読書。
『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』 石坂典子
を読んだ。
埼玉県入間郡三芳町にある産廃業者、石坂産業。
ダイオキシン騒動を乗り越えるどころかそれをバネにし、
ピンチをチャンスに変えるがごとく、
大きく飛躍していきました。
本書は、その道程を社長自らが語る本です。
逆境、逆風のなか、次々と手を打っていきます。
多額の資金をかけた焼却炉をつぶすときであっても、
その意味合いは後ろ向きではありません。
前を見据え、会社を存続させていくための、
「攻め」としての後退だったりします。
それから、社員教育をおこない、
掃除や整理整頓を徹底させるようにしていきます。
産廃業のマイナスイメージをプラスに変えることが、
石坂産業を存続させていくために必要だ、と考え、
打った手なのでした。
それまでの産廃業者といえば、いわゆる「最後に辿り着く仕事」的な業種で、
石坂産業でも、そこに集まる人の素行はよくなく、
休憩所にはヌードポスターが貼られ、エロ本が散在していたりもしたそう。
そこを、二代目の三十代女社長の見回りからはじまって、
徐々に解消していく。
規律とルールで矯正していくような戦略をとります。
この戦略に対して反発する社員は多く、
半年間で4割の社員が退職したそうです。
規律とルールで縛られるのは、僕も嫌いですし、好きな人はなかなかいないでしょう。
会社から、つまり他者からぼお仕着せで動かされること、縛られることを
「他律的」といいますが、「他律的」でいるとどうにも窮屈ですし、
自分で生きている感じがしませんし、幸福感が損なわれます。
そういう環境での仕事は楽しくないでしょう。
しかし、石坂社長は苦心しながらも、
ある程度、規律とルールが浸透してからは、
社員の自律性と自主性を重視する方向へシフトしました。
これだと、働きがいがあるでしょうし、生きていく充実感も得られそうです。
仕事の中身がハイレベルだったり過重だったりすれば、
なかなかそう簡単には自律性と自主性で得られる幸福感以上に、
プレッシャーによる疲労感がありそうなものですが、
その後の社員数増などから、それなりに会社に人が定着しているふうにも読めるので、
うまくいっているのかなあと思いました。
規律とルールについてですが、アナロジーで考えてみても、
子どもの成長へのしつけっていうものも最初は規律やルールでしつけますし、
そしてその後だんだん自律性・自主性を持てるようになっていきますよね。
そういうこととも符合します。
もうひとつ例を出せば、オシム氏が代表監督をしていた頃のサッカー日本代表は、
規律を重視する、という方針から始まりました。
その後、オシム氏が病に倒れなければ、完成形として日本サッカーは、
自律的に構築していく、選手も観客も楽しいサッカーになったのではないでしょうか。
オシム氏のヴィジョンをそうイメージすることは可能です。
閑話休題。
また、石坂社長は、経験値や暗黙知をデータ化し、
細かい情報もデータ化するといったように、
ナレッジマネジメントの方法を用いていました。
そのあたりも僕にはすごくうなずけました。
ノウハウを客観的に明文化されて目にすることができ、
さらに、誰でもアクセスできるようになると、
いろいろな技術や知識が社内で一般化します。
自分がどんな仕事をしているか、
データ化によってちゃんとわかるようになる点だけでも、
それが自分のやる気にも繋がるものです。
もっと興味を持ってデータにアクセスしたならば、
自分の会社がなにをどうやっているのかもちゃんと知ることができそうです。
そういうのは営業職の人だけがしっていればいいことではなくて、
人事職の人も経理職の人もしっていたほうが張り合いが出ると思います。
また、クレーム処理のときにはこういうナレッジマネジメントはとても役に立つと思います。
最後に、二箇所ほど、個人的にぐっときたところをご紹介します。
社長職に限界を感じていた頃の著者が、友人にも会えないことが多くなり、
やっとあえたときにこう言われるのです。
「あなたの人生っていったいなんなの? お父さんが大切なの?
