読書。
『掏摸』 中村文則
を呼んだ。
2010年に大江健三郎賞を受賞した作品。『掏摸』は「スリ」と読みます。財布などを気付かれないうちに抜き取る犯罪やその犯罪者のことを言うのはみなさん御承知のことだと思います。
掏摸である主人公が、裏社会の核からの風に触れてしまうがために陥る運命。そして、運命とはなんなのかを問うような場面があり、悪役である木崎が語る悪の哲学的な世界観に触れる場面がありなど、思弁的部分がありながらも読者を飽きさせず、どんどん読ませていく、力のある作品でした。エンタメの技巧をうまく取り入れた純文学というべきでしょうか。
面白い。こんな質感の犯罪小説は読んだことがありません。一枚めくると透明な水を湛えた灰色の世界が静かに湿って存在しているような。こん棒を握る相手と対峙している緊張感、というと言い過ぎかもしれないけれど、対決中ゆえの目の離せなさに似た読み応えがあります。
とはいえ、社会の境界を越えた反社会的な内容の物語です。よく、作者はそんな境界を飛び越えた意識で書いたなと思う。ちょっと、俗人には飛び越えられない境界線を越えてしまっているような感じがします。境界線を飛び越える躊躇を、本作の中身からすこしも感じさせないところに力量があるのでしょうが、かといって著者にそういう躊躇がまるでなかったかといえば、そうではないでしょう。反社会性に足を踏み入れている精神的な疲弊や恐怖を乗り越えながら書きあげているとみたほうが、ほんとうなのだと思います。
この作品世界の怖いところは二点。まずは、悪役の木崎という男のキャラクターが圧倒的な悪であることにありました。社会とはルールでできあがっている世界ですが、反社会の世界となると、そのルールが怪しい。約束は守られたり破られたりする。理不尽な世界で、命だって軽い。木崎は言います。「歴史上何百億人という人間が死んでいる。お前はその中の一人になるだけだ。すべては遊びだよ。人生を深刻に考えるな。」と。
この言い分は、まるでそれが突飛なことだと言いきれるものではないがために、奇妙な説得力を持っているかのように感じます。なぜなら、商売の世界において、いや現在の経済ありきの資本主義至上主義の世界のビジネスにおいて、そのビジネスのやりようって見ようによっては「利害関係のゲーム」をしている、それもときに人生を賭けてやっているように見えるからです。人を大事にするよりもお金を稼ぐことが優先という性格が強く、その頭脳戦であるマネーゲームはルールをうまくかいくぐりもしながら儲けを得ていこうとしていく。そこに、「すべては遊びだよ。」が重なるのです。
木崎が言っている「遊び」は、経済だけに限らず、政治や権力など、もっと広範な「この世界の支配」について。実際にそういう裏社会であれやこれやが繰り広げられているかどうか、それはもう陰謀論レベルなのだと思うのですが、本作品での犯罪のディテールにある現実感と冷酷さが、それを絵空事だと簡単に読者に判断させず、巧みに物語のなかへと引き込んでいきます。もう見事なんです。このディテールが二つ目の怖さですね。掏摸である主人公のテクニックや思考などの本物感が、実は怖いんです。そして、それでいて常軌を逸していない範囲です。現実の地平のなかで行われている。本書を読み進め読了できるかは、これらの怖さに耐えられてこそです。しかしながら、本書を読んでこそ持ち帰ることができる宝物はあるのです。
あとがきで著者が書いていますが、これはひどい運命を生きる個人による抵抗の物語なのでした。本作品に描かれる犯罪そのものにというのではなく、主人公の行動や意志にたいして共鳴するもののある読者は一定数いそうです。そして、その共鳴を起こしている部分っていうは、現実において、善き社会を考えて構築していく上で、とても大切になる部分と重なるのではと思いました。
中村文則作品は二冊目で、前に読んだ『銃』も面白かったんですが、この『掏摸』にはもうやられたっていうくらい面白かったです。また著者の作品を手に取ろうと思います。
