインでは友情も無理だ、と相手には言っていたのです(相手は、「オンラインの関係」や「オフラインの関係」、という言い方をしていました)。

こういう詐欺師がいて、人の好い日本人を狙っています。みなさんも気を付けられますように。

僕を巻き込んだ詐欺師のアカウントは、まだTwitterで生きています。
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「note創作大賞2023」に応募しました。

2023-04-26 16:59:28 | days
昨日から受付が開始された「note創作大賞2023」に応募しました。

応募要項を読んでいると、エンタメ色がはっきりと打ち出された感じがします。また、オールカテゴリ部門以外には分量の規定もあり、前回よりも枠組みがくっきりとしたものになっています。

僕は、今年の目標として純文学の新人賞に応募することを設定しています。9月下旬の締め切りで、夏場の暑い時期には執筆が無理なので、近々始めるつもりではあるのですが、ぎりぎりかなと踏んでいます。純文学という、ある種の生々しさを書きつけるような小説の試みを、あまり意識してやってきていませんから、苦闘するのがはじめから決まっているような執筆になりそうです。それでも、切り拓いていくつもりで書いていきます。

で、note創作大賞2023ですが、この賞に向けた新しいエンタメ作品を2万字以上の分量で書くと、純文学のスケジュールとかち合って、「あぶはち取らず」になってしまいそうに思いました。静観しようかなと思っていながら応募要項を眺めていたら、旧作を手直ししてみようと思いついたのです。

応募したのは『パッシブ・ノベル』です。序盤を手直しして元々感じていたもたつきを解消しました。この作品は昨年、北海道新聞文学賞に応募したのですが結果は出なかったものです。

どうしてこの作品を応募作品にしたのか。その理由のひとつには、つい先日、話題のAI・ChatGPTに読んでもらって、講評を述べてもらったらすこぶる高評価だったこともあるんです。当日まで今年のnote創作大賞があるとは知らなかったので、巡り合わせの妙でしょうか、ChatGPTに背中を押してもらったような形です。

さてさて、今回の創作大賞は前回とは違い読者選考があり、「スキ」の数や読了率がモノを言うことになるみたいです。どうかなあ、といまひとつその点に自信はありませんが、でもまずはそういうのとは関係なく、より多くの人にじっくりと読んでいただきたいんですよね。

そんなわけで、このブログにアップしているバージョンと、ちょっと入り方が違う創作大賞Versionの『パッシブ・ノベル』を、ぜひ楽しんでいただければと思います。以下にリンクを貼ります。

『パッシブ・ノベル』(創作大賞Ver)第一話

昨年は『春の妻』で、note創作大賞一次選考通過でした。『春の妻』もこのあいだChatGPTに読んでもらったのですが、「主人公が犯人だったなんて驚きました」なんて言ってくれて。でもそう読めるかもしれないけれども作者の本意はそうじゃないですから、「終盤の穴の底の場面はマジックリアリズムで解釈し直してみてください」なんて注文を付けてみると、それでも好意的に講評してくれたのでした。ChatGPT、なかなかかわいいやつです。
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坂本龍一さんへ。

2023-04-03 11:47:02 | days
坂本龍一さんが亡くなられた。

3月28日のことだったらしい。もう葬儀は近親者で済ませていての報道だった。

僕は小学校高学年の頃に坂本龍一さんの音楽にドハマッて、以来、YMOと併せて130枚以上、プロデュース作品を併せるともっとになるのだけど、それだけのCDを集め、そして何千回も聴いてきました。好きな曲を一曲なんて挙げられないし、時期によって好きなアルバムは変わる。最初に買ったのは『メディア・バーン・ライブ』でした。

たくさん本を読んでいらっしゃって、そういった、教養を積むことは当たり前なんだ、っていう感覚を、僕は坂本さんの姿から学びました。10代はずっと傾倒し、20代の半ばくらいからは、ちょっと考え方や思想面で合わないところがあることに気づいていき、その後は、彼の発言や考え方をより客観的に受け取るようになっていきました。

