読書。
『希望の国のエクソダス』 村上龍
を読んだ。
2000年に刊行された小説で、舞台は2001年から2008年までの、当時から見て近未来。
今は2010年の暮れ間近ですから、旬を逃してしまったのもいい所の作品。
作品を下に見て言うならば、時代遅れになってしまった作品…、しかし。
本当にこの『希望の国のエクソダス』が時代遅れになった作品なのだろうか。
2000年当時から見える「可能性の未来」をスケッチしたものとして、
逆算的に当時を振り返る価値はないだろうか。
はたまた、その当時著者が予見した時代の流れにどれだけ今の時代が当てはまっているか、
確認してみる楽しみはないだろうか。
本作を読了した一読者の意見として言えば、
たしかに、もはや近未来小説としては読めないものの、パラレルワールドとしての
物語の価値は十分にある作品だったということです。
中学生の集団不登校から続く、既存の社会への挑戦。
いや、挑戦などという言葉では語弊がありそうです。
中学生たちの建設的で放埓なムーブメントは、
既存の社会と同列の文脈で行われた行為ではありませんでした。
民主主義の資本主義経済の範疇ではあったけれども。
作者の村上龍さんは、この小説で何を伝えたかったのか。
中学生に希望を託すような浅はかなテーマはこめていないと言います。
でも、僕には、この小説を中学生が読めば、人によっては非常に
良いエネルギーになるものだと思いました。
「僕らはまだ子供だけれど、これだけのことやれる可能性はあるんだ」なんて
元気になる人もいるでしょう。
一方で、ふがいない社会を構築してきた大人たちみんなにはこの小説はどう読めるか。
自信を失い、生き方を子どもたちに提示できず、ビジョンも無い大人たち。
きっと、そのことを直視しないようにしている人が多いのではないでしょうか。
だから、この小説を読むことで、自分の弱い部分を認め、中学生なんかに社会が転覆させられなど
してたまるものかという、ある種の義憤を呼び起こすこともあり、著者はそれを目的としているようでもあります。
とまぁ、まどろっこしく書くと、全然この小説の良さが伝わりませんね。
インターネットの技術の話にしても、経済動向の話にしても、かなり専門的で、
相当な取材を重ねたのだろうなぁと読めましたし、
何よりそれらの情報を咀嚼して小説にしてしまった作者の力量にため息が出ました。
序盤の50ページくらいなんて、並みの小説を読んでいる気になるんだけれど、
読み進めると、どっぷりとその世界にはまり込むし、文章の精緻さにも気付くことになりますね。
さすがに、村上龍という人はすごいです。
文章を書く上で、「抑制」というのと、「ブレない」ということと、
「伝えるべきものがしっかりある」ということと、「哲学することができる」のが大事なのではないかと、
読み終ってから考えましたね。
僕も文章が上手くなりたいタチなので、そのあたりを踏まえて、いつもよりも時間がかかっても良いから、
しっかりした文章を…、たとえばこのブログ記事なんか最たるものですが、
書いていかねばなぁと思い立ちました。
ちなみに、どうでもいいような感じに読めるかもしれない僕の文章の、
書くスピードは「2000字程度/一時間」ですね、今のところ。
読みなおして、誤字脱字などを直す時間も含めてかな。
これが速いのか遅いのか普通なのかはまったくわかりません。
もっと文章の精度を高めて、一時間に1200字くらいだったら良い方らしい、
というのをWEBで調べて見つけましたね。
閑話休題。
この小説の中学生たちのやり方なんですが、序盤から犯罪まがいのことをけっこうやります。
それに対して、大人たちが手出しができないよな状態なのですが、
それはちょっと作者は大人たちをなめ過ぎているなぁという気がしました。
なめているというか、物語を進めるうえで大人にはおとなしくしてもらったという感じ。
中学生が犯罪のようなことをしでかす、そういう場面では大人も奮起するでしょうし、
その気持ちに伴うくらいの、戦うための技術を持った人も大勢いるでしょうからね。
だから、実際に中学生が集団不登校を起こしたとしても、そこから大成功へ向かう道筋は
うまくいかないだろうというのが僕の見解です。
たぶん、ホリエモンみたいに捕まると思います。
それでも、思考実験的にこのフィクションを楽しみ、さらに危機感を感じたり、
自分の無知を再確認したりしても良いのだと思います。
そこから得られるポジティブなエネルギーってあると思うもの。
それと、坂本龍一さんが今作に登場するんですが、
他の村上龍さんの作品にも出てきたことがあったような?
『五分後の世界』は坂本さんモデルの音楽家だったかな。
坂本ファンとしては、「うわっ」って思います。
そういうわけで、またそのうち村上龍さんの作品を読みたいです。
というか、龍さんの作品は20作品くらい読んでるような気がしないでもない。
今だと『歌うクジラ』が気になりますねぇ。
『希望の国のエクソダス』 村上龍
を読んだ。
2000年に刊行された小説で、舞台は2001年から2008年までの、当時から見て近未来。
今は2010年の暮れ間近ですから、旬を逃してしまったのもいい所の作品。
作品を下に見て言うならば、時代遅れになってしまった作品…、しかし。
本当にこの『希望の国のエクソダス』が時代遅れになった作品なのだろうか。
2000年当時から見える「可能性の未来」をスケッチしたものとして、
逆算的に当時を振り返る価値はないだろうか。
はたまた、その当時著者が予見した時代の流れにどれだけ今の時代が当てはまっているか、
確認してみる楽しみはないだろうか。
本作を読了した一読者の意見として言えば、
たしかに、もはや近未来小説としては読めないものの、パラレルワールドとしての
物語の価値は十分にある作品だったということです。
中学生の集団不登校から続く、既存の社会への挑戦。
いや、挑戦などという言葉では語弊がありそうです。
中学生たちの建設的で放埓なムーブメントは、
既存の社会と同列の文脈で行われた行為ではありませんでした。
民主主義の資本主義経済の範疇ではあったけれども。
作者の村上龍さんは、この小説で何を伝えたかったのか。
中学生に希望を託すような浅はかなテーマはこめていないと言います。
でも、僕には、この小説を中学生が読めば、人によっては非常に
良いエネルギーになるものだと思いました。
「僕らはまだ子供だけれど、これだけのことやれる可能性はあるんだ」なんて
元気になる人もいるでしょう。
一方で、ふがいない社会を構築してきた大人たちみんなにはこの小説はどう読めるか。
自信を失い、生き方を子どもたちに提示できず、ビジョンも無い大人たち。
きっと、そのことを直視しないようにしている人が多いのではないでしょうか。
だから、この小説を読むことで、自分の弱い部分を認め、中学生なんかに社会が転覆させられなど
してたまるものかという、ある種の義憤を呼び起こすこともあり、著者はそれを目的としているようでもあります。
とまぁ、まどろっこしく書くと、全然この小説の良さが伝わりませんね。
インターネットの技術の話にしても、経済動向の話にしても、かなり専門的で、
相当な取材を重ねたのだろうなぁと読めましたし、
何よりそれらの情報を咀嚼して小説にしてしまった作者の力量にため息が出ました。
序盤の50ページくらいなんて、並みの小説を読んでいる気になるんだけれど、
読み進めると、どっぷりとその世界にはまり込むし、文章の精緻さにも気付くことになりますね。
さすがに、村上龍という人はすごいです。
文章を書く上で、「抑制」というのと、「ブレない」ということと、
「伝えるべきものがしっかりある」ということと、「哲学することができる」のが大事なのではないかと、
読み終ってから考えましたね。
僕も文章が上手くなりたいタチなので、そのあたりを踏まえて、いつもよりも時間がかかっても良いから、
しっかりした文章を…、たとえばこのブログ記事なんか最たるものですが、
書いていかねばなぁと思い立ちました。
ちなみに、どうでもいいような感じに読めるかもしれない僕の文章の、
書くスピードは「2000字程度/一時間」ですね、今のところ。
読みなおして、誤字脱字などを直す時間も含めてかな。
これが速いのか遅いのか普通なのかはまったくわかりません。
もっと文章の精度を高めて、一時間に1200字くらいだったら良い方らしい、
というのをWEBで調べて見つけましたね。
閑話休題。
この小説の中学生たちのやり方なんですが、序盤から犯罪まがいのことをけっこうやります。
それに対して、大人たちが手出しができないよな状態なのですが、
それはちょっと作者は大人たちをなめ過ぎているなぁという気がしました。
なめているというか、物語を進めるうえで大人にはおとなしくしてもらったという感じ。
中学生が犯罪のようなことをしでかす、そういう場面では大人も奮起するでしょうし、
その気持ちに伴うくらいの、戦うための技術を持った人も大勢いるでしょうからね。
だから、実際に中学生が集団不登校を起こしたとしても、そこから大成功へ向かう道筋は
うまくいかないだろうというのが僕の見解です。
たぶん、ホリエモンみたいに捕まると思います。
それでも、思考実験的にこのフィクションを楽しみ、さらに危機感を感じたり、
自分の無知を再確認したりしても良いのだと思います。
そこから得られるポジティブなエネルギーってあると思うもの。
それと、坂本龍一さんが今作に登場するんですが、
他の村上龍さんの作品にも出てきたことがあったような?
『五分後の世界』は坂本さんモデルの音楽家だったかな。
坂本ファンとしては、「うわっ」って思います。
そういうわけで、またそのうち村上龍さんの作品を読みたいです。
というか、龍さんの作品は20作品くらい読んでるような気がしないでもない。
今だと『歌うクジラ』が気になりますねぇ。