Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

食べるのが好き。

2020-08-12 12:31:21 | days
こんにちは。
僕の街も今日はとても暑いです。

こういう暑い時期、外で仕事をしている人にかぎらず、
きっと多くの人が暑さのために食が細くなりがちではないでしょうか。
いやいや、現代はエアコン普及時代ですから、
それほど困ってはいないなのかも。
とか想像してみても、昔よりも暑さの厳しさは増しているので、
エアコンがあってもやっぱり身体はきついかな。
……などという僕の家に、エアコンはありません。

さてさて。
僕は母親の介護の手伝いと家事、
それも料理関係を中心に担当して生活しています。
この、食が細くなる時期、
何を食べるかいろいろ考えた方がいいのでしょうが、
昨日まではいつも通りのリズムを守り、
がんばって食べて(僕個人はふつうに食欲があります)、
体力を落とさないようにしてきました。
今日は、父親のリクエストで、そうめんにするのですが、
買ってあったさんまが今日までの消費期限なので、
焼いたさんまをつつきつつ、そうめんをすすることになるでしょう。

それで、今日は、なんとなく、
僕がどんなものを料理し、食べているかをちょっとご紹介します。
ここ一週間の夕飯の献立を。
_____

8/5
・すけそうだらの甘酢あんかけ
・しらすおろし
・じゃがいもと玉ねぎの味噌汁

8/6
・カツとじ
・無限ピーマン
・大根と油揚げの味噌汁

8/7
・えのきとネギの豚もも肉巻き
・なすのおひたし生姜にんにくだれ
・にらの味噌汁

8/8
・いわしの缶詰
・スモークサーモンのマリネ
・さつまいもきんぴら
・なすと油揚げの味噌汁

8/9(3人)
・鶏むね肉のわさびマヨ
・細竹と人参と高野豆腐の煮物
・えりんぎと油揚げの味噌汁

8/10
・新たまねぎと豚肉の南蛮漬け
・つきこんにゃくのおかか煮
・小松菜と油揚げの味噌汁

8/11
・さつまいもご飯
・スペアリブ煮込み
・もやしと油揚げの煮びたし
・ほうれん草の味噌汁
_____

まあ、こんな具合です。
9割方、ネット検索でみつけたレシピで作っています。
自分の手ぐせに頼って作らない分、
好い意味で味に偏りができて、
味つけに飽きがきづらいのが、このやり方の長所。
揚げものは基本的につくりません。
油の処理だとか面倒だしなあ、と思うタイプなんです。
5月にてんぷらを揚げて食べて、
今度コロッケを作ろうとは思ってるのですが、
それくらいですかねえ。

昼ごはんは麺類がおおく、
そうめんやそばやうどんはもちろん、
焼きそば、スパゲッティ、ラーメンなど、
そして、おにぎりをにぎったり
チャーハンやオムライスを作ったりですね。
ただ、週の半分くらいは、
食パンにジャムをつけたりとろけるチーズをのせたりして食べています。

朝ごはんは、親たちがほぼ納豆を食べるため、
納豆用にねぎを刻んで、
サラダ用にキャベツとトマトを刻んで、
果物を切り分けて、といった感じ。
たまに、ベーコンエッグや卵焼き、ウインナーを焼いて食べます。
もっとまれに、コーンやほうれん草を炒めて食べています。

もうちょっと楽にしてもいいのかもしれないですが、
母親が生活にたいして楽しみにできるところは、
ご飯やおやつを食べるときくらいなんです。
だから、そこをできるだけちゃんとやろうとしながらやってきて、
自分で作れるレシピが少しづつ増えていきました。

母親は魚が好きなので、魚を焼くことがけっこう多いです。
あと煮たりもするし、お刺身も買ってくる。

僕も食べるのは好きなので、
がんばって(時に無理もして)料理をすることへの見返りがないかなあ、などと
考えることはないです。
もう、料理することは気分転換や楽しみ、としてできるくらいにはなりましたね。
12年目なのかなあ、うちで料理担当になってから。

一応、きちっと作る理由は、
その他に父親がコンビニやスーパーの総菜や弁当を嫌がるというのもあります。
そのくせ、僕が外に稼ぎに出て自分が料理担当になると、
いろいろ惣菜買ってきていたんですが、まあ、それは追求せずにやらせておきました。

