読書。
『誰が音楽をタダにした?』 スティーブン・ウイット 関美和 訳
を読んだ。
サブタイトルは「巨大産業をぶっ潰した男たち」。2000年くらいからの同時期に、かたやインターネットは普及し発展していき、かたや音楽産業の売上は右肩下がりになっていく。その中身を解剖するように見ていくと、僕の世代なんかではよく知っているmp3圧縮技術が時流を作った要となっていたのです。本書は日本でも少なからず影響のあった違法コピー音楽の面でのインターネット史・ノンフィクションといえます。
本書は三つの観点からこのインターネット・音楽違法コピー史の内実をひも解いています。インターネットが市民権を得るずっと前から、後にmp3として結実する音響技術の研究を続けていたブランデンブルク氏が中心の音響チームのストーリー、つまり音楽コピーに続いていく技術面でのストーリーがまずひとつ。次に、CD製造工場から発売前のCDを盗みネットにリークするいわゆる「シーン」と呼ばれる世界でもっとも優秀なひとつの集団のなかにいてリーク元としての大物だったグローバーのストーリー、つまり違法コピー曲を世に広めた側のストーリーがふたつめ。最後に、ユニバーサル・ミュージックなどのエグゼクティブ職(お偉いさん)として音楽産業を引っ張っていたモリスのストーリー、つまり音楽業界の体質ひいていえば金を生むことを第一とするビジネス世界の体質が、顧客とする一般大衆に知らず与えていた影響が違法コピーの敷居を下げたともコピー禍を招いたともいえるその関連性のストーリーがみっつめ。これらを10ページから20ページの分量の章を順繰りに読ませていくかたちになっています。
mp3を再生するソフト、「winamp」は僕も使っていたことがあります。スキン(ソフトのデザイン)を変えられるようになった頃だったので、もう終盤だったのかもしれません。その後、日本製のコーデックを手に入れて、個人的に、それもたまにCDをリッピングしたり、DTMで作成したファイル(自分で作った音楽)をmp3にして自身のホームページ上で一般公開したりしていました。どこかのサイトからダウンロードしたのは20曲もなかったと思うし、それに手に入れた曲はレンタルし直したりもしていたタイプなので、あまり「音楽を盗んでいた」感覚はないほうなのですが、それでも、そういう時代のそういう状況や場を知っていましたから、本書で描かれるさまざまなエピソードにはどこか自分と近い世界のことのように感じられるものもありました。また、世界的に有名な音楽シェアソフト・ナップスターも出てきますが、それほど記述は多くありません。
本書の帯に「すでに知っている話と思うなかれ(NYタイムズ)」とあります。ほんとうにその通りで、ここまで「違法コピーの広まり」という事象が、偶然やタイミングのちょうど良さなどの要素がいくつも絡み合ったものだということには気付けていませんでした。当時とても勢いがあって台頭著しかったラップミュージックにしても、その歌詞の内容は非倫理的なものでした。殺人や強姦などを歌うものもあったようですし、効果音に銃声を用いた曲も聴いたことがあるような気がします。そうやって壊されていった道徳観が、違法コピーを拒絶するはずの心理的な壁をも壊していたともとれるのです。ミュージシャンが音楽で訴えていた自由や反権力などは違法コピーを作ったり聞いたりする心理と親和性があるものだったのに、違法コピーが無視できなくなるとミュージシャンが食べていけなくなるという現実的な問題を前に、引きはがされることになりました。これには、一般人が困惑して当然だったと僕は思います。ミュージシャンにも本音と建前があったのか、と見えたりもしましたから。今でもそうですが、そこのところをうまく、ミュージシャンとリスナーを繋げていくような言説は見なかったです。それがきれいごとでも、反対にまるだしの欲望でも、納得は生まれにくい案件なのではないかなあと思います。それだけ、音楽の、過去からの蓄積が定着していて、それらは違法コピーに対峙するようなものではなかったからだと言えるかもしれない。
本書では、そういった細かな事実たちを見逃さず、しっかりライトを当てて語るようなところがあります(短く語るだけで読者に委ねるようなものもありますが)。それは音楽業界や研究者、消費者の世界の局所的な歪みのようにみえて、実は社会全体で看過している歪みだったりすることに気づくことになるでしょう。
どうしてグローバーは音楽を盗むようになったのか。どうしてmp3が、他の似たような技術のようではなく、違法音楽コピーつまり音楽流出のための技術になっていったのか。そういったことも、「事実は小説よりも奇なり」というような展開の連続をしながら明かされていきます。
はじめに書いたように、インターネット史の一面を知る内容なのですが、それにしたってエンターテイメント的に知ることができる本です。僕なんかにとっては、この違法コピーの当時の流れこそが、インターネット史を知る上では避けられない「負のメインストリート」として知っておくべきことだと思うくらいです。だって、ほんとうに大勢の人が違法コピーを経験していますから。Win98前後のころなんて、パソコンに詳しくなろうと思ったティーンならば、こういった世界を知るのはマストってくらいでした。そういう時代だったともいえます。
そんな時代も、こういうふうに客観的に、そして整理されて伝えられるものになったというわけです。それでも、まだなかなか割り切れない部分を多く残しています。それは現代においてもそのままになっている課題がそこに眠っているからなのでしょう。分量は350ページほどですが、けっこう読み終えるのに時間がかかりました。むずかしくはありませんが、一章よむごとにふうと息を吐いて物想いに浸るような感じでした。今、40代半ばくらいの人で当時からインターネットに触れている人、またはそんな時代を知らない10代の人、どんな世代でも楽しめる本だと思いました。