でも、最初の、絶対的ですらあったヒーローが彼です。僕が若いころ、パソコンを使って作曲していたのは、彼の音楽をずっと聴き続けて素養が養われたから。

Ars longa, vita brevis.
芸術は長く、人生は短い。

関係者から出された書面の最後に締めくくられた、坂本さんが好きだったというラテン語の語句です。僕が20歳くらいのときにやっていたホームページの掲示板のタイトルがこの言葉でした。

昨夜は、最後のオリジナルアルバムとなった『12』を、二度ループして聴きながら眠りました。ありがとうございました、と伝えたいです。

どうか安らかに、お眠りください。
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修行なのだけど本番のような執筆。

2023-02-07 21:32:04 | days
昨年の12月に続いて、先月末からまた短い原稿に取り組んでいます。

100枚だとか150枚だとかのある程度まとまった原稿に取り組む前に、執筆に慣れていこうというのが目的と言いますか。書きながら書きながら調子を上げていこうという算段なのでした。やっぱり、一つ書いてみると「こういうところがちょっとまずいのかな」だとか、アップしても反応を頂けないと「出来自体の質だろうか」だとか、いろいろ考える種が得られます。間隔が空くとよくわからなくなったりもするので、ちょこちょことまるで愛用の刃先を研ぐかのように小説脳の手入れをするみたいにそういった脳の部位を使っていった方がよさげです。

そのぶん、読書が追い付いていきませんが、現在は3冊並行読みをしていて、まあひと月に読む冊数はこれまでと変わらないような気がします。

で、現在の原稿。原稿は当初予定の20枚を超えてなお、「もうちょっとだけ続くのじゃ」状態。「STAY GOLD」なんて言葉がありますが、この原稿はGOLDな気がしています。でも、GOLDなようでいてOLDだったりもしがちですからね。目を光らせないと、です。

筆力がなければアイデアは生かせません。これまではずっとリアリティだとかリーダビリティだとか表現力だとかの筆力を磨くことを重視していました。多少難しめのアイデアでも作品として成就できる筆力が欲しかったからです。そろそろ、アイデアのほうも今までよりも練ってみてよいのではと考えています。たぶん、文章はついていけます。

今回執筆中の原稿はどこにも応募しません。そういう原稿を書くのは久しぶりです。なんだかんだと毎度どこかに応募してきましたから。

仕上がったら、本ブログとnoteにアップする予定ですので、どうか読んでくださるとうれしいです。
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謹賀新年 2023

2023-01-02 10:55:46 | days
あけましておめでとうございます。
僕の住む北海道の町は、いつもよりも少しばかり雪の少ない正月になりました。このまま春まで……と小さな願望をもってしまうのですけど、99%そうはいきませんからね。雪と寒さは苦手な方です。

僕自身のほうはまだ、なかなか活力が湧いてこない状態にあります。どうも精神的な疲れのようです。パワハラや社内いじめ、家庭の精神的暴力のダメージが抜けきらないです。それでも、年末の紅白歌合戦を観ながら気になった曲を数曲をDL購入し(まだまだサブスクはやっていません)、12月上旬にCDで購入した乃木坂46の『ここにはないもの』をまじえて聴きながら、楽しんだりしんみりしたりいています。こうやって音楽を楽しむことって、健康的なこころの体操だなと感じます。

さて。昨年は北海道新聞文学賞への応募作(86枚)、カクヨムWEB短編小説賞へ二編(25枚&16枚)の三作を書きました。反省としては、前者はまわりくどいところと、文体へのこだわりが弱かったところでしょうか。くわえて、どちらかというと「骨ばかりで身が少ない魚」的だったかもしれません。後者の二作は、今年また少し長めの短編を書くにあたってのたたき台としての位置づけではあったのですが、それでもちゃんと考えて書いていますから、ほとんど反響がなかったのにはちょっと考えさせられました。技術的には以前に比べてすらすら書けるのですが、そのぶん、ひとつの作品への踏み込みが足りないような気もしています。