そういう、いろいろな面倒をまるっと飲みこんできて、
こういう今の状態になっているんですよね。
僕は料理が好きになれてよかった例です。
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近況、そして新型コロナを考える。

2020-04-01 00:07:14 | days
北海道はいまのところ、
先月の緊急事態宣言が効いたっぽいです。
本日は「新型コロナの新規感染者はなし」に落ちついた。
9日に札幌へいったときには中心地を歩くおよそ8割以上の人が
マスクをしていました。
やっぱり知事による宣言によって新型コロナへの意識が生まれたんだと思います。
僕もこの二カ月で外に遊びに行ったのは一度だけ。
もともと本読みだし、ひきこもってても大丈夫なタチ。
それに、まるでこういう時期の到来を見越していたかのように、
未読の積読の冊数は300を超え、
買い溜めた映画のディスクも、未開封のCDも多数ある、という状態だったりします。
実はいくらでも家にこもっていられるのです。

……などと言っていても、そろそろ生活に変化が訪れる時期です。
冬季にとくに大変になる母親の介護なんですが、
こっちを今シーズンもなんとかやり通して明日からはもう新年度なわけでして、
ぼちぼち、また観光の仕事がはじまるのです。

また今年も父親に母親の介護をひとりでやってもらう時期が近づいてきたのだけれど、
これがまた不安、というか、おそらくうまくいかないだろうと……。
はっきりいって母親の病状的にも厳しいのだけれど、
父親自体の性格も災いして(すぐにパニックになって落ちつかない)、
最初の1週間でひどいことになりそうでもある。

もしも、(というか、その公算のほうが高いのではないかと感じはするのだけれども)
観光の仕事が新型コロナの流行の為にその開始が延びれば、
家庭の方は僕が家事をしたり見守りをしたりするので落ちつくんです。
しかし、僕個人はそのためにまるきり稼ぎがない。
また、「いやいや、北海道は落ちついてきたから通常通り始めますよ。」
となったらなったで、道内に限らず道外や海外(現状ではそれは無いかな)の人たちと
仕事で交流することになりますから、新型コロナをもらう確率が急激に高まります。
やっぱり、多くの人たちと同じように、今年は苦しい立場にあります。

でも、仕事がなくなった場合でも、両親が年金を受給していますから、
食べていく分には食べていけるんですよ。
なんていうか、介護をしなければならないという不可抗力ゆえの寄生状態です。

そんなわけですから、
僕は、自宅にひきこもって出来る、
「小説を書く」という種類の創作が好きでよかったなあと思いもします。
仮に、同じく自宅で出来る仕事の、
「プログラムを組む作業」ができる人だったなら、
自室でアプリを作るなど、仕事に困らなさそうなので、
そっちのほうがずっとベターですけども、
学生の頃にHTMLですら、
メモ帳だとかで組めなかった僕ですから(ソフトでサイトを作ってはいました)、
そっちの素養がないんです。
一念発起して勉強してたら違ったのかもしれないですが、
もともとの素養としては小説を書く方がいいんですよねえ。

と、ちょっと話が逸れていきましたが、
新型コロナははたしてこれからどうなるのか、
その展望を、仮定のものであるとしてでも、
ずぶの素人ながらちょっと持っておきたい。
以下、新型コロナに対する素人考えですが、
この時点での備忘録的に記していきます。

まず、けっこう前から言われている集団免疫。
新型コロナの感染力を考えれば、7割くらいの人数が新型コロナに罹り、
抗体を得たならば、流行が治まるというものでした。
ただ、感染力の算出、R0(アールノート。基本再生産数)の推定値が
はたして正しいものかどうかの疑問がまずあります。
この間みたWEBの記事で、新型コロナのR0は2~2.5で、
だから集団免疫まで6割から7割くらいの人たちが感染して流行が終わると導き出される、
と書かれてあったと思うのですが、
もしももっとR0が高ければ、人口の8割だとか9割だとかが罹患しないと
流行はおさまらないことになるんじゃないか。
このあたり、まだはっきりしていないですよね?
それと、致死率が、今日のニュースでは0.66と出ていました。
インフルエンザの0.1より高いです。
そんな高い致死率の病気を、集団免疫が得られるまで放っておいたら、
この病気に弱い、高齢者や基礎疾患を持つ人たちをはじめ、
犠牲者を黙認することになってしまう。
これはちょっとなあ、と考えてしまう。

