読書。
『音楽の根源にあるもの』 小泉文夫
を読んだ。
音楽学者・芸大教授・小泉文夫(1927~1983)の、1963~1977までの
8つのエッセーと2つの講演と3つの対談を収録した1977年発刊の本です。
1994年から平凡社ライブラリーで再発行されています。
まえがきを含めた、最初の数ページからぞくぞくさせられて、
早くも「これは面白い本に決定だ!」と太鼓判を押して読み進めてみれば、
なかなか専門的な箇所があったり、見慣れない言葉がちりばめられていたりして、
特にエッセーの部分はちょっと難しかったのですが、
それでも、内容は十分に興味を惹かれるものばかりでした。
読んでいる期間中にTwitterでこんなツイートをしましたが、
それはこの本の内容の一部をかいつまんで理解して、感心したからでした。
>「にらめっこしましょ、あっぷっぷ」「ぐっとっちーぃであったひとっ」
>「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます」「おにごっこするひとこのゆびとーまれ」などなど、
>これらのわらべうたって民族的な歌なんだなぁ。自分たちは現代人だから民族の血は薄いと考えがちだけど、
>んなこたぁない。
これをテーマに扱っても、2000字、3000字で何かを考えながら語れますね。
でも、今日はそうしません。大体、この本は、まず読んでみて満足が得られ、
そればかりか、そののちに読者が想像や推理などの思考の翼を広げて、
自由に思索できる類の本です。それにもともとこの本の感想記事がこれなのですから、
この本を読んでくださいということで、省略します。
「ポストモダン」なんて言う言葉が使われていると、それが近い未来を照らす明かりとしての
役割を持つ論考であり、それを語る人のことじゃないかって思いますよね。
そういうのも大事なんだと思いますが、30年前を振り返る「プチ温故知新」も悪くないもんですよ。
振り返って読んでみて良質だとわかるのは、この本が出てから世に出てきたような人たちが、
この本に書かれているような考え方を学んで礎として、今日の思想なり概念なりを作り出しているからなんです。
だから、今の世の、僕らの世代以下の人たちはきっとそう知覚している人が多いかと思うのですが、
標語にしても、本に書いてある概念にしても、文化人が語る思想にしても、どこか、
空に浮いたラピュタの島のような、どうしても足がかりがわからないんだけど、
ふわっとそこに着地できてしまったっていう不可思議な感覚を覚えるのです。
もっとわかりやすく言えば、食べ物屋に入って、注文して料理を出されて、食べて美味しいのだけれど、
その材料や調理法がよくわからないという状態なんですよ。
料理が思想や概念などにあたります。
つまり、現在の思想や概念がどうやって出来たか、
どういう問題や問題意識から生まれて変遷してきたかというのが、よくわからない。
そのよくわからないところが、この良質な「プチ温故知新」で何かつかめます。
今の世につながる、思想や概念の根底の部分が揺さぶられる。
そういった役割も持っているのがこの本だと言えるでしょう。
だからといって、そればかりじゃないんですよ。
きっと現在ではちょっと忘れかけられているような大事なモノの見方が載っていたりする。
たとえば、クジラを獲るエスキモーとトナカイを獲るエスキモーの
リズム感の違いから考察する、そもそもリズム感とはどういうものかという分析などがあります。
小泉さんは民族音楽を特に重点的に研究されていたらしいですから、
それが音楽の枠にとどまらず、文化にも話がまたがり、人類史にも話が及ぶようなところもある。
エッセー、講演を経てちょっと知識を入れた後に読む対談もすごく面白いんですよ。
脳科学者の角田忠信さん、作家の岩田宏さん、詩人の谷川俊太郎さんとの対談です。
小泉さんはもちろんのこと、みなさんすごくフラットで鋭く物事をみてらっしゃるなぁという印象でした。
本物の文化人とはかくありなんという感じ。
たくさん揺さぶられるお話がありながらも、特に面白かったのは、
谷川さんの「言葉と概念」に関するところでした。
言葉に対して真剣勝負をしている人の、戦場の最前線での言葉のように受け取れました。
とにかく、良本です。
『音楽の根源にあるもの』のタイトルも、内容にそのまんまでしょう。
どこかの大学で、今でも教科書で使われたらいいのにと思うくらい。
そうだ、芸大では小泉さんの著作が使われていそうですね。
この本を読んだがために、伝統ある日本の音楽を聴いてみたくなりました。
民謡とかね。でも、録音されたものはちょっと違うっていいますしねぇ。
難しいものです。