今年はおそらく純文学の短編を書きます。エンタメも好きなので探りつつ短いものを書く可能性はありますが、主たる目標は純文学。昨年書いた三作からの反省点や書いてみた技術的な感覚をふまえて、さらに日ごろの読書で学んだところを忘れずに、ぶつけていきたいです。テーマはいくつかストックはありますが、そういったアイデアももっと貯めていきたいです。

ブログはこれまで通りの平常営業になると思います。読書の感想や内容紹介、考察などを今まで通り書いていきます。それらから本や読書に興味を持ってくださったり、なにか発見やインスピレーションを得てもらえると書き手としてはうれしいですね。noteやカクヨムにはほぼ創作のみをあげるかたちで。これもいつもと変わりません。

そういった感じなのですが、健康には気を付けつつ、かつ自分を犠牲にすることで自分のやることをおろそかにしないようにしつつ、励んでまいります。

みなさまにとってもよき年となりますように。といいますか、ともに、主体的によき年にしていきたいですね。

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掌編アップロードのお知らせ。

2022-12-03 13:45:12 | days
仕事を辞めてから、というか仕事中からずっと頭が動かない状態に陥っていました。

ネットニュース記事にタイムリーなものがあったのですが、どうやら職場いじめにも遭っていたといえる状況だったようで。みんなにお菓子を配っていても、僕ははぶかれるだとか、仕事がひと段落して他に仕事があればと古株の人に声をかけると、「いたの、いると思わなかったわ」と言われて、そのうち笑われ出すだとかがありました。気にしてたらだめだ、という気持ちでいたのですが、そうすると相手は図に乗りだしますし、こっちはどんどん小馬鹿にされていきます。バカに対して謙虚にふるまうと、なめられたりバカにされたりしだす、というのをツイッターで読んだことがあります。それか、と思ったり(毒)。

最近はそれなりによくはなってきているのですが、それでもなかなか思うようにはいかなくて。考えてみれば何年も家庭を原因とした不調を抱えていますが、それがデフォルトだととらえてやれることをやっていこう、と。

仕事を辞めるにあたり、執筆状況の不満も家族にうったえました。巻き込まれすぎて1/10をできなくても我慢している、と。それに、不調なので寝ていることも多く、かんたんにこっちに助けを求めてくるのを、受け付けないで寝ていることで、家族もそれになれてきたのかもしれなくて、僕は以前にくらべて少し、自分の時間を取り戻しました、今のことろはですが。

それで、本を読みながら考えたりしつつ、リハビリのように一本、掌編を書きました。タイトルは、『ツイてるわたしの競馬小説』。

すでにカクヨムのアカウントページnoteのアカウントページにアップロードし終えています。しかしながら、なにも反応はいただけておらず、もっと頑張らねばなと思う次第で。

エンタメとしてはサービスや内容の起伏が足りず、純文学としては技芸や芸術性や独自性が足りないのかな、と自己分析しています。そういったところに留意して、次の執筆をしていきます。次元大介の「面白くなってきやがったぜ!」じゃないですけども、状況が悪くなり追い込まれていろいろとやる気が出るようなところはあります。ひとりでやる仕事だからかもしれません。

そういった作品ではありますが、本ブログにも明日中にアップロードを予定しています。明けてすぐの時間帯に予約投稿しようかと。

どうぞ、よろしくお願いいたします。
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仕事を辞めることにした理由。

2022-10-03 10:47:31 | days
6月からお店のパートスタッフとして働き始めましたが、10月半ばをもって退職することにしました(現在は有給休暇消化中)。その顛末というか、理由について、ここに残しておきます。