次に、ワクチンや治療薬の話。
まず、100%作れるというものではないことが、
このあいだのNHKスペシャルでちらっと言われていました。
作れたとしても、治験に時間がかかったりします。
早くて1年後くらいじゃないか、なんて言われる。
しかし、ワクチンや治療薬がそのうちできるという前提で構える姿勢でいることが、
実は精神衛生的にも戦略的にも有効ではないか。
なんとかワクチンができあがるまで、これ以上感染を広げない。
最終的に集団免疫で克服されるものであったならば、
自然感染に依らず、ワクチンで抗体を得ることで集団免疫を得たいものです。

なので、新型コロナは、
感染力が高く、毒性もインフルより強いという怖いウイルスですが、
みんながみんな、自分がそれに罹るのをできるだけ先延ばしにしようという
切実な心構えを持つことが大切なのかもしれません。
よく言われていますが、
人との物理的な距離を通常より広く保つこと、
密閉、密集、密接の「三つの密」を避けること、
手洗いやうがいを必ずすること、といったことを
ほんとうに心がけて、
自分が感染するのを遠い未来のことへと遠ざける。
基本姿勢はそこにありますよね。

だけれど、個人的にだとか、世帯的にだとかの経済事情があります。
会社も、サービス業や飲食業、観光業や宿泊業、イベント業を中心に、
そうとうつらいでしょうから、
そういった仕事をしている人たちは、失業のリスクが高まっているし、
給料だって減っている人もいるでしょう。
自粛をお願いされても、「自粛していたら食べていけない!」
ということになります。
ニュースによれば、政府は現金給付を、
一部の、大幅に所得の減った世帯におこなう、
ということでしたが、なんだか給付までにもすごく時間を要しそうですし、
自己申告だなんて噂もありますから、
国の財政も相当きついのか、なんて考えたりもしました。
国の財政は国力に繋がりますから、
北朝鮮や中国、ロシアの動き、
それもアフターコロナと言われる新型コロナ収束後の読めない世界情勢のリスクを
もしかすると考えているのかな、なんて頭に浮かびもしました。

ご存知でしょうけれども、
今は欧米がとても大変な状況で、
イタリア、スペイン、そしてアメリカのニューヨークも医療崩壊しているという報道があります。
日本も、東京はあと100床の余裕しかない、という話もありましたし、
感染爆発が起きたら、どこの都市でもお手上げになってしまう。
患者はトリアージによって、症状が辛くても治療してもらえないケースがある。
命に優先度がつけられてしまいます。
まだ、日本は感染爆発が起こっていませんが、
怖いのは、このウイルスの潜伏期間が2~3週間くらいあることです。
もしかすると、2週間前、1週間前、3日前だとかに一線を越えてしまっている恐れすらある。
それでも、できる限りの注意と予防の意識を持つことは、大切だと思います。
より最悪なケースを避けるために、ひどい状況になってもヤケにならない、
そういった心構えで新型コロナに向き合うべきだと思っています。

あと、世界的な状況でつけ加えて考えておくことは、
南半球でも流行していることから、終息までにはまだまだ1年、2年単位かかるかもしれないこと、
逆に、中国や韓国での感染者の増加率が下がってきたことなど、そしてまた、
イタリアやスペインでもちょっとそういう傾向が見られることなどから、
案外、感染爆発の終息は近いのかもしれないという展望もあること、
でも、これから発展途上国での感染爆発が予想され、
それによって世界的流行が長引く可能性があり、
ウイルスが変異することも考えられ、
その場合だとワクチンが再度開発されないといけないこと、
などなどあります。

……と、いろいろ述べました。
僕の把握力は目の粗いザルみたいなところがありますので、
もっと重要視しなければならないポイントを見逃してもいるのでは?
と言えなくもないです。

今回、まず感染しないことっていうのが一番ですが、
同じくらい、経済について考えなきゃならないですし、
アフターコロナを見据えて計画したほうがいいこともあります。
そして、アフターコロナで世界情勢がどうなるかも気になるところです。
たぶんパワーバランスが変化するでしょうから。