仕事が大切なの?」
さらに、
「もっと自分の人生を大切にしたほうがいいんじゃないの?」
それにたいして著者は
「そんなことはわかってるよ。でも、どうしていいかわかんない」
と心の中で叫んだ、と。
で、その後、一線を超えて、二人の子どもに怒鳴ってしまうシーンがでてきます。
そんな彼女をなんとか繋ぎとめたのが「間」をとることでした。
とある割烹料理屋さんに行くと、室礼(しつらい)という
四季折々を楽しませる飾り付けがなされていたそうで、
他のお客さんたちはそれを楽しみにもして料理屋さんに通っていたのだそうです。
著者はそこで気づきます。
そうやって季節感を感じて「いいね」「すてき」と思えば、
仕事のことで頭がいっぱいになっていても、少しそこから離れる「間」ができる、と。
以下、引用します
_______
悩みをきれいさっぱり解決するなど、とうてい無理な話です。
悩み苦しんでいる人が多いのは、それだけきまじめな人が多いということ。
私のようなきまじめな人間は、悩みと正面から向き合い、
この問題が解決しない限り、自分の人生は一歩も進めないと思ってしまうタイプです。
四六時中どうしたら問題を解決できるかと考え続けますから、
悩みを接近しすぎ、悩みと自分との「間」がなくなってしまいます。
こうなると、悩みはいっそう深刻になり、さまざまな心の病気の原因にもなりかねません。
ですから、悩みにとらわれそうになったら、
気分を変えて「間」をとるように心がけるのです。
_______
見事な発見をされているなあと感じました。
この「間」は、たとえば西加奈子さんは小説『きりこについて』で、
「現実逃避」という言葉で、
その言葉の持つちょっと悪いイメージをわざと転倒させて表現していました。
これも、悩みや悩みの種になりうるものにたいして接近しすぎないこと、
という意味合いです。
僕は個人的に、自分の親の介護で、それこそほんとに、
「でも、どうしていいかわかんない」
という状態なので、一歩一歩なにかやっていくほかないのですが、
たまにノックアウト状態になることがあります。
そういうときは、問題に接近しすぎているんだなあと
今回、わかることができたのはすごく大きかったです。
まあ、本書の本筋とはけっこうそれていますけれども、
そうやって自分なりに何かを得るのも読書の面白みのひとつです!
というわけでした。
わかるひとだけわかるような、難しい本ではなく、
一般向けに、もっというと、
あまり読書しない人が読んでも楽しく読めるように編まれています。
そこは、著者が本気で、大勢の人に伝えたい気持ちをもっているからだと
察することができます。
里山すら整備して、花木園という公園までつくって、
本気で地域に必要とされる会社にしていった著者ですから、
そのあたりについて語られている箇所も多くページが割かれています。
会社を永続させたい! と願って考えて行動したら、
結果としてよい会社になった、という感覚がしました。
おもしろくて、ちょっと心が熱くなる本でもありました。
『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』 石坂典子
を読んだ。
埼玉県入間郡三芳町にある産廃業者、石坂産業。
ダイオキシン騒動を乗り越えるどころかそれをバネにし、
ピンチをチャンスに変えるがごとく、
大きく飛躍していきました。
本書は、その道程を社長自らが語る本です。
逆境、逆風のなか、次々と手を打っていきます。
多額の資金をかけた焼却炉をつぶすときであっても、
その意味合いは後ろ向きではありません。
前を見据え、会社を存続させていくための、
「攻め」としての後退だったりします。
それから、社員教育をおこない、
掃除や整理整頓を徹底させるようにしていきます。
産廃業のマイナスイメージをプラスに変えることが、
石坂産業を存続させていくために必要だ、と考え、
打った手なのでした。
それまでの産廃業者といえば、いわゆる「最後に辿り着く仕事」的な業種で、
石坂産業でも、そこに集まる人の素行はよくなく、
休憩所にはヌードポスターが貼られ、エロ本が散在していたりもしたそう。
そこを、二代目の三十代女社長の見回りからはじまって、
徐々に解消していく。
規律とルールで矯正していくような戦略をとります。
この戦略に対して反発する社員は多く、
半年間で4割の社員が退職したそうです。
規律とルールで縛られるのは、僕も嫌いですし、好きな人はなかなかいないでしょう。
会社から、つまり他者からぼお仕着せで動かされること、縛られることを
「他律的」といいますが、「他律的」でいるとどうにも窮屈ですし、
自分で生きている感じがしませんし、幸福感が損なわれます。
そういう環境での仕事は楽しくないでしょう。
しかし、石坂社長は苦心しながらも、
ある程度、規律とルールが浸透してからは、
社員の自律性と自主性を重視する方向へシフトしました。
これだと、働きがいがあるでしょうし、生きていく充実感も得られそうです。
仕事の中身がハイレベルだったり過重だったりすれば、
なかなかそう簡単には自律性と自主性で得られる幸福感以上に、