『掏摸』 中村文則
を呼んだ。
2010年に大江健三郎賞を受賞した作品。『掏摸』は「スリ」と読みます。財布などを気付かれないうちに抜き取る犯罪やその犯罪者のことを言うのはみなさん御承知のことだと思います。
掏摸である主人公が、裏社会の核からの風に触れてしまうがために陥る運命。そして、運命とはなんなのかを問うような場面があり、悪役である木崎が語る悪の哲学的な世界観に触れる場面がありなど、思弁的部分がありながらも読者を飽きさせず、どんどん読ませていく、力のある作品でした。エンタメの技巧をうまく取り入れた純文学というべきでしょうか。
面白い。こんな質感の犯罪小説は読んだことがありません。一枚めくると透明な水を湛えた灰色の世界が静かに湿って存在しているような。こん棒を握る相手と対峙している緊張感、というと言い過ぎかもしれないけれど、対決中ゆえの目の離せなさに似た読み応えがあります。
とはいえ、社会の境界を越えた反社会的な内容の物語です。よく、作者はそんな境界を飛び越えた意識で書いたなと思う。ちょっと、俗人には飛び越えられない境界線を越えてしまっているような感じがします。境界線を飛び越える躊躇を、本作の中身からすこしも感じさせないところに力量があるのでしょうが、かといって著者にそういう躊躇がまるでなかったかといえば、そうではないでしょう。反社会性に足を踏み入れている精神的な疲弊や恐怖を乗り越えながら書きあげているとみたほうが、ほんとうなのだと思います。
この作品世界の怖いところは二点。まずは、悪役の木崎という男のキャラクターが圧倒的な悪であることにありました。社会とはルールでできあがっている世界ですが、反社会の世界となると、そのルールが怪しい。約束は守られたり破られたりする。理不尽な世界で、命だって軽い。木崎は言います。「歴史上何百億人という人間が死んでいる。お前はその中の一人になるだけだ。すべては遊びだよ。人生を深刻に考えるな。」と。
この言い分は、まるでそれが突飛なことだと言いきれるものではないがために、奇妙な説得力を持っているかのように感じます。なぜなら、商売の世界において、いや現在の経済ありきの資本主義至上主義の世界のビジネスにおいて、そのビジネスのやりようって見ようによっては「利害関係のゲーム」をしている、それもときに人生を賭けてやっているように見えるからです。人を大事にするよりもお金を稼ぐことが優先という性格が強く、その頭脳戦であるマネーゲームはルールをうまくかいくぐりもしながら儲けを得ていこうとしていく。そこに、「すべては遊びだよ。」が重なるのです。
木崎が言っている「遊び」は、経済だけに限らず、政治や権力など、もっと広範な「この世界の支配」について。実際にそういう裏社会であれやこれやが繰り広げられているかどうか、それはもう陰謀論レベルなのだと思うのですが、本作品での犯罪のディテールにある現実感と冷酷さが、それを絵空事だと簡単に読者に判断させず、巧みに物語のなかへと引き込んでいきます。もう見事なんです。このディテールが二つ目の怖さですね。掏摸である主人公のテクニックや思考などの本物感が、実は怖いんです。そして、それでいて常軌を逸していない範囲です。現実の地平のなかで行われている。本書を読み進め読了できるかは、これらの怖さに耐えられてこそです。しかしながら、本書を読んでこそ持ち帰ることができる宝物はあるのです。
あとがきで著者が書いていますが、これはひどい運命を生きる個人による抵抗の物語なのでした。本作品に描かれる犯罪そのものにというのではなく、主人公の行動や意志にたいして共鳴するもののある読者は一定数いそうです。そして、その共鳴を起こしている部分っていうは、現実において、善き社会を考えて構築していく上で、とても大切になる部分と重なるのではと思いました。
中村文則作品は二冊目で、前に読んだ『銃』も面白かったんですが、この『掏摸』にはもうやられたっていうくらい面白かったです。また著者の作品を手に取ろうと思います。