Fish On The Boat

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『超入門! 現代文学理論講座』

2021-02-17 22:47:29 | 読書。
読書。
『超入門! 現代文学理論講座』 亀井秀雄 監修 蓼沼正美 著
を読んだ。

高校生向けのシリーズ「ちくまプリマー新書」からの一冊です。さまざまな現代文学理論のなかでも、とりわけ主要な四つの文学理論を解説する内容です。その四つとは、「ロシアフォルマリズム」「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」。

国語教育でよくあるのが、作品の「読み」そのものに必ず作者自身の性格や環境、書かれた時代背景などを加えるパターンです。そうやって読解することが深い「読み」であるとされる。また、受験の現代文で問われるのは、言葉の使い方のロジックの部分や正確で客観的なテクニカルな文章の読み方だったりします。前者も後者も、授業を聞いたり勉強したりしていると、まさにこれこそ学業ってやつだなあと、あまり良い意味合いではなく思えてしまいます。いくらか、不必要にすら感じられるくらいの苦痛を内包した学びになっていたりしてはしなかったでしょうか。

ただ、僕個人の経験でいうと、小学校の国語授業では、高学年になるにつれてある種の正解を求めるような読解に近づいていったような覚えがあります。でもまだどこか自由なほうで、「誰々君はここについてはどう思う?」なんて何人か先生に訊かれてそれぞれがそれぞれらしく答えても、初歩的なロジックの部分での誤読じゃなければ「そういう考え方もあるね!」とみんな認められていましたね。北海道の田舎の、進学校でもない小学校の国語教育ってそんな感じでした。中学校もそれに近かったような気がします。まあ、思春期になるにつれてどんどん学校教育とは距離ができていった(自ら距離を取っていったともいえます)タイプなので、その頃の国語教育がどんな傾向だったかはよくわからないことはわからないのですが。ただ、授業でいろいろ発言していたときに、先生が答えを言う段になって教科書にもどこにも書いていないような社会背景や作者の性格や環境がでてきたときには、「そんなのずるい!」と言ったような気がします。教科書に載っている短い作品それのみからいろいろ考えて答えを導き出すゲームじゃないか、と言いたかったんでしょう。

閑話休題。

本書でまず最初に取り上げられる「ロシアフォルマリズム」は、作者の性格や環境、社会背景を考えるような読みはしません。そこに書かれている「ことば」の外にあるものを問題にしないのです。記号としての、機構としての、ことばをみていく。たとえば、そのような読み方で浮き上がってくる文学構造的な特質は、「異化作用」というものです。「異化作用」は、「日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法」です。そうすることで読み手は「そうだったか!」「そういう見方ができるんだ」と、知覚や意識が覚醒して活性化することになる。それこそが、異化作用の目的なのでした。それは、安定した日常に背く行為でもあります。日々安定したものとして見えていたものが、異化作用によってまったく別の形をして見えはじめる。ですが、そこで新たな気付きが得られるわけです。芸術の目的とは、まずひとつ、こういったようなことがあるのでした。本書での単純な例としては、「上は洪水、下は大火事、これなんだ?」というなぞなぞが書かれています。これは昔ながらの薪で沸かした風呂のことを異化しているのです。小説作品では、もっと長い文章量を用いて、積み重ねて積み重ねてリアリティとか実感を読み手にシンクロさせていって、それから異化して衝撃を与えたりしますよね。異化作用には快感もあると思います。

このように、「ロシアフォルマリズム」だけでも興味深くておもしろいのですが、つづく「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」も同じくらい興味を惹く中身でした。とくに「昔話形態学」についてはプロップという人が多くの昔話を分析して見つけた31の物語構造が解説されていて、この31の約束どおりをプロットでなぞってみるだけでもいっぱしの物語ができるに違いないほどでした。また、僕個人がこれまで書いてきた短篇を思い返してみても、知らずしらずのうちにこの物語構造をなぞっていることがわかり、ちゃんとやれてたなという優等生な気持ちと、逆にステレオタイプめいてたかなという残念な気持ちとが半々な気持ちになりました。また、極論すると、「行って帰ってくる」のが物語である、となるのですが、読み終えてすとんと腹に落ちるかたちの物語って必ずそうだと思います。ただ、現代の小説って、そこを気持ち悪く終わるものもありますよね。うろ覚えですが、ポール・オースターの『ガラスの街』なんかは行きっぱなしで帰ってこなかったような気がしますが。帰ってくるけどいろいろ喪失している、っていう終わり方もありますよね。さまざまな可能性があってこそ小説はおもしろいともいえるので、31の定型の形のなかで自由をやる以外の方法もまだまだ残されているのではと思いました。亜種のように出来あがるものもあるでしょうし。

そういうところですが、本書によってもっと読み方が自由になる方はたくさんいらっしゃると思います。理論を知ることで読み方の地平が切り拓かれる。そんなタイプの開いた読書へとつながる本だと思いました。タイトルから受ける印象ほど堅くはないですよ。


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