Fish On The Boat

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『小さな黒い箱――ディック短篇傑作選』

2021-02-07 22:45:12 | 読書。
読書。
『小さな黒い箱――ディック短篇傑作選』 フィリップ・K・ディック 大森望・編
を読んだ。

『ブレードランナー』として映画化された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が有名なフィリップ・K・ディックの短篇傑作選の第5集。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の元(創作のきっかけ)となった作品が表題の「小さな黒い箱」です。全11作品。

今回はじめて読んだフィリップ・K・ディックなのですが、彼の作品には映画『ブレードランナー』しか触れたことがなく、ゆえにディックはもっとハードボイルドなSF作家かとイメージしていました。どっこい、その作風にはユーモアとウイットがふんだんに感じられました。

SF作家をプレコグ(予知能力者)とみなす短編があって、舞台となる未来世界から時間旅行をした未来人が1950年代のSF作家の集まりにまじるのだけれど、レイ・ブラッドベリがでてきたり、アシモフを探したり、そこでの主要人物で未来に連れ去られるのが実在のSF作家だったり、ずいぶんくだけたことをやってるなと思いました。ノリはもはや同人誌です。

SF作家をプレコグとみる、なんていうのは、たとえば最近、IT企業が未来予測のためにSF作家を雇うなんてのが実際、現実にあったんじゃなかったでしたっけ? となると、ディックのイマジネーションと論理力、それら自体がまさにプレコグ的であり、自分でそれに気付いて「SF作家=プレコグ短編」を書いたようなもので、なんだかおもしろい。自己言及性が生じていますから。

またモノレール交通システムがよくでてきます。1950年代のアルヴェーグ式モノレール(ゴムタイヤモノレール)の登場で、それ以降はモノレール交通システムが普及していくと見られていたようですから、この近くの年代のSF小説作品での未来世界ではモノレールが走っていたりするのでしょう。アニメ化や実写映画化された漫画『映像研には手を出すな!』の舞台となる未来世界でモノレール交通システムが普及しているのは、そんな昔のSFへのオマージュなんだなあと納得しました。昔の時代に思い描かれていた未来世界の断片的実現を、創作世界で何十年もたった今やっているのでした。オマージュは、愛ですね。

特に好みの作品を挙げるとすると、次の二つになります。「ラウタヴァーラ事件」と「時間飛行士へのささやかな贈物」。二つとも、生から死への直線的な道理からはずれている作品です。前者はエイリアンによる蘇生が呼んだ過去の追体験が物語られていますし、後者は閉じた時間の輪のなかにいる者たちが自分たちの葬儀に参列するなどの奇妙な時間の送り方が描かれている。こういった死生観みたいなものを、ほとんど考えたことのないような分解の仕方をして再構築して物語ってみせるようなのものは、どうやら僕はおもしろいと感じやすいのかもしれません。不意をつかれるのに似てもいます。

SFは、現代物理学はもちろんそうですが、いろいろな理工系の知識に明るくなければ本格モノって書けないような印象があります。そればかりか、哲学や精神医学にも並大抵以上の知識をもって物語を構築していくようなイメージがあります。僕なんかはSF始めは「SF=すこしふしぎ」の藤子F先生で、藤子っ子としてSFに触れていますし、その後に手塚作品で『火の鳥』を手始めとして子どもの頃にいろいろ読んだものでした。そういった漫画作品と、『スターウォーズ』『スタートレック』といった映像作品が土台にあります。でも、SF好きのひとって、そういう子どもの頃の刷り込みを超えて、柔軟にいろいろと新たなSFにも対応できるような頭をしている気がします。少なくとも僕自身はそういうタイプだと思うんです。まあ、面白いですよね。

世の中には、こういったSFという世界も豊饒なものとして存在しているわけで、まだその片鱗しか知らないような僕にとっては、わくわくしてきますし、楽しくうれしい気分になります。


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