『音楽の根源にあるもの』 小泉文夫
を読んだ。
音楽学者・芸大教授・小泉文夫(1927~1983)の、1963~1977までの
8つのエッセーと2つの講演と3つの対談を収録した1977年発刊の本です。
1994年から平凡社ライブラリーで再発行されています。
まえがきを含めた、最初の数ページからぞくぞくさせられて、
早くも「これは面白い本に決定だ!」と太鼓判を押して読み進めてみれば、
なかなか専門的な箇所があったり、見慣れない言葉がちりばめられていたりして、
特にエッセーの部分はちょっと難しかったのですが、
それでも、内容は十分に興味を惹かれるものばかりでした。
読んでいる期間中にTwitterでこんなツイートをしましたが、
それはこの本の内容の一部をかいつまんで理解して、感心したからでした。
>「にらめっこしましょ、あっぷっぷ」「ぐっとっちーぃであったひとっ」
>「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます」「おにごっこするひとこのゆびとーまれ」などなど、
>これらのわらべうたって民族的な歌なんだなぁ。自分たちは現代人だから民族の血は薄いと考えがちだけど、
>んなこたぁない。
これをテーマに扱っても、2000字、3000字で何かを考えながら語れますね。
でも、今日はそうしません。大体、この本は、まず読んでみて満足が得られ、
そればかりか、そののちに読者が想像や推理などの思考の翼を広げて、
自由に思索できる類の本です。それにもともとこの本の感想記事がこれなのですから、
この本を読んでくださいということで、省略します。
「ポストモダン」なんて言う言葉が使われていると、それが近い未来を照らす明かりとしての
役割を持つ論考であり、それを語る人のことじゃないかって思いますよね。
そういうのも大事なんだと思いますが、30年前を振り返る「プチ温故知新」も悪くないもんですよ。
振り返って読んでみて良質だとわかるのは、この本が出てから世に出てきたような人たちが、
この本に書かれているような考え方を学んで礎として、今日の思想なり概念なりを作り出しているからなんです。
だから、今の世の、僕らの世代以下の人たちはきっとそう知覚している人が多いかと思うのですが、
標語にしても、本に書いてある概念にしても、文化人が語る思想にしても、どこか、
空に浮いたラピュタの島のような、どうしても足がかりがわからないんだけど、
ふわっとそこに着地できてしまったっていう不可思議な感覚を覚えるのです。
もっとわかりやすく言えば、食べ物屋に入って、注文して料理を出されて、食べて美味しいのだけれど、
その材料や調理法がよくわからないという状態なんですよ。
料理が思想や概念などにあたります。
つまり、現在の思想や概念がどうやって出来たか、
どういう問題や問題意識から生まれて変遷してきたかというのが、よくわからない。
そのよくわからないところが、この良質な「プチ温故知新」で何かつかめます。
今の世につながる、思想や概念の根底の部分が揺さぶられる。
そういった役割も持っているのがこの本だと言えるでしょう。
だからといって、そればかりじゃないんですよ。
きっと現在ではちょっと忘れかけられているような大事なモノの見方が載っていたりする。
たとえば、クジラを獲るエスキモーとトナカイを獲るエスキモーの
リズム感の違いから考察する、そもそもリズム感とはどういうものかという分析などがあります。
小泉さんは民族音楽を特に重点的に研究されていたらしいですから、
それが音楽の枠にとどまらず、文化にも話がまたがり、人類史にも話が及ぶようなところもある。
エッセー、講演を経てちょっと知識を入れた後に読む対談もすごく面白いんですよ。
脳科学者の角田忠信さん、作家の岩田宏さん、詩人の谷川俊太郎さんとの対談です。
小泉さんはもちろんのこと、みなさんすごくフラットで鋭く物事をみてらっしゃるなぁという印象でした。
本物の文化人とはかくありなんという感じ。
たくさん揺さぶられるお話がありながらも、特に面白かったのは、
谷川さんの「言葉と概念」に関するところでした。
言葉に対して真剣勝負をしている人の、戦場の最前線での言葉のように受け取れました。
とにかく、良本です。
『音楽の根源にあるもの』のタイトルも、内容にそのまんまでしょう。
どこかの大学で、今でも教科書で使われたらいいのにと思うくらい。
そうだ、芸大では小泉さんの著作が使われていそうですね。
この本を読んだがために、伝統ある日本の音楽を聴いてみたくなりました。
民謡とかね。でも、録音されたものはちょっと違うっていいますしねぇ。
難しいものです。