Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

言葉アリキ

2007-06-19 22:47:26 | 考えの切れ端
例えば、
ストーカーという言葉や概念が現在に存在するからこそ、
ストーカーにならないで済む人というのがいると思います。
ある男が、電話が繋がらないために何回も電話しようとして、
「あ、これじゃストーカーといっしょじゃないか」と気づく。
ストーカーという美意識やモラル感に反するイメージを持つものが
存在しているからこそ、それを思いとどまらせることが出来る。
もしもストーカーという言葉が一般化する以前だったならば、
何度も何度も出るまで電話したかもしれません。
そしてその行為に対する罪悪感も感じないのかもしれない。

同じように、カウチポテトという例も考えてみましょう。
カウチポテトという言葉があってそれを知っているからこそ、
カウチポテトをしない人がいると思います。
「あ、これじゃカウチポテトじゃないか、かっこわるい」と気づく。
まぁね、カウチポテトくらいどうでもいいじゃないかとも言われそうだけれど、
この言葉が無ければ、ずっと寝そべってお菓子をぼりぼり食べることに
なんの疑いも感じずにいるかもしれない。

悲しいことに、言葉ありき、です。
あんまり深く物事を考える時間が無い現代人には、
(古代人も古代人でそうかもしれないけれど)
行為の根本を見つめる時間も少ない、あるいは、持てない、
持とうという気すらないのではないでしょうか。
そんなことじゃいけません。
そのうち、どんどん間違いを犯していった先で自己嫌悪に陥るかもしれない。
ま、反省するんならそれでいいのかという厳しめの見方もできるのですが。

こんなことをヒマ人の僕は思うわけです。
ヒマ人の役割ですね。
ま、あんまりヒマ人ヒマ人と書くと本当にヒマ人と思われそうだけども。
時間の余裕があるってことですね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする