読書。
『自我と無意識』 C.G.ユング 松代洋一/渡辺学 訳
を読んだ。
文化庁長官を務めた故・河合隼雄さんがユング派心理学の心理療法士でしたが、
そのユング派心理学の始祖であるユング自身が自らの考える心理というもの
を解説した、いわば入門書的な自著が本書にあたるようです。
はっきりいって難しいです。200pそこらですが、1/10も理解していないかもしれない。
ユング自身も、本書の最後に、すべてを理解してもらえれば嬉しいが、この議論の根底にある
経験というものがたいていの人には知られていないことなので、まぁ無理だろうと言っています。
しかし、こういう未知の世界、未経験の経験領域があることを知ってもらえたら嬉しいみたいな
ことを述べています。
それでは感想や考えたことを、読みながらはやばやとツイートしているので、
そのまとめを記載します。
___
無意識の意識化が進むことによって、
無意識による支配力が薄れて、意識、人格の拡張があるとユングはいいます。
ふつう、読書とか会話によって、共感したり再発見したりということがあります。
それって、無意識の意識化でもありますよね。
そうやって、より「自分をわかった視座をもつ人」になるんだと思う。
そういう意味で、本を読むことも人と接することも大事だなぁ思う次第。
内向的外向的どちらにも、この場合、救いの道はあるということですが、
内向的外向的の半々くらいがいいような気がする。
内向には内なるアニマ(アニムス)という無意識が人生を決めるのに関係し、
外向には他人との比較で関係する。
内向外向半々だと、きっとアニマ(アニムス)とぎくしゃくした時に傷つくのも半分で済むし、
他人とぎくしゃくした時にゆらぐのも半分で済む。
こういうのはありなのか知らないけれど、ようは、逃げ道じゃないのかなぁ。
内向的でダメになったら、「実は外向的でね」というモードに入る。逆もしかり。
空想というもの。空想すること、その内容に没頭して積極的に関与する、
そうすることで、その過程を自分のものとすることになるそうです、
ユング派心理学の始祖ユングによると。
そうやって、形作られていく、変容していくのがその人の人格だったりするみたい。
これはイメージトレーニングに繋がりますね。
イメージしたものに積極的に気持ちを関わらせていくことで、
ポジティブな空想というものに浸ることになる。
その結果、そこでの過程が自分のものとなり、あたかも現実の経験のように人格の形成・変容に影響する。
もっと言えば、ものすごくありえない空想に関与していくこと。
魔法使いの話でもSFの話でも、なんでもいいけれど、
それでもそこに積極的にのめりこんで空想することでその経験は自分のものとなるわけです。
それはすごく特別な、個人的な経験になるでしょう。独創性ってそういうとこから生まれるのかな。
つまりは、ぼーっと空想しちゃう事って悪くない、むしろ良いねっていう。
ユングはこうやって人格が変容して、ついには善も悪も融合するような人格になることを超越機能と呼んでいました。
そうなると、精神の病気もはねとばせる確率が高まるのかな。
なんか、独創性の正体見たりって感じだなぁ。
どれだけスペシャルな空想に浸って生きてきたかで
その人の思考システムがオリジナリティに富んだものになるかってことじゃないのかな。
空想がぼうっと湧きあがってくるところがポイントなんだよねぇ。
そこに無意識との関連があるから。無意識は奥が深いです。そして怖いものです。
個性を磨け、なんて無責任というか勝手というか、
そういう言い方をされた人が僕くらいの世代には多いかと思いますが、
たとえば個性なんてものは、その人がいればそれだけで個性十分なんですよね、
顔にしても身体にしても声にしてもなんにしても。
独創性を磨けっていうんならば、その方法は空想にあることが今日わかったけれど、
そのソースは1927年くらいのユングの本なんだから、
独創性を磨けとか指図するほうがちゃんと勉強してればその方法付きでつばを飛ばさずに指導できたわけです。
___
ええと、あくまで素人が素人なりに考えたことなので、確証があることではないです。
一応、論理上そうなるねということですが、その論理のこね方にも間違いがあるかもしれないし、
だいたいにおいて、難しい本なので誤読の可能性がけっこうあります。
でも、大きな意味においては、だいたいこうなるだろうみたいな確信ににた気持ちがあります。
そんなわけで、昨日誕生日をむかえ、新たな年齢で読み終えた最初の本になりました。
こういう難しい本から始まる一年っていうのも悪くないですね。
『自我と無意識』 C.G.ユング 松代洋一/渡辺学 訳
を読んだ。
文化庁長官を務めた故・河合隼雄さんがユング派心理学の心理療法士でしたが、
そのユング派心理学の始祖であるユング自身が自らの考える心理というもの
を解説した、いわば入門書的な自著が本書にあたるようです。
はっきりいって難しいです。200pそこらですが、1/10も理解していないかもしれない。
ユング自身も、本書の最後に、すべてを理解してもらえれば嬉しいが、この議論の根底にある
経験というものがたいていの人には知られていないことなので、まぁ無理だろうと言っています。
しかし、こういう未知の世界、未経験の経験領域があることを知ってもらえたら嬉しいみたいな
ことを述べています。
それでは感想や考えたことを、読みながらはやばやとツイートしているので、
そのまとめを記載します。
___
無意識の意識化が進むことによって、
無意識による支配力が薄れて、意識、人格の拡張があるとユングはいいます。
ふつう、読書とか会話によって、共感したり再発見したりということがあります。
それって、無意識の意識化でもありますよね。
そうやって、より「自分をわかった視座をもつ人」になるんだと思う。
そういう意味で、本を読むことも人と接することも大事だなぁ思う次第。
内向的外向的どちらにも、この場合、救いの道はあるということですが、
内向的外向的の半々くらいがいいような気がする。
内向には内なるアニマ(アニムス)という無意識が人生を決めるのに関係し、
外向には他人との比較で関係する。
内向外向半々だと、きっとアニマ(アニムス)とぎくしゃくした時に傷つくのも半分で済むし、
他人とぎくしゃくした時にゆらぐのも半分で済む。
こういうのはありなのか知らないけれど、ようは、逃げ道じゃないのかなぁ。
内向的でダメになったら、「実は外向的でね」というモードに入る。逆もしかり。
空想というもの。空想すること、その内容に没頭して積極的に関与する、
そうすることで、その過程を自分のものとすることになるそうです、
ユング派心理学の始祖ユングによると。
そうやって、形作られていく、変容していくのがその人の人格だったりするみたい。
これはイメージトレーニングに繋がりますね。
イメージしたものに積極的に気持ちを関わらせていくことで、
ポジティブな空想というものに浸ることになる。
その結果、そこでの過程が自分のものとなり、あたかも現実の経験のように人格の形成・変容に影響する。
もっと言えば、ものすごくありえない空想に関与していくこと。
魔法使いの話でもSFの話でも、なんでもいいけれど、
それでもそこに積極的にのめりこんで空想することでその経験は自分のものとなるわけです。
それはすごく特別な、個人的な経験になるでしょう。独創性ってそういうとこから生まれるのかな。
つまりは、ぼーっと空想しちゃう事って悪くない、むしろ良いねっていう。
ユングはこうやって人格が変容して、ついには善も悪も融合するような人格になることを超越機能と呼んでいました。
そうなると、精神の病気もはねとばせる確率が高まるのかな。
なんか、独創性の正体見たりって感じだなぁ。
どれだけスペシャルな空想に浸って生きてきたかで
その人の思考システムがオリジナリティに富んだものになるかってことじゃないのかな。
空想がぼうっと湧きあがってくるところがポイントなんだよねぇ。
そこに無意識との関連があるから。無意識は奥が深いです。そして怖いものです。
個性を磨け、なんて無責任というか勝手というか、
そういう言い方をされた人が僕くらいの世代には多いかと思いますが、
たとえば個性なんてものは、その人がいればそれだけで個性十分なんですよね、
顔にしても身体にしても声にしてもなんにしても。
独創性を磨けっていうんならば、その方法は空想にあることが今日わかったけれど、
そのソースは1927年くらいのユングの本なんだから、
独創性を磨けとか指図するほうがちゃんと勉強してればその方法付きでつばを飛ばさずに指導できたわけです。
___
ええと、あくまで素人が素人なりに考えたことなので、確証があることではないです。
一応、論理上そうなるねということですが、その論理のこね方にも間違いがあるかもしれないし、
だいたいにおいて、難しい本なので誤読の可能性がけっこうあります。
でも、大きな意味においては、だいたいこうなるだろうみたいな確信ににた気持ちがあります。
そんなわけで、昨日誕生日をむかえ、新たな年齢で読み終えた最初の本になりました。
こういう難しい本から始まる一年っていうのも悪くないですね。