読書。
『すべて真夜中の恋人たち』 川上未映子
を読んだ。
発表する作品たちがすべて賞をもらっている印象のある川上未映子さん。
そして、新人賞の審査員をされていたり、村上春樹さんとの対談本をだされたり、
なんか凄そうだよな、と思いつつ作品には触れずにきましたが、
ようやく、積読になっていたものを手に取りました。
読みながら、いろいろとその都度考えながら、言葉にしようとするも、
つかみきれなくて、腕組みしちゃうくらいなのでしたが、
読み終わった今ならこういいます、「これは、言うことないなあ」。
想像していたよりもずうっと質が高かった
(まあ、僕ははじめての作家の作品はちょっとなめてかかる癖がありはするのですが)。
哲学的でもなく、気難しげでもなく、
日常のニュートラルなレベルくらいの無理のない内容、
そして、言葉自体も閉じ開きでいえば開いた言葉がおおくて読みやすいし、
目やあたまにやさしいしっていうような使い方をして始まっていきます。
言葉は最後まで読みやすかったです。
これは読者にしてみればすらすら読めて好いことだし、
なおかつ、この作品自体を構成する素材としてもちゃんと適っているし、
両立しているよなあと思えました。
「べつにこれっていう話はないけど、いいじゃん。なんか話しようよ。」
主人公・冬子をお酒を出す店に誘った聖からの電話。
この会話が成立する仲を「目指してきた」なんていうと、
堅苦しいし力が入りすぎなのだけれど、
僕も自然とこの感覚をもとめて人と繋がったり接したりしてきたかなあ、
と人間関係にのぞむ好い力の入り具合を再確認した箇所です。
こういう感覚って好きなんですよね。
だけど僕は飲まないから、
聖の言うような誘い文句へのハードルが高めです。
ささっと言えない。
いくぶんの重みが生じる覚悟じゃないと言えない。
まあ、それだって、人生観・世界観によるもので、
肩の力が入っている人生観をもっているほうがヘンなのかもしれない。
はじめに書いたように川上さんの作品に触れるのははじめてで、
ほうほう、こういう文体で書かれる方なのか、と軽い驚きがあった。
もっと、というか、若干の、しかつめらしさを感じさせるような文章を書くのでは
と勝手に想像していた。
あふれだす言葉が流暢にながれていく感じがする。
おおげさな言い方にはなるのですが、
言葉の洪水感があって、そこに強く細い糸がピンと芯として存在している感覚もある。
だけどなんていうか、とても読みやすいのは同世代だからっていうのはあるのかなあ。
また、読書は、文章を読みながら、言葉たちにたびたびひっかかりながら読んでいくものですが、
その抵抗が軽く、だからといって文章が流れていったあとにはしっかり残っているものがあるので、
内容・意味をすくいとるときに、
より主観的あるいは直感的にこっちがなって構わない文体なのだろうかと思えました。
そういう意味で、思いがけずフレンドリーな文体であるな、と。
それと、はじめの1ページ目、詩的傾向のつよい文章がぐんとこころを揺さぶって、
読み手としても好スタートをきれるのです。
で、中盤まで読むと、もうそういう洪水的に感じた言葉の流れは、
そういった体で安定しているものなので慣れてしまい、
読み手が慣れてしまえば小説の基盤として透明になって作用します。
つまり僕は、ミイラ取りがミイラになるみたいに、
小説をいくらか分析しようとしていても、
透明な働きによって分析すべきものを見失い、
小説の方に飲みこまれていたのでした。
そんな「やられた」状態でもち帰った感想はこうです。
「いろいろと丁寧に書いているし、作られている」。
だから、センテンスも内容もシームレスに移動していく感じがする。
その丁寧さは、ふわりともした羽毛のような丁寧さです。
それも、言わぬが花的に、
お客さん(読者)の意識にのぼらない水面下でなされている。
言い換えれば、抜刀せずに鞘におさめたままで真剣勝負できる、
そして今作では実際にそうしてしまった使い手なのです
(もっとも、抜き身でばっさりくるような鋭い箇所や考察はすこしあるのですが)。
とね、ここだけでもそうですけど、全体をぐるっととおしても、
ちょっとやられたな、っていう感じがします。
もちろん、夢中になるくらいおもしろくて、
離れがたいくらい素敵な小説なんです。
最後になりますが、「これはこうだぞ」っていう、
少ないながらもわかりえた部分をもうひとつ。
今作は主人公の冬子視点ですし、
もっともながら彼女を中心としてはいるけれども、
彼女がちょっと我が淡めの、希薄なかんじのキャラクターなこともあって、
他の登場人物たちの世界や世界観、人生がちゃんと彼ら独自のものとして
独立して存在している中で物語に登場しているんだっていう匂いがすごくしました。
主人公は他の考え方や価値観の浸食を許してしまうんです。
そういう主人公だからこそ浮かびあがったところがあるのでしょうが、
個人それぞれを尊重する度合いは、他の作家よりも強く感じました。
対等なキャラクター同士の群像がしっかりしている、といえばいいのでしょうか。
だからこそ、いろいろな個人世界(環世界)の重なった部分が、
この小説で書かれたものでありました。
さながら、冬子の範囲を広く取った集合図のようでした。
というところです。
もう川上未映子さんの違う作品も手に取らないと気がすまなくなってしまった。
この出合いは、ちょっと事件でした。
