Fish On The Boat

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『こちらあみ子』

2021-03-05 22:56:37 | 読書。
読書。
『こちらあみ子』 今村夏子
を読んだ。

太宰治賞と三島由紀夫賞をW受賞した、今村夏子さんのデビュー作。

解説で町田康さんが書かれているとおり、いろいろな読み方のできる作品だと思いました。さらにいえば、その解釈の仕方によって、それぞれの人の持ち味があからさまになるのではないか。そういう、優れた試薬のような性質を隠しもっていそうな作品で、こうやって感想を書いていくと僕という人間が底の方からバレてしまうだろうなあと思われるのですが、まあ気にせず書いていきます。

僕にはそこまで降りていけていなかったようなところまで作者は降りていっていて、さらにそんな地点にいる人物と同じ目線でモノを見ている。混沌や混濁を飲みこみながら、ある種の特別な明晰さで表現しているし、巧みなギミックも用いてもいる(はじめて書いた小説がこれだなんてすごいですね)。小学生の頃、あみ子と重なり合うところのあるような気がする女の子がいた。僕は、その子を嫌だと思っていた、この小説に登場するのり君みたいに。その子の側に立ってみるなんてことは思いもよらないまま、そこの部分は凍結されて僕はオトナになっていた。それを『こちらあみ子』から知りましたねえ。

あみ子は枠からはみでた子なんですよね。枠からはみ出た子は枠からはみ出ていることには気付けない。自らはのびのびしていても、知らずしらずのうちに周囲の者たちのこころを切りつけていたり。でもそんな周囲の者たちは、ぐっと一呼吸おいたスタンスであみ子にまあるく触れる。そういう営みがあった。まあるく触れるといっても、みんな余裕があるわけじゃないですからある種のいびつさを内包したまま触れるんだけれども。

あみ子のほうはというと、たぶんタイトルの「こちらあみ子」のとおり、ほんとうに生のコミュニケーションを他者としたいとずっと思っている。ストレートにお互いのこころ同士で話をしたい、というような。中学生になって調子が悪くなっていくところは、成長して大人に近づいて、無意識にその切実さが深まったからだと僕は解釈します。

で、つづく「ピクニック」と「チズさん」を読むと、作者に対してさらにつかみどころがわからなくなりました。愛情とも悪ノリともわかちがたいような感覚が、そこにはあるように感じて、やっぱり混濁と混沌を飲みこんで書いているような気が僕にはしました。なんていうか、謎なんですよね、どっちに転ぶのかっていうのが、ちょっとこれだけではわかりません。でも、その分かちがたく溶け合っているような、そこのところがおもしろいのでしょうね。あえて未分化でやってます、みたいな感じがしました。


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