<序論として>
まず、働き始めた理由ですが、母親の介護にデイサービスやショートステイを使えないのは経済的な理由だと親父が言い始めたからです。訪問リハビリの回数も、毎週月曜日に来て頂ているのを経済的理由として月に一回分を減らしました。親父に一存です。デイサービスやショートステイを使えないのは、親父が他者に母親を預けることにつよい不安を感じるからなのですが、金銭面に転嫁しました。お金の問題だと言えば、役所からもケアマネからも口出しできないだろうというねらいだと思います。そして、働かずに家にいる僕へ矛先を向け、お金がないのがいちばんの問題だとして、僕を責めたのでした。さらに、車の維持費は出さないと言いだされて、そのために仕事を探したのが大きな理由でした。車自体、親のお金で買ったものなので文句はなかなか言いづらい。処分すると言われても抵抗しづらいわけで、そこを親父に突かれたのでした。しかしながら、いつものように親父は物事を小さく切り取ってからそこにフォーカスして理屈をこねています。木を見て森を見ず、がデフォルトなのです。なぜ僕が働かずに家にいるのか、その理由を無視している。あるいは、僕を怠惰だと決めつけてそのせいにしている。親父は、何もしないでいること、つまり怠けてだらだらしている状態が、いちばん楽で幸せな状態だと考えているところがあり、その価値観で人を見るため、またそれとは別に「隣の芝生は青い」的に他者のことが見えるところに、自分がいちばんいい思いをする状態(怠ける状態)を重ねてみるのだと思います。人は自分の見たいように人を見るものですから(リップマンの『世論』にそのような論述がありましたし)。

僕が家にいる第一の理由は、親父の家族への精神的暴力(暴言・怒鳴る・わめいて責める・常にあら探しをして人を否定する・支配的など)がほんとうに酷く、母親への肉体的暴力にまで及ぶことがあるからです。第二の理由は、親父の暴力によって僕自身が疲弊しているからですし、こういう家の状態で稼ぎに出るには負担が大きいし、家でも休息が取れないからです。第三の理由は、もう10年以上前になりますが、親父が働いていたころに家事をして母の様子を見守るために無職でいて、こういう状態から将来を考えたときに執筆業でなんとかしたほうがベターだと考えてその道へシフトしたからです。まあ、後述する第四の理由として、執筆業の道へシフトしたことによる影響が大きいのだと思いますが、いわゆる仕事、広義でいう事務的な仕事(書類処理に限らず、決まったシステム通りの範囲内でその仕事を覚えてこなすような仕事)が向かなくなったことがあります。事務⇔創作と言われるように、どうやら正反対の道だったようです。

2015年に親父が退職するやいなや態度が急変し、僕を厄介払いするようにいきなり月の小遣いを断たれ、勝手にやれ家から出て行けというような態度を取られるようになります。母親の調子が悪くなるいっぽうで(父親の暴力が原因だろうと考えています)、そんな母親の介護を父親一人でできるかどうかが甚だしく疑問だったので、家にずっといるようになった父親が母親の介護になれてうまくこなせるようになったのを見届けながら(僕がサポートしつつです)、ソフトランディングするように僕はパート労働をしながら執筆をし、親父には母親の介護をしてもらおうと考えていました。でも前述のように親父は態度を硬くして、母親の介護も家事もすべて一人でできる、と言い切るのです。僕も腹が立ちますから、それじゃやってみろ、と。でも、冬場はストーブの周りで母親が自分を失ってうろうろすると危ないので(火傷したことがありますし、ストーブを倒しそうになったこともあります)、たまたまあった夏場だけの仕事をすることに。それがコロナ前までの話です。コロナの時代になって家にいるようになると、僕の体調が悪くなり、昨年などは2月末から10月末くらいまでめまいや頭痛やふらつきや急な低血圧による具合の悪さに悩まされました。そして、今年は少し持ち直していたのですがそれでも体調不良といえる状態のなかで、お店の仕事に就いたのでした。