『すべて真夜中の恋人たち』 川上未映子
を読んだ。
発表する作品たちがすべて賞をもらっている印象のある川上未映子さん。
そして、新人賞の審査員をされていたり、村上春樹さんとの対談本をだされたり、
なんか凄そうだよな、と思いつつ作品には触れずにきましたが、
ようやく、積読になっていたものを手に取りました。
読みながら、いろいろとその都度考えながら、言葉にしようとするも、
つかみきれなくて、腕組みしちゃうくらいなのでしたが、
読み終わった今ならこういいます、「これは、言うことないなあ」。
想像していたよりもずうっと質が高かった
(まあ、僕ははじめての作家の作品はちょっとなめてかかる癖がありはするのですが)。
哲学的でもなく、気難しげでもなく、
日常のニュートラルなレベルくらいの無理のない内容、
そして、言葉自体も閉じ開きでいえば開いた言葉がおおくて読みやすいし、
目やあたまにやさしいしっていうような使い方をして始まっていきます。
言葉は最後まで読みやすかったです。
これは読者にしてみればすらすら読めて好いことだし、
なおかつ、この作品自体を構成する素材としてもちゃんと適っているし、
両立しているよなあと思えました。
「べつにこれっていう話はないけど、いいじゃん。なんか話しようよ。」
主人公・冬子をお酒を出す店に誘った聖からの電話。
この会話が成立する仲を「目指してきた」なんていうと、
堅苦しいし力が入りすぎなのだけれど、
僕も自然とこの感覚をもとめて人と繋がったり接したりしてきたかなあ、
と人間関係にのぞむ好い力の入り具合を再確認した箇所です。
こういう感覚って好きなんですよね。
だけど僕は飲まないから、
聖の言うような誘い文句へのハードルが高めです。
ささっと言えない。
いくぶんの重みが生じる覚悟じゃないと言えない。
まあ、それだって、人生観・世界観によるもので、
肩の力が入っている人生観をもっているほうがヘンなのかもしれない。
はじめに書いたように川上さんの作品に触れるのははじめてで、
ほうほう、こういう文体で書かれる方なのか、と軽い驚きがあった。
もっと、というか、若干の、しかつめらしさを感じさせるような文章を書くのでは
と勝手に想像していた。
あふれだす言葉が流暢にながれていく感じがする。
おおげさな言い方にはなるのですが、
言葉の洪水感があって、そこに強く細い糸がピンと芯として存在している感覚もある。
だけどなんていうか、とても読みやすいのは同世代だからっていうのはあるのかなあ。
また、読書は、文章を読みながら、言葉たちにたびたびひっかかりながら読んでいくものですが、
その抵抗が軽く、だからといって文章が流れていったあとにはしっかり残っているものがあるので、
内容・意味をすくいとるときに、
より主観的あるいは直感的にこっちがなって構わない文体なのだろうかと思えました。
そういう意味で、思いがけずフレンドリーな文体であるな、と。
それと、はじめの1ページ目、詩的傾向のつよい文章がぐんとこころを揺さぶって、
読み手としても好スタートをきれるのです。
で、中盤まで読むと、もうそういう洪水的に感じた言葉の流れは、
そういった体で安定しているものなので慣れてしまい、
読み手が慣れてしまえば小説の基盤として透明になって作用します。
つまり僕は、ミイラ取りがミイラになるみたいに、
小説をいくらか分析しようとしていても、
透明な働きによって分析すべきものを見失い、
小説の方に飲みこまれていたのでした。
そんな「やられた」状態でもち帰った感想はこうです。
「いろいろと丁寧に書いているし、作られている」。
だから、センテンスも内容もシームレスに移動していく感じがする。
その丁寧さは、ふわりともした羽毛のような丁寧さです。
それも、言わぬが花的に、
お客さん(読者)の意識にのぼらない水面下でなされている。
言い換えれば、抜刀せずに鞘におさめたままで真剣勝負できる、
そして今作では実際にそうしてしまった使い手なのです
(もっとも、抜き身でばっさりくるような鋭い箇所や考察はすこしあるのですが)。
とね、ここだけでもそうですけど、全体をぐるっととおしても、
ちょっとやられたな、っていう感じがします。
もちろん、夢中になるくらいおもしろくて、
離れがたいくらい素敵な小説なんです。
最後になりますが、「これはこうだぞ」っていう、
少ないながらもわかりえた部分をもうひとつ。
今作は主人公の冬子視点ですし、
もっともながら彼女を中心としてはいるけれども、
彼女がちょっと我が淡めの、希薄なかんじのキャラクターなこともあって、
他の登場人物たちの世界や世界観、人生がちゃんと彼ら独自のものとして
独立して存在している中で物語に登場しているんだっていう匂いがすごくしました。
主人公は他の考え方や価値観の浸食を許してしまうんです。
そういう主人公だからこそ浮かびあがったところがあるのでしょうが、
個人それぞれを尊重する度合いは、他の作家よりも強く感じました。
対等なキャラクター同士の群像がしっかりしている、といえばいいのでしょうか。
だからこそ、いろいろな個人世界(環世界)の重なった部分が、
この小説で書かれたものでありました。
さながら、冬子の範囲を広く取った集合図のようでした。
というところです。
もう川上未映子さんの違う作品も手に取らないと気がすまなくなってしまった。
この出合いは、ちょっと事件でした。