プレッシャーによる疲労感がありそうなものですが、
その後の社員数増などから、それなりに会社に人が定着しているふうにも読めるので、
うまくいっているのかなあと思いました。
規律とルールについてですが、アナロジーで考えてみても、
子どもの成長へのしつけっていうものも最初は規律やルールでしつけますし、
そしてその後だんだん自律性・自主性を持てるようになっていきますよね。
そういうこととも符合します。
もうひとつ例を出せば、オシム氏が代表監督をしていた頃のサッカー日本代表は、
規律を重視する、という方針から始まりました。
その後、オシム氏が病に倒れなければ、完成形として日本サッカーは、
自律的に構築していく、選手も観客も楽しいサッカーになったのではないでしょうか。
オシム氏のヴィジョンをそうイメージすることは可能です。
閑話休題。
また、石坂社長は、経験値や暗黙知をデータ化し、
細かい情報もデータ化するといったように、
ナレッジマネジメントの方法を用いていました。
そのあたりも僕にはすごくうなずけました。
ノウハウを客観的に明文化されて目にすることができ、
さらに、誰でもアクセスできるようになると、
いろいろな技術や知識が社内で一般化します。
自分がどんな仕事をしているか、
データ化によってちゃんとわかるようになる点だけでも、
それが自分のやる気にも繋がるものです。
もっと興味を持ってデータにアクセスしたならば、
自分の会社がなにをどうやっているのかもちゃんと知ることができそうです。
そういうのは営業職の人だけがしっていればいいことではなくて、
人事職の人も経理職の人もしっていたほうが張り合いが出ると思います。
また、クレーム処理のときにはこういうナレッジマネジメントはとても役に立つと思います。
最後に、二箇所ほど、個人的にぐっときたところをご紹介します。
社長職に限界を感じていた頃の著者が、友人にも会えないことが多くなり、
やっとあえたときにこう言われるのです。
「あなたの人生っていったいなんなの? お父さんが大切なの?
仕事が大切なの?」
さらに、
「もっと自分の人生を大切にしたほうがいいんじゃないの?」
それにたいして著者は
「そんなことはわかってるよ。でも、どうしていいかわかんない」
と心の中で叫んだ、と。
で、その後、一線を超えて、二人の子どもに怒鳴ってしまうシーンがでてきます。
そんな彼女をなんとか繋ぎとめたのが「間」をとることでした。
とある割烹料理屋さんに行くと、室礼(しつらい)という
四季折々を楽しませる飾り付けがなされていたそうで、
他のお客さんたちはそれを楽しみにもして料理屋さんに通っていたのだそうです。
著者はそこで気づきます。
そうやって季節感を感じて「いいね」「すてき」と思えば、
仕事のことで頭がいっぱいになっていても、少しそこから離れる「間」ができる、と。
以下、引用します
_______
悩みをきれいさっぱり解決するなど、とうてい無理な話です。
悩み苦しんでいる人が多いのは、それだけきまじめな人が多いということ。
私のようなきまじめな人間は、悩みと正面から向き合い、
この問題が解決しない限り、自分の人生は一歩も進めないと思ってしまうタイプです。
四六時中どうしたら問題を解決できるかと考え続けますから、
悩みを接近しすぎ、悩みと自分との「間」がなくなってしまいます。
こうなると、悩みはいっそう深刻になり、さまざまな心の病気の原因にもなりかねません。
ですから、悩みにとらわれそうになったら、
気分を変えて「間」をとるように心がけるのです。
_______
見事な発見をされているなあと感じました。
この「間」は、たとえば西加奈子さんは小説『きりこについて』で、
「現実逃避」という言葉で、
その言葉の持つちょっと悪いイメージをわざと転倒させて表現していました。
これも、悩みや悩みの種になりうるものにたいして接近しすぎないこと、
という意味合いです。
僕は個人的に、自分の親の介護で、それこそほんとに、
「でも、どうしていいかわかんない」
という状態なので、一歩一歩なにかやっていくほかないのですが、
たまにノックアウト状態になることがあります。
そういうときは、問題に接近しすぎているんだなあと
今回、わかることができたのはすごく大きかったです。
まあ、本書の本筋とはけっこうそれていますけれども、
そうやって自分なりに何かを得るのも読書の面白みのひとつです!
というわけでした。
わかるひとだけわかるような、難しい本ではなく、
一般向けに、もっというと、
あまり読書しない人が読んでも楽しく読めるように編まれています。
そこは、著者が本気で、大勢の人に伝えたい気持ちをもっているからだと
察することができます。
里山すら整備して、花木園という公園までつくって、
本気で地域に必要とされる会社にしていった著者ですから、
そのあたりについて語られている箇所も多くページが割かれています。
会社を永続させたい! と願って考えて行動したら、
結果としてよい会社になった、という感覚がしました。
おもしろくて、ちょっと心が熱くなる本でもありました。