Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

自律と他律と資本論。

2021-03-19 13:03:02 | 考えの切れ端
先日、録画していた1月のEテレ100分de名著・資本論のシリーズを見ていました。

資本論は言わずと知れたカール・マルクスの名著で、経済学で扱われますし、社会主義や共産主義へひとびとを動かしていった力があった本です。だからかえって「社会主義か~」「共産主義か~」と斜に構えてしまってこの録画を再生したのですが、資本論への距離間や読み解いていくための立ち位置が上手で、おもしろく視聴しました。

そんななか、ハッとする考え方が出てきました。資本主義は、仕事を「企画や計画をたてる側」と「実際に身体を動かして製作したりなど遂行する仕事の側」とのふたつに分けたとあった。昔だったら、たとえば家を建てるにしても、設計から大工作業まで同じ人たちが全般を通して働いたことが多かったはずです。まあ、家を建てる場合はちょっとおおがかりなので、とりあえず、仕事を最初から最後までひととおり通してやりぬくのが、昔ながらのやり方だったと踏まえていてください。

資本主義の勢いが強くなっていくにつれて、仕事上の計画に立つ側と実行に立つ側の分割がよりはっきりしていきます。この場合、実行側は、計画側に言われたとおりに仕事をこなすだけのような役割を担わされる。僕はこの構図を他律性の視点でながめました。僕は何度か書いてきましたが、大雑把にいえば、他律性にさらされたひとは幸福感を感じにくく自律性で動くほうが幸福感を感じやすい、というのがそれでした。何かの翻訳本、それも別々の二冊の本に載っていた同じ実験結果の話もこの説を後押しします。それは、アメリカのコントロール心理学という分野で老人ホームを実験観察したときの話。自分で裁量をもたせられて自律的に生活できたグループと、他者からの命令や指図つまり他律性のなかで生活したグループとを比較すると、前者のほうが寿命が長くなった、あるいは後者の寿命が短くなった、という結果が得られたのだそう。僕の、「他律性は幸福感を感じにくくする」という考えと近接しているように思いました。幸福感はきっと長生きにつながると思いますから。幸福感の有無は、人体によくはないストレスの多寡が関係していそうに思えます。

さて。
マルクスは、この分割された仕事を再統合することが大切なのではないか、と考えていたそうです。経済的にも、精神的にも、そのほうがより良くなることをマルクスはマルクスなりに考えていました。100分de名著でわかりやすく解説されていましたが、ちょっと今回はそのあたりの説明はしません。
だんだん見えてきたと思います。そうなんですよね、資本主義によって分離された仕事を「統合」するということは、僕が考える「自律」とかなり似たようなものなのでした。僕のイメージではそうだったんです。ひととおりの仕事をすべて自分でやってみることが幸せにつながることは、すなわち「自律性でやる仕事」だと言えるのではないでしょうか。反対に、他律性に視点を持っていくとするとこう考えられます、「資本主義って仕事に他律性を増してしまったんだ」と。他律性が幸福感を得にくくする論理がもしも実証されるなら(もしくは、されていたとするなら)、資本主義による分業のありかたは幸福感を得にくくさせるということが疑いようのない事実だとはっきりと認められることになります。

かといって、資本主義をきっぱりやめられるかというとそうではないし、資本主義のよいところや楽なところはたくさんあるでしょう。自律性には、「関係性の自律」という考え方もあります。これは他律と自律のあいだですりあわせをするような在り方です。同じように、資本主義の分業システムも人間の幸福視点から見直していいのではないか。まずは分業のすり合わせだとか、任せられる仕事はあえて分業しないだとか、やっていけたら楽しくなるのですけども。それでいて生産性が落ちなければ、完璧に移行できますよね。

という考えの切れ端でした。おそまつさまです。
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