以下、ここから、仕事を辞めることにした理由を3つの方向から書いていきます。



<家庭環境に問題があること>
・朝からガーガーと声の限りに親父が母親に怒鳴り、母親は母親で調子が悪く意思疎通もできない。そういう状態から出勤すると、あたまがぐちゃぐちゃでさらに真っ白になります。仕事を覚えたりこなしたりが難しかったです。それと、僕が働くようになってから母親を起こす時間が10分早くなりました。僕への嫌がらせなのか、というように、そのぶん、親父が怒鳴って僕が疲弊する時間帯が増えました。僕は8時20分出勤で、6時15分に目覚ましがなります。朝一でシャワーを浴びて、野菜サラダと目玉焼きと果物のカットと前日味噌汁の残りを温めなおして三人分の食事の準備をします。そして僕だけが食事をはじめ、食後に自分の食器を洗い、それから生ごみや資源物などのごみを集めて家のすべてのごみ箱を空にし、収集日ならばごみ出しをする。次に歯を磨き、仕事着に着替えてネットをチェックして家を出ていました。けっこう時間がかかるものなんです。その流れの中で、怒鳴りや暴言が吹き荒れていました。そこに介入しなければならないこともたびたびでした。

・夜、眠れなくなりました。以前から母親の調子によって夜中でもおかまなしに起こされているので、目が覚める癖がついてはいました。3時に目覚めて朝まで眠れないだとかがしょっちゅうです。また母親の調子によるものだけではなく、親父は、夜中だろうが人が寝ていようがおかまいなしにでかい声でしゃべったり怒鳴ったりします。気を使って声をひそめるなんてしません。さらに、自分がトイレに起きた時など、僕の部屋の前の扉の横に置いてあるゴミ箱の横でギャーギャーでかい音を出して痰を吐くので、そのつど僕は目が覚めました(これについては、このあいだ訴えてみた結果減りましたが)。くわえて、家のことや自分のことを考えるだけでも大変なところに、仕事を覚えたり考えたりしなければならなくなり、それが過覚醒のような状態に向かわせたのだと考えています。

・帰宅したり休日だったりしても親父が怒鳴っていますし、母親が寝ていても居間で親父がひとりでしゃべっているので、うるさくて神経がひりひりします。「こわいこわい(疲れた疲れた)」とか、今からやることをいちいち言葉にするだとか(「トイレに行くか」「歯を磨くか」「薬は飲んでたかな」など)、かけ声だとか、痰を吐いたりだとか、いろいろとうるさくてこっちは休息にならないし、読書も執筆など何かをやるにしても集中できないのでした。



<職場に問題があること>
・少人数の職場で求人をずっと出していますが、古株の人によるパワハラ職場の傾向がありました。他者を責める感じの人がほかにもいます。自分が正しいという立場から、攻撃的に接してきたり責めてきたり。100%僕が悪いという話しぶりでした。お互いの言葉や考えの食い違いがあっても、それも僕が悪いという話しぶりで、自分が悪いとは言いません。おそらく「責任の所在を明らかにする」の規律が支配しているんです。その影響で、過失割合が100か0かの白黒どちらかにされてしまうっていうのはあります。責任の所在を明らかにしなくてはいけないという体質が、なすりつけや転嫁を生むんだとも思います。過失割合が60:40みたいに宙ぶらりんの状態や、過失割合がよくわからないあるいは悪いのかどうかもわからない場合でさえも、白黒つけて責任の所在をはっきりさせないと落ち着かない、というように。

・人を誉めない職場でした。

・たとえば、品出しをしていて棚の上からものを補充していても、誰からがやってきてその瞬間しかみないで「上から補充してください」と言ってくる。「いや、今出したところで」返しても、まだこれも出るとか言い張られて、相手は自分を曲げません。応援のアナウンスがかかったとき、僕より近い人が動いたのを見たので僕が動かなかったら、それを知らないだろう人が、「応援に行かなきゃ!」と僕を責める。疲れているせいもあるだろうけれど、言い訳や口答えになると思い、飲みこむ場合がほとんどでした。これはよくない態度ですが、なにせ、こっちは新人で教えてもらう立場で、不均衡な間での立場です。こういったところから心理的安全性は脅かされ、パワハラ傾向が普通になっていきます。

・僕になにかを教えようとして話をされても、向こうはひとつのことを伝えるつもりで不足なく伝えていると思っているようでも、僕にしてみたら、言われていることが様々な意味にとれるので、わかったとは言い切れません。すぐさま、ここはどういう意味か、と聞きたくても、話の途中で口を挟むな、と言われて、長々と聞いているうちに何が疑問だったか忘れてしまう。忘れてしまうのは、体調が悪いことも関係しているかもしれません。