『誰が音楽をタダにした?』 スティーブン・ウイット 関美和 訳
を読んだ。
サブタイトルは「巨大産業をぶっ潰した男たち」。2000年くらいからの同時期に、かたやインターネットは普及し発展していき、かたや音楽産業の売上は右肩下がりになっていく。その中身を解剖するように見ていくと、僕の世代なんかではよく知っているmp3圧縮技術が時流を作った要となっていたのです。本書は日本でも少なからず影響のあった違法コピー音楽の面でのインターネット史・ノンフィクションといえます。
本書は三つの観点からこのインターネット・音楽違法コピー史の内実をひも解いています。インターネットが市民権を得るずっと前から、後にmp3として結実する音響技術の研究を続けていたブランデンブルク氏が中心の音響チームのストーリー、つまり音楽コピーに続いていく技術面でのストーリーがまずひとつ。次に、CD製造工場から発売前のCDを盗みネットにリークするいわゆる「シーン」と呼ばれる世界でもっとも優秀なひとつの集団のなかにいてリーク元としての大物だったグローバーのストーリー、つまり違法コピー曲を世に広めた側のストーリーがふたつめ。最後に、ユニバーサル・ミュージックなどのエグゼクティブ職(お偉いさん)として音楽産業を引っ張っていたモリスのストーリー、つまり音楽業界の体質ひいていえば金を生むことを第一とするビジネス世界の体質が、顧客とする一般大衆に知らず与えていた影響が違法コピーの敷居を下げたともコピー禍を招いたともいえるその関連性のストーリーがみっつめ。これらを10ページから20ページの分量の章を順繰りに読ませていくかたちになっています。
mp3を再生するソフト、「winamp」は僕も使っていたことがあります。スキン(ソフトのデザイン)を変えられるようになった頃だったので、もう終盤だったのかもしれません。その後、日本製のコーデックを手に入れて、個人的に、それもたまにCDをリッピングしたり、DTMで作成したファイル(自分で作った音楽)をmp3にして自身のホームページ上で一般公開したりしていました。どこかのサイトからダウンロードしたのは20曲もなかったと思うし、それに手に入れた曲はレンタルし直したりもしていたタイプなので、あまり「音楽を盗んでいた」感覚はないほうなのですが、それでも、そういう時代のそういう状況や場を知っていましたから、本書で描かれるさまざまなエピソードにはどこか自分と近い世界のことのように感じられるものもありました。また、世界的に有名な音楽シェアソフト・ナップスターも出てきますが、それほど記述は多くありません。
本書の帯に「すでに知っている話と思うなかれ(NYタイムズ)」とあります。ほんとうにその通りで、ここまで「違法コピーの広まり」という事象が、偶然やタイミングのちょうど良さなどの要素がいくつも絡み合ったものだということには気付けていませんでした。当時とても勢いがあって台頭著しかったラップミュージックにしても、その歌詞の内容は非倫理的なものでした。殺人や強姦などを歌うものもあったようですし、効果音に銃声を用いた曲も聴いたことがあるような気がします。そうやって壊されていった道徳観が、違法コピーを拒絶するはずの心理的な壁をも壊していたともとれるのです。ミュージシャンが音楽で訴えていた自由や反権力などは違法コピーを作ったり聞いたりする心理と親和性があるものだったのに、違法コピーが無視できなくなるとミュージシャンが食べていけなくなるという現実的な問題を前に、引きはがされることになりました。これには、一般人が困惑して当然だったと僕は思います。ミュージシャンにも本音と建前があったのか、と見えたりもしましたから。今でもそうですが、そこのところをうまく、ミュージシャンとリスナーを繋げていくような言説は見なかったです。それがきれいごとでも、反対にまるだしの欲望でも、納得は生まれにくい案件なのではないかなあと思います。それだけ、音楽の、過去からの蓄積が定着していて、それらは違法コピーに対峙するようなものではなかったからだと言えるかもしれない。
本書では、そういった細かな事実たちを見逃さず、しっかりライトを当てて語るようなところがあります(短く語るだけで読者に委ねるようなものもありますが)。それは音楽業界や研究者、消費者の世界の局所的な歪みのようにみえて、実は社会全体で看過している歪みだったりすることに気づくことになるでしょう。
どうしてグローバーは音楽を盗むようになったのか。どうしてmp3が、他の似たような技術のようではなく、違法音楽コピーつまり音楽流出のための技術になっていったのか。そういったことも、「事実は小説よりも奇なり」というような展開の連続をしながら明かされていきます。
はじめに書いたように、インターネット史の一面を知る内容なのですが、それにしたってエンターテイメント的に知ることができる本です。僕なんかにとっては、この違法コピーの当時の流れこそが、インターネット史を知る上では避けられない「負のメインストリート」として知っておくべきことだと思うくらいです。だって、ほんとうに大勢の人が違法コピーを経験していますから。Win98前後のころなんて、パソコンに詳しくなろうと思ったティーンならば、こういった世界を知るのはマストってくらいでした。そういう時代だったともいえます。
そんな時代も、こういうふうに客観的に、そして整理されて伝えられるものになったというわけです。それでも、まだなかなか割り切れない部分を多く残しています。それは現代においてもそのままになっている課題がそこに眠っているからなのでしょう。分量は350ページほどですが、けっこう読み終えるのに時間がかかりました。むずかしくはありませんが、一章よむごとにふうと息を吐いて物想いに浸るような感じでした。今、40代半ばくらいの人で当時からインターネットに触れている人、またはそんな時代を知らない10代の人、どんな世代でも楽しめる本だと思いました。