いろいろと、知恵を結集し、勇気をだし、慎重さを忘れず、
少しでも犠牲者を少なくして世界中で乗り切っていけることを信じて。
応援しあって、頑張りましょう。
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志村けんさん。

2020-03-30 18:50:51 | days
志村けんさんが逝去された。
新型コロナウィルスが、僕らから志村けんさんを奪ったのだ。

その訃報を知ってから、
新型コロナに対する憎さが僕のなかに生まれました。
お前らは敵だ。
それも、憎くてしょうがない敵だ。

正直、有名人が亡くなってこんなに悲しくなるなんて思いもよらなかった。
会ったこともない、テレビなどでしか目にしない人なのに。
夕飯を終えて自室に戻り、寝転んでいたら涙が止まらない。
もう30分以上も止まらない。
自分のじいさんやばあさんが亡くなったときより悲しいのだ。

小学生の頃、『8時だョ!全員集合』が一番好きな番組だった。
毎週、土曜8時が楽しみだった。
仮面ライダーよりも好きだった。
僕はあたまがとろかったところがあったのか、
そのころちゃんとわかってみていられるテレビ番組ってほとんどなかったのかもしれない。
そんななか、『8時だョ!全員集合』は爆笑して、のめりこんで観ていた。
なかでも志村けんさんが大好きで、出オチで笑ってたところもある。
あれだけ食い入るように、夢中になってみていたのだから、
『8時だョ!全員集合』を観ることは、僕にとって、
毎週一度だけ1時間、
志村さんに遊んでもらっていたのと同等の恩恵を得ていたと言えるかもしれない。
小学生の時分にして、もう一生分も笑わせてもらっていたような気がする。

あの笑いの内容が、小学生の情操に良いものだったか悪いものだったか、
考える人は考えるだろうし、
当時、PTAなんかからクレームがいったなんて話もあった。
でも、大人になった僕が志村けんさんの訃報にこれだけ涙するのは、
小学生の頃に享受した志村さんはじめドリフターズの笑いが、
自分を構成するその一部になっているからだと思う。
自分のどこの部分で一部になっているかはわからないけれど、たぶん、
もはやぐっと抽象化されてずっと深い部分を構成しているのだろう。
だから、こんなに涙が出る。自分の一部でもあるから、涙が止まらない。
そして、そんな自分を恥だとは思わない。
堂々と、志村けんさんの死に対して、止まらないほど涙したと言おう。

小学生以来、あまり志村さんの番組を観なくなったけれど、それでも涙が出る。
近年、NHKで放送された『となりのシムラ』もよかった。
けっこうな哀愁を帯びているキャラクターを演じる志村さんの笑いに、
こちらも笑うことで、その哀愁をふくめて共鳴した。

実像の志村けんさんを知らない。
僕が知っているのは虚像の志村けんさんだろう。
その虚像の志村けんさんの死に悼んでいたとしても、それで一向にかまわない。
実像だろうと虚像だろうと、
その人情を交えた仕事ぶりを受け取ることで、
僕は彼の存在を自分の一部としたのだから。

よく、亡くなった人の分まで生きていく、という言葉を表明する人がいる。
僕にもその意味がようやくわかったように思う。
自分の一部となっている彼の体温を、ずっと抱えたまま僕は生きていく。
僕の人生にも、彼の人生のベクトルが少しばかり宿っているのだ。
それを誇りに、生きていく。
憎き新型コロナを睨みつけながら。

志村けんさん、いままでありがとうございました。

天国ではいかりや長介さんが先に待っていて、
「お、志村、次にこっちに来たのはお前だったか」
なんて意外そうな顔をして言ってそうで、志村さんが苦笑いで応えていそう。
そういう想像をすると、涙のなかにもちょっと笑いが生まれてきます。

……ああ、やっぱり悲しいけれど、
お別れって、やってくるんだなあ。

さようなら、志村けんさん。

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応募用短編、執筆作業終了。

2020-03-26 21:08:08 | days
一昨日、応募用短編小説の執筆を終了しました。
とはいえ、まだ「直し」や「推敲」がありますから完成ではありません。
今回の執筆では序盤と終盤で文体が違ってしまったので、
それに手を加えねばなりません。
必然、描写や比喩が増えて内容が膨らむ場合もありますし、
くどくなったからどう削ろうか、という場面もでてくるでしょう。
大きな峠を越したけれど、めざす所までまだ距離がある、といった感じですね。