・なんでもなすりつけられている感じで、僕も面倒くさいのではいはい受けてしまう。

・○○の仕方、ちゃんと覚えていてください!、とある人が言い、肝心のそのある人はそれを覚えていないだとか。押し付けられてる感があります。

・ある先輩が休憩中にレジに並び、前の客が商品券を使ったので数えたりクリップで留めたりして時間がかかると、小さい声で「早くして…!」と文句を言いました。なんだ、と思いました。もともと、その人は何かを教えてくれて僕がつまづくと、何もしゃべらなくなりコミュニケーションががとれなくなってその人から離れないといけないような状況になる人でした。

・責める、当たる、なすりつけるがひどかった。これは家庭でも親父がそうですし、母親にもそういうところがあります。

・気になるので再度考えますが、責任の所在をはっきりさせる、という体質がゆがんで、あいまいな案件でもすべてひとりを責めて被せるだとかに繋がっているのではないか。

・店内放送で応援を頼もうと受話器をとるも、電話口からはピンポンパンポーンの音声が聞こえるものの、店内に響いていなかった。2回試してもだめで、大声でレジ応援お願いします、頼んで同僚に来てもらった。これをあとで、古株の人たちが集まっているときに告げると、ある人は「声が小さいからじゃないですかー?ちゃんと鳴ってましたよー?」と、こちらの勘違いのせいにするし、事実と違うことをあたかも事実のように言ってなすりつけてきました。言い方も慇懃無礼に似た感覚で、感じがよくないのです。



<僕個人に問題があること>
・もともと疲労している状態だった。一年に原稿を1000枚かけてこそふつうのところ、100枚弱しか書けないような環境と健康状態だった。だから、一年に1000枚原稿を書けるくらいならば、外でも働けるということになると思う。

・支配的な親の元で育ち、その環境のまま生活してきたことで、たとえば過度に気を遣うようになってしまっていて、それが疲労を強くしていた。リソースの8割くらいを他者に気を使うことに向けていて、仕事には2割くらいしか力をさけない。外で働くと人に気を使うことでまず疲れる。エネルギーやリソースの大半を消費してしまうのでパフォーマンスが落ちる。

・ずっと親からそうされているので、責められたり当たられたりなすりつけられたりしやすい。

・じっくり考えるタイプなので、すぐに答えを出すことにためらうし、すぐに出す答えにブレや不適当さが多くなってしまう。おそらく試行錯誤やアイデアをひねりだすための頭の使い方になっていて、あえて誤りや逸脱を選ぶところがあるんだと思うのです。そういったところを社会性を考えて客観的に見てからアウトプットしなければならなくて、そこでスピードの遅さや求められる答えの出なさにつながっている。「そんな面白みもなくて、もっとほじくりかえしたほうがいいような答えに、スピーディーに落ち着くようなことをみんなやってるなんて信じられないし、僕にはできない」といった感じだ。だからそういう職場での同僚とは、話が合わないどころか頭が合わない。効率性、事務性とは正反対のあたまの性質になっているようなのです。



<最後に、まとめ的に>
商売ってもの、お店ってものも「事務」の範疇にある仕事なんだな、と学びました。というか、世にある多くの仕事っていうものは、事務色が濃いものなのかもしれないです。僕はいつの間にか、そうとうに事務とは相いれない人間性になっていました。事務の対義語は創造(創作)という言葉を読んだことがあります。まあわかりやすく大げさに単純化してみせたコントラストなのでしょう。とはいえ、事務分野に頭が働かないことから、僕は事務分野にほんとうに背を向けて創作の方向へ歩いていたことを身をもって知ったのでした。決意というより覚悟して臨んできましたが、覚悟には諦めが含まれているわけで、なにを諦めたかというとその大きな一つが「事務分野への適応力」だったのだろうと、今回気が付きました。昔は事務的な仕事もごまかせるような器用さを持っていたものですけど、いつしか小説に両足をつっこむようになったことでその器用さを失ってしまった。引き替えだったのです。そういった自分自身的な要素もこのたびの退職には理由として大きくあります。くわえて職場だってよくなかったし、家庭にだって大きな問題があります。と、ここ半月くらいときどき内省していました。

