標題のとおり、今年の晩春のころにnote創作大賞に応募した作品『パッシブ・ノベル(創作大賞バージョン)』は、選考を通りませんでした。残念ですが、仕方ありません。
ちょうど一昨日の夜に、僕の住む地区では観測史上最大量の雨が降り、近くの道が崩落し通行止めになったのですが、なんだか予兆のような冗談のような奇遇(?)でした。道が無くなったわけで。
さてさて。でもそうも言ってはいられない。『文學界新人賞』に応募する作品が大詰めを迎えています。今朝、印刷したバージョンを読み直してそれでよければ応募するという最終段階にあります。
5月中頃より始動して、およそ4か月かかったということです。その間に、家庭の問題のために20000字超えの資料を作成して二、三の団体と面談したり、国際ロマンス詐欺を働いていると思われる詐欺師とやりとりしてしまったり、知り合いから声をかけて頂いて、少しの間働いていたりなどしました。まあ、定職の身に無く、家事と介護が基本(まあその他にも大きな問題はあるのですが)ですから、仕事が気にかかって執筆に頭がまわらない、なんてことにはなりにくい。それがアドバンテージかなあと一瞬思えたのだけれど、そのアドバンテージを帳消しにする災難が家庭にあるので、そうでもないのかもしれません。
新人賞の規定は、70枚から150枚の作品(純文学)となっています。締め切りは今月末。今回書いたものの分量は、117枚です。今までに書いたもののなかでもっとも枚数の多い作品です。これまでだと、86~7枚のエンタメ作品がいちばん長かったはず。未知の道のりでしたが、この分量だとこれだけ厚みを持たせられるのか、という気づきとおもしろさもありました。
今回はエンタメを書くときと違って、「コントロール」より「表出」だ、という気持ちで執筆に向かいました。そのぶん、初稿があがって読み返すと、いろいろと整合性の取れない部分、喩えるなら、右へ行っていたのに次の段落では左にいる、みたいなことが起こっていました。しかも、あたまがある種のそういう自由モードから抜けきらないので、読み返しても気づけないし、そればかりか、取り立てるほどの問題はないように読めてしまう。これには困りました。
それでも時間とともに、そして暑さのやわらぎとともに(エアコン無し)、直しや推敲ができるようになってきました。切ったり加えたり入れ替えたりができた。そうやって、今の段階までたどり着きました。
そうそう、今夏は僕が生きてきた中でももっとも暑い夏でしたから(エアコン無し(二度目))、早朝に起床して原稿に向っていました。昼間も夜もちょっと無理でした。早いときには朝の3時台。遅いときには5時半には起きて、7時までを目安に書いていたんです。暑くて眠りだって浅いですから、起きようと思えばすぐに起きれました。で、最近、涼しくなったので夜更かしするとすぐに今まで通りの7時前に起床するリズムに戻りました。びっくりするくらい容易にです。つまり僕は本来夜型なんだっていうことなんでしょうね。
で、原稿の話に戻りますが、今年の文學界新人賞は市川沙央さんの『ハンチバック』でした。ご存じの通り、その後、本作品は芥川賞を受賞。これが意味するところはすぐにわかるでしょうけれどもあえて言うと、新人賞を取りたかったら、その人は芥川賞を取るくらいの意気込みと仕事量で望まないと勝負にならないのだということだと思います。
で、今回の選評を解説したネット記事を読んだところ、文章や文体の技術の高さが重点的にみられていたようです。僕の最終段階の原稿も、そういった視点から読み直してみるべきかもしれません。ただ、もうかなり煮詰まってしまっているのも事実。いじるところがよくわからなくなってきている。文章の技術的なところを意識しながらやるのならば、次の作品でやったほうがいいような気がしてきます。まあ、そうはいっても、次の読み直しの機会には気にして読むんですけどね。
というところなのですが、応募完了の際にはまたひとこと、ここで報告しようと思います。
それでは。
ちょうど一昨日の夜に、僕の住む地区では観測史上最大量の雨が降り、近くの道が崩落し通行止めになったのですが、なんだか予兆のような冗談のような奇遇(?)でした。道が無くなったわけで。
さてさて。でもそうも言ってはいられない。『文學界新人賞』に応募する作品が大詰めを迎えています。今朝、印刷したバージョンを読み直してそれでよければ応募するという最終段階にあります。
5月中頃より始動して、およそ4か月かかったということです。その間に、家庭の問題のために20000字超えの資料を作成して二、三の団体と面談したり、国際ロマンス詐欺を働いていると思われる詐欺師とやりとりしてしまったり、知り合いから声をかけて頂いて、少しの間働いていたりなどしました。まあ、定職の身に無く、家事と介護が基本(まあその他にも大きな問題はあるのですが)ですから、仕事が気にかかって執筆に頭がまわらない、なんてことにはなりにくい。それがアドバンテージかなあと一瞬思えたのだけれど、そのアドバンテージを帳消しにする災難が家庭にあるので、そうでもないのかもしれません。
新人賞の規定は、70枚から150枚の作品(純文学)となっています。締め切りは今月末。今回書いたものの分量は、117枚です。今までに書いたもののなかでもっとも枚数の多い作品です。これまでだと、86~7枚のエンタメ作品がいちばん長かったはず。未知の道のりでしたが、この分量だとこれだけ厚みを持たせられるのか、という気づきとおもしろさもありました。
今回はエンタメを書くときと違って、「コントロール」より「表出」だ、という気持ちで執筆に向かいました。そのぶん、初稿があがって読み返すと、いろいろと整合性の取れない部分、喩えるなら、右へ行っていたのに次の段落では左にいる、みたいなことが起こっていました。しかも、あたまがある種のそういう自由モードから抜けきらないので、読み返しても気づけないし、そればかりか、取り立てるほどの問題はないように読めてしまう。これには困りました。
それでも時間とともに、そして暑さのやわらぎとともに(エアコン無し)、直しや推敲ができるようになってきました。切ったり加えたり入れ替えたりができた。そうやって、今の段階までたどり着きました。
そうそう、今夏は僕が生きてきた中でももっとも暑い夏でしたから(エアコン無し(二度目))、早朝に起床して原稿に向っていました。昼間も夜もちょっと無理でした。早いときには朝の3時台。遅いときには5時半には起きて、7時までを目安に書いていたんです。暑くて眠りだって浅いですから、起きようと思えばすぐに起きれました。で、最近、涼しくなったので夜更かしするとすぐに今まで通りの7時前に起床するリズムに戻りました。びっくりするくらい容易にです。つまり僕は本来夜型なんだっていうことなんでしょうね。
で、原稿の話に戻りますが、今年の文學界新人賞は市川沙央さんの『ハンチバック』でした。ご存じの通り、その後、本作品は芥川賞を受賞。これが意味するところはすぐにわかるでしょうけれどもあえて言うと、新人賞を取りたかったら、その人は芥川賞を取るくらいの意気込みと仕事量で望まないと勝負にならないのだということだと思います。
で、今回の選評を解説したネット記事を読んだところ、文章や文体の技術の高さが重点的にみられていたようです。僕の最終段階の原稿も、そういった視点から読み直してみるべきかもしれません。ただ、もうかなり煮詰まってしまっているのも事実。いじるところがよくわからなくなってきている。文章の技術的なところを意識しながらやるのならば、次の作品でやったほうがいいような気がしてきます。まあ、そうはいっても、次の読み直しの機会には気にして読むんですけどね。
というところなのですが、応募完了の際にはまたひとこと、ここで報告しようと思います。
それでは。