作為的に書くぞ、と決めて取り組みました。
自然に物語のおもむくままに、といったやり方はあまりしませんでした。
その大きな理由は、エンタメ方向へもっと舵を切るためです。
純文学方面よりも、エンタメ方面で書いたほうが、
僕が想定する読者層に当てはまると考えているからです。
ちょっと込み入ったムズカシイことを書きもするけれど、
読もうと思えば読めて、純文学ほどわからなくはない、
そして、読んで得るものがある、というものを毎度書こうとしています。
今回も、その延長線上にあります。
ただ、論文ではなく小説なので、最終的な部分は読み手にまかせるようにしています。
僕なりの答えが出ることはあるのだけれど、
それをごり押ししない、正解にしない、というように考えています。

今のところ70枚ちょっとですが、
直し作業によってもういくらか増えそうです。

このあいだアップした1万字短編『ランベイビー、ラン』でも
作為的にエンタメ色をもたせることを念頭に置き、書きました。
その流れで今回も書いています。
こうして経験を積んでいって、
少しでもおもしろくて豊潤な物語を書けるようになるため、
技量と想像力を強くしていきたいです。

送付先は『オール讀物』新人賞にします。
6月20日締め切りなり。

近況、ご報告まで。
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短編執筆が始まっています。

2020-02-22 22:53:33 | days
新作短編小説にとりかかっています。
応募用です。

まだ1万字程度ですが、
たぶん、60~80枚くらいで物語は収束するのではないかなあ、
とだいたいの目星をつけてはいるんです。

でも、書きながら、設定や元々の物語の筋を修正したり大きく変えたり、
今回はそういう書き方をしていますから、
どうなるかについては明確には言えません。

本当なら、そのくらいの分量だったらば、
集中して2週間くらいで仕上げるものなんだろうけれども、
なかなか、環境として、そうはいかなくて、なんです。

だから、締め切りを3月末にしました。
これなら、僕でも相当余裕を持てるし、
かつかつな感じで書かなくていいですからね。

また、一度書き終えても、
それから書き直しすることに嫌気をもったり億劫になったりしてはいけないと
最近考え直しているので、すこしずつでも
書き直しの習慣をつけていきたい。
書き直しなどなんでもないことだ、という意識にしていきたい。

そんなところですが、
どうやら風邪気味なんです。
ここ数日、気管のあたりに違和感があります。
熱はないのですが、
もしや新型コロナウイルスではないか、と
勘ぐってしまいます。
だって、すべてがすべて重症化するものでもないのでしょう?
だとすれば、可能性はなくはない。
軽く済めば逆に幸いなんじゃないだろうか。
まあ、新型コロナウイルスかどうかはわかりませんが。
マスクがいっこうに買えない人としては、
このまま軽く済んでくれたら非常に助かる……
という願望が、ただの風邪を新型コロナウイルスにしたいのかもしれません。
あしからず、です。

対策は、手洗い、うがい、などですよね。
くれぐれも気をつけていきましょう。

というところで話は「執筆」に戻りますが、
そんな状況下でも、
これは仕事なので、ちゃんとやっていこうと。
稼ぎにはならないことでも、自分からやっていく仕事だから、
と胸を張って取り組んでいきます。
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謹賀新年2020

2020-01-04 13:29:10 | days
あけまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は、読書60冊、原稿500枚の目標を立てたと思うのですが、
読書は56冊、原稿は約100枚で終わってしまい、
早い段階から、目標は遠い蜃気楼のように
追いかけても絶対に届かないものになってしまっていました。

なので、今年は目標を立てないことにしますが、
Do the Best!の気持ちです。
量もさることながら、執筆面では向上することを第一にします。
読んで楽しいエンタメを書き、これはと思ったら硬派なものにも挑戦したいです。
すこしわかってきたので、エンタメをやりたいのか何が書きたいのか、
混然としすぎるのは避けられそうです。
あとは、小説的技法、ミクロ(一文一文)でもマクロ(構造)でも
意識して力をつけていきたいですし、
遅まきながら、少しずつわかってきたところがあるので、
ちょっとはできるんじゃないかなあと思いもしています。