合わないこと、似合わないこと、無理なことを続けるとやっぱり体調は悪くなる。後頭部から側頭部を中心とした圧迫感のある頭痛に、首から上、頭部にかけての筋疲労めいた違和感。目の下のクマとその重さ。不眠。そんななかでの少しずつの内省です。効率とかスピードとか、そういった軸で職場ではみんな動きますが、僕はじっくり疑って考えたくなる。すぐに答えを出すことに躊躇するし、誤りや逸脱を徹底的に間違いとするなんて僕には無理だった。僕にとっての創作ってそういうものです。

ありがたいことに、オフラインの関係で意見をくれる方がいます。僕は実家を出たほうが、ほんとうはいちばんいいという意見を複数いただきました。僕一人で考えても、偏ったり視野に入っていない大切なことがあったりすると思うんです。なので、こういう意見をいただけると、とても助かります。多謝!

「健康状態が100%ベストのときじゃないと決断してはいけない」 (松下幸之助) 
そうじゃないと決断を誤るのだそうです。決断のコツだと。録画して最近見たスイッチインタビューで物理学者の佐治晴夫さんが紹介していました。いまの僕にはびびっと刺さった言葉です。
ということで、もう少し体調が回復するまでいろいろ物事の方向を決めるのはやめておくことにします。そして、少しずつ、読書を再開するつもりです。長くなりました。個人的な話をここまで読んでくださってありがとうございます。なにか、類推的に他者の役に立つことがあればなあと思います。
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短編完成、そして送付。

2022-07-15 09:55:00 | days
もう3日前の12日のことになります。完成した小説を「北海道新聞文学賞創作部門」宛てに送付しました。

今回は85枚の分量になりました。応募規定に「50~150枚以内」とありましたから、どちらかといえば短めの作品ですけれども、これでしたら規定内としては余裕があり、たとえば枚数の原稿用紙換算の仕方が文字数ではなく改行などを含めたものだったとしても十分に収まる範囲です。

原稿は5部そろえて送るのが条件でした。ただ、パソコンから印刷をかけてみると、プリンタからインクが漏れ出てるものがあったり、行がだんだん斜めにずれて印刷されたものがあったりなどのちょっとしたトラブルが発生しました。「印刷して送るだけじゃん」というように簡単に考えていましたので、パソコン原稿で35枚になる作品を5部すなわち175枚をいちいちチェックするとなると、小包にする梱包作業を含めて、暑い部屋で汗をかきながらのひと仕事になったのでした。まあ、ちょっとした作業ではあったのですが、意外と労力がいるんですね……。それで、郵便局で簡易書留にて発送。荷物の追跡で、「受取」を確認し胸をなでおろしております。

作品の中身でいうと、今回は表記ゆれを直すか直さないかでちょっと迷い、無理のない範囲で表記ゆれを残しました。厳格なやり方ですべて同じように漢字にしたり平仮名にしたりなど統一すると、センテンスや段落という単位で見たときに、バランスがよくなく見えたり、もしかすると読みにくいかもしれないと思えたりする箇所がでてきたためです。表記揺れを統一するように、以前はワードの検索置換機能で直したこともあったのです。でも、それだとビジネス文書では理にかなったとしても、文芸作品ではごつごつとしてしまうなあ、と。実際、表記ゆれに気を付けてプロの小説を読んでみると、統一されていなかったりしますし。