昨年末にはカクヨムにエンタメ1万字短編『ランベイビー、ラン』をアップしました。
ちょうどWEB短編賞の募集広告がツイッターに流れたのを見て、
書いてみようと思い立ったんですよね。
なんていうか、自分をパロディにしているわけじゃないんですけど、
手持ちの材料で料理した感じの短編になっていますし、
それこそ、これまでで一番のエンタメにすることができました。
最初の1000文字くらいを書いた時点で設定メモを見つめながら、
こうやったら話がエンタメとして趣のある方向へ流れていくなあと気付いて、
ちょっと迷ったんですが、そっちを選択したんです。
それは、そっちのほうが断然歩いたことのない道だったので迷ったんだと思いますが、
選んでよかったわあ、と心から思います。選んでなかったら人生変わってる、くらいに。
自画自賛する気は無いんですけど、けっこう気に入っていますし、
「これたぶん、誰かに読んでもらっても面白いぞ」
と感じています。
おすすめなので、興味を持って頂けたら読んでみてください。
『ランベイビー、ラン』

また、平成31年ぎりぎりに掌編『平成』を残せましたけれども、
『ランベイビー、ラン』は、
令和元年ぎりぎりにも爪痕を残すためにちょうどよい機会だったのです。
どっちも同じ2019年に書いたものにはなるのですが、
元号で考えると違うので、個人的に記念作品みたいになります。

今年は目標を立てないとさっき言いましたが、
それでもどこか文芸誌の新人賞か地方文学賞に応募するつもりです。
執筆をやっていきながら、例年通り読書を中心に本ブログを更新していきますから、
今後ともご贔屓にしていただきたいです。
よろしくお願いいたします。

そんなわけで、以上、新年に言いたいことでした。

皆さまのもとに多くの幸せが訪れる2020年になりますように。
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短編発表in「カクヨム」

2019-12-26 13:58:26 | days
小説投稿サイトの「カクヨム」に、
新作の短編をアップしました。

タイトルは
『ランベイビー、ラン』
です。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893284384/episodes/1177354054893284464

「アパートの二階、自室にいた若く痩せた男は、
雨の中、傘も差さずに眼下を走り抜ける女を目撃する。
どうして? なぜ? なにかあったのか?

走る女と、若く痩せた男を中心に流れていく、
群像的現代ファンタジー。」(概要)

9855文字、かつエンタメですので、
そんなに時間がかからずにすらっと読めると思います。
ぜひ、ご一読いただけると嬉しいですー。
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上原ひろみ JAPAN TOUR 2019“SPECTRUM”札幌公演

2019-11-23 17:23:49 | days
10月21日木曜日。

行ってまいりました、
「上原ひろみ JAPAN TOUR 2019“SPECTRUM”札幌公演」。



コンサート・ライブに行くのが15年ぶり。
それでこんなに素晴らしいコンサートと出合えたなんて。
「HAPPY END」感みたいな感覚をもった楽しさがあったし、
もう言葉もないくらい幸せ。
An Amazing Night!!

今回のアルバム『スペクトラム』をずっと聴いていて、
さすがだなあ、いいなあ、と思っていたんだけど、
コンサートのほうがその何倍も好かったしすごかったです…。

超絶技巧にユーモアを混ぜてお客さんみんなをくすくす笑わせるんですよ。
そうして最後にズバンととんでもないものを聴かされる。
ブラボー!!!!!

非日常感覚にどっぷりはまれて、
楽しくて、そして驚嘆させられる2時間でした。
濃密、かつさっぱりしたキレみたいなのがある感じがしました。
あんなに好い表情で、
ピアノと深くて近いやりとりをするひとってなかなかいないでしょ。
宝物の時間を過ごしました。

なんだか、自分の中に眠っている何かを呼び覚まされたような気がしました。
それも、今回のこのコンサートに来なかったら、
一生、一度も目覚めることのない何かを呼び覚まされたような感じ。

無意識レベルに感応が生じて、意識レベルにその波紋がひろがっていく。

僕の人生、日常、いろいろあるのですが、
今回のコンサート参加によってなにがしかの影響があるかもしれない。
力のある、素晴らしいコンサートでした。
拍手。

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小説発表の告知

2019-11-02 00:01:13 | days
こんばんは。

今年は某地方文学賞に短編を応募したのですが、
選ばれませんでした。
残念ではあるのですが、
そこで佳作を獲った作品の講評に、
「読みやすかったがそれがマイナス」
とあって、ちょっとこれは……と。

僕の執筆スタイルとしては、
これまでかなり読みやすさを重視してきたんです。
「なに書いてあるかわかんない」的な感想を、
書き始めた頃に頂いた、というのが理由として大きかったのかもしれない。

でも、
バンド・サカナクションの山口さんが言っていたのだけれど、
受け手の方から手を伸ばしてもらえるということがある、と。
ちょっと考えてはいたんだけれど、
次作はそれを想定してみようかしらん、なんて思うわけでして。

となると、読みやすい短編は、
今回発表する作品で終わりになるかもしれないです。
そのうち回帰する可能性はありますが、
そのときはまた何かを得てから回帰することになるのでしょう。

内容としては、表現できたほうだと思っています。
いままで書いたものをプロローグ扱いにして、
今作からがはじまりだ、と言いいたいような気だってします。
とはいえ、そこは読んでいただく方にとっては大した問題ではないので、
おもしろみを感じていただけたならと思うところなのでした。

タイトルは『求道の落ち葉』です。
23000字を明日、一挙掲載予定です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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8月期無更新を経て。

2019-09-05 13:48:30 | days
こんにちは。

久しぶりの更新になりますが、
それでも今回の更新は挨拶程度ですので、
お楽しみになっていただくのはまた次回ということで。

読書。
8月は一冊も読了できませんでした。
仕事は繁忙期で、
家庭ではおふくろの介護の手伝いをちょっとだけしていましたが、
その介護をもてあます親父の暴力的言動や行動に、
こっちの心身が耐えきれないため、毎日どこかへ外出。
心身を消耗させないことを優先するという選択をして、
金銭と時間をその代償としました。
そのため、読書もなかなかできないし、
思索も深くは進んでいかないわけでして。

ただ、今回自覚しましたが、
どうやら運転時間中に内省しているんですよねえ。
一人きりになれる時間と空間はそういうときしかなくて、
そういう時間にこそ、内省ってやっとできるのかもしれません。

短編小説のほうは、例年とは違うところに応募しました。
まだ結果は出ていません。

おふくろはたぶんまた入院の運びになります。
来週中かな、という感じ。

おふくろを在宅で看る、おふくろの健康を優先する、
という行為をずっと選んできて、
僕の、自分の人生の多くが犠牲になっていったと思う。
時間や金銭はもちろんそうなのだけれど、
損なわれてしまった人的資産(昔からみての、未来のものも含めて)、
そして、自分の心身の健康。

自分のこころについては、
おふくろがこういう病気だということを秘めることで負った深い傷があり、
それを癒して再構築するために、
実に多くの時間を費やしたと思います。
ただ、その途上で(今も途上ではありますが)、
得たものはとても大きかったし、
合い間をみて読んだ読書や、小説を書く過程での思索によって
自分の中に生まれた知見や感情や、人間らしさというか生物らしさというか、
まあ、うまくはいえませんが、人生修養がいくぶん深くできたのは確かです。
苦しみは、人生へのよく効くスパイスだなあと、
身をもってわかるような感慨があります。

また、8月は転職活動もしていたんですよ。
8月のあたまから丸々一カ月かかりました。
45歳以下の事務職の募集があり、
面接試験と作文試験(原稿用紙2枚まで)を受けました。
しかし、たぶん経験不足と椎間板ヘルニア持ちなのが引っかかって、不合格でした。
作文は、①まちづくりについて期待すること、②仕事に対する姿勢について、
という二つのテーマから選べというもので、僕は①を選び書きましたが、
性格的なものがあるんでしょうけれども、
2枚の原稿用紙を、攻めた内容で埋めてきました。
もしも作文で落ちているならば、
あの内容を受けとめきれない組織だということなので、
それなら入社しても窮屈だろうし、不合格でよかった、ということになります。

そんなこんなで、
9月に入ってしまいました。
近々読了できそうな小説と解説文ものが一冊ずつあります。
また、更新していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
待っていてくださった方々、ほんとうにありがとうございます。
またいろいろな本や考えを紹介していきますから、
読んでやってくださいまし。

それでは、今日はこのへんで。
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