内容とその出来でいえば、前回の『春の妻』ほどの切れ味はないものの(これは35枚の作品でしたので、分量的に傾向が違ってくる部分ですが)。読みながらののめりこみやすさでは負けていないし、のめりこんでからラストまでの長さがあり、前作よりずっと作品世界にひたれます。話の展開でも、以前に同じくらいの分量で書いたものよりももたつくようなところがないです。まあそこを逆に言えば、話の横の流れが淀みなくなったぶん、浅瀬の部分が増えたのかもしれない。それでも緩急をつけましたし、作品を縦に読んでもらえる仕組みにも出来上がっていますので、作品そのものの質としては高くなったと自己評価しています。これまでの経験を礎に、構築力は少しずつ積み重ねてこられているのを実感しています。

はじめは「10000字から15000字くらいの作品を、本番へのステップとして練習で」と考えて書き始めました。しかしながら、自分の体調や家庭環境を考えながらだと、時間的に本番の作品をつくるのが難しいのがわかってきたんです。それで、騙しだましではありますが、自由に頭を使って制限なく書ければ、と書いていくうちに、設定の部分が広がり、どうやら80枚くらいになることがわかってきます。とりかかったのは昨年の10月の終わりごろで、実は今年の5月末までには35枚程度しかかけていませんでした。そこからエンジンをかけて、一気に書き終えることができたのです。エアコンがついてない部屋で書きますから、暑くなる前にとやってみたら、なんとかなるものでした。

それで、実は6月の頭に急遽、仕事を決めました。朝8:40~12:40、16:20~20:20の4時間のシフトで働ける販売店でのパートです。これだと、介護や世話、家事をしながら働けますし、読書や執筆にも時間を充てられると思ったのです。が、ここ一か月、なかなか本を読み終えられないでいます。疲労によりそういう時間が減ってしまっている。4時間の仕事だからと思ってナメていたら、動きっぱなしで腰痛にもなるしなかなか疲れる仕事だったのでした。8時間勤務の先輩が「この仕事は疲れる」とこぼしていたくらいで、それなら4時間だとしても新人としていろいろ覚えながらだとこれだけ疲れるのもわけがないか、と納得。4時間だから、仕事の覚えがよくないというのもあり……。それでも、粘り続ければなんとかなるものですからね、こちらのほうも励んでいきます。職場の人間関係に少しばかり懸念はありますけども。

そういったところです。文学賞の締め切りは8/20。10月下旬以降に結果が発表されるそうです。うまく選ばれるといいですけれども。やるだけやったので、あとは待つのみ。待ちながら、いろいろと本を読み、次回作に備えたいです。10月までだったら、次回作の設定くらいは考えてそうですし、ちょっと書いてるかもしれないです。

というわけです。うまくいけばいいねー、という気持ちで本ブログを眺めながら気にかけて頂けるとうれしいです。
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曲解していたこと

2022-05-29 21:01:47 | days
量子コンピュータに関する量子アニーリングについての本を読んだとき、内容をよく理解できませんでした。その流れで、量子コンピュータの0と1の重ね合わせの理論を、0と1の間の組み合わせのようなものを無限に解析できるということを混ぜてしまっていたなあと、気づきました。

0と1の重ね合わせは重ね合わせであって、0と1の間のグラデーションではないんですね。量子アニーリングはアナログ的だとあったので、曲解したようです。

いろいろと間違ったまま話をすすめたことがあったはずですが、間違いのタネをばらまいてしまい申し訳ありません。

(近作『春の妻』は「重ね合わせ」でした。そこは曲解が挟まらずに済んでいます)
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「note創作大賞2022」結果報告

2022-04-28 22:09:32 | days
「note創作大賞2022」に短編『春の妻』を応募していました。

3/25の中間発表にて、この賞へ16,848作品の応募があり212名が一次選考を通過したことが発表されました。誇らしいことに、僕の短編もそのなかに入っていました。倍率でいえば80倍ほどの門をくぐり抜けたのです。

それで今夜、最終結果発表がありました。ちょっと期待はあったのですが、残念ながら選ばれませんでした。まあ、次作、そしてさらに次、と力のある作品を書き上げていきたいです。もっと良い結果を得るために。まだまだ、なのです。

応援の気持ちで見守ってくださっていた方、ありがとうございました。これからも坂を上っていきます。

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