読書。
『保健所の「コロナ戦記」 TOKYO 2020-2021』 関なおみ
を読んだ。
保健所と東京都庁の感染症対策部門の課長としてCOVID-19(新型コロナ)への対策に立ち向かい、第一線で指揮を執り続けた公衆衛生医師による記録。
第1波などの感染者数のボリュームがあがった時期をひとつの章とし、3月・4月・5月など月単位を節としてすすんでいきます。とはいえ、そういったまとまりには縛られない箇所は多く、その節ではじめて持ちあがった制度やHER-SYS(コロナ陽性者のデータ管理システム)などのシステムが、その後どういった経路をたどっていったか、などがある程度のまとまりとして一挙に記述されていたりします。なので、あれもこれもと目白押しのように様々な改善や問題が押し寄せてくる中、そのどれもを覚えながらその都度また浮上してきたときに「ああ、あれだったか!」と淡い記憶のなかから引っ張り出さなくてもついていける作りになっています。
それでも複雑といえば複雑に感じる部分はあるのですが、それだけ都庁や保健所での本来の現実の状況が、支離滅裂に近いほどキャパをはるかに越えた極限にあり、追体験的な形式で書いたならばその大変さは伝わるかもしれないですが、脱落してしまう読者がでてくるので、こういった、ある程度まとまった単位の連なりといった体裁になったのかもしれません。
さて。保健所は第1波からもう大変なんです。今振り返ると、第1波の感染者数はそれほどでもなかったような気がしてくるのですが、新型コロナとの出合い頭の時期ですから、まったく楽ではない。新型コロナはそれまでに類のない感染力と症状の強さがあり、何よりどういうウイルスかまるでよくわかっていない。そんな新型コロナへの対応は、前例にならうというよりも(3密回避などはペストの時代が参考になるものではありましたが)、そして同時進行なので他国のやり方を参考にするというよりも、自らでやり方を創造していかないといけなかった。現場担当のやりくりの仕方、それはマスコミ対応に現場を指揮すべき者がとられてしまうなどといった非効率な有り方を変更してもらう働きかけなんかもあるのですが、そういった適材適所的に対応する態勢作りから始まります。しかしながら、他の部署との兼ね合いから改善できなくて苦しい思いをし続ける仕事もしばらく残り続けたりする。なかでも、日勤後の深夜、救急隊からの電話への対応などでの消耗は痛々しい。
また、パンクするほど忙しい、都庁の感染症対策部署や保健所では、その人員で処理できる仕事量をはるかに超える仕事が舞い込むわけです。暴力的な仕事量、とも書かれています。職員のなかにはメンタル不調におちいる者も珍しくないくらいだったそう。そこで、医療の人材派遣会社から看護師が派遣されてくる。そういった医療での民間の余剰戦力みたいなものがあるなんて、知らなかったです。ワクチン接種の時も、引退したり退職したりした看護師さんが一時的に復帰してやってくれているのか、と思っていましたが、人材派遣会社があったなんて。でも、平時だったら、職に定着できない看護師さんだったりするのだろうか。一般職の人材派遣のように、社会に世知辛さを感じていた人たちだったのかなぁと思いもしました。
ホテル療養者になる人や自宅療養者になる人への対応の箇所など、さまざまなケースがあります。枕が変わると眠れないからという人や、閉所恐怖症でホテルの部屋に入れないという人など、読んでみると現実を思い起こして「そういう人はいるだろうな」と思い当たりもするのです。でも、そういう人たちに出くわしてみるまでは想像がつかないケースだと思うんですよ。職員たちは、そういった人たちとも話を重ねて解決策や妥協案を導き出してちゃんと療養かつ隔離の方向へもっていく。
今回の読書で大雑把にですが、これはほんとうに自分が考えたこともなかった新しい知見だなぁと、ちょっと恥ずかしいのですが気付かされた点があります。それは日本という国のなかに住む人々の層は、なかなかに複雑だということです。極端なところだと、予防策を取らず、アクティブに行動する層があり、そういった層は感染しやすい。また真逆に、予防策を順守する、まず感染しない層がある。具体的には、高齢者の介護施設の層があるし、夜の歓楽街の出入りが激しい人たちやそこで働いている人たちの層があり、反社会的勢力の層があり、そういった層とは無縁の層がある。第○波ごとに、感染のはじまりや広がりに特徴的な層があったみたいです。第1波はセレブだとか、海外を飛び回っているだとかで、第5波はオールエントリーみたいになってきていた。社会って複雑な人流があって、それぞれ棲み分けているのか、っていうイメージは今回もしかするとはじめてはっきりと意識することになりました。
それと、感染症法について、コロナ陽性になったとき、過去14日間の足跡の報告を怠ったり虚偽の報告をした場合、30万円の罰金が科せられ(暴行罪と同じ金額)、入院中に脱走したら50万円の罰金が科せられる(傷害罪と同じ金額)ことは初めて知りました。
現在、第6波が最大の流行をしていますよね。保健所の職員は大丈夫なのだろうか、と本書を読んだ後だと背筋がぞくぞくしてきます。東京都では1日に2万人くらいの陽性者が出て、都民の100人に1人が自宅療養者になっている計算になるとどこかの記事で読みました。これ、対応しきれないのではないかと。非常にまずい状況なのは間違いなく……。
アメリカなんかは、コロナへの対応を緩和しているという話をツイッターで聞いたものですが、これって「コロナにはお手上げ」対応しただけなんじゃないか、と。日本の場合、それをやると、医療も保健所もパンクしてしまう。
いろいろと嫌な想像をしてしまいます。一生コロナに罹らないでいるのは不可能だとWHOの誰かが発言したようですが、弱毒化して風邪くらいになればまだいいです。現在主流のオミクロン株は従来より弱毒化したなどと当初言われましたが、ツイッターを眺めている感じではそんな生易しいものではないみたいで、症状が出るとインフルエンザよりもずっとつらくて特に高齢者や基礎疾患のある人にとっては命の危険があることには変わらないようです。とはいえ、情報もさまざまなものが流れていて、どれを信用しようかよくわからなくもなる(まだまだコロナの正体はわかっていないから錯綜します)。そして陽性者が膨大なので、それだけ分母が大きくなると重症者や死者も増えてきます。医療のひっ迫も相当なものです。
緊急事態宣言や生活面での規制でみんな「もういい加減、いやになってきたな」と飽きあきしてきた今、もしかすると最大に危ないのではないか。このまま集団免疫まで突っ走って一度おさまったとして、またインターバルをおいてから同じような流行が繰り返されたりしないのだろうか(何度も陽性になる人がいますから、そう考えることもできます)。
というように、気持ちが暗がりへ転がっていきそうになるところで、もうやめておきます。こういった厳しい状況でも、人のために粉骨砕身はたらいてくれた人たちの記録、つまり本書から、どんなときでもくじけない強い気持ちを人間は持ち得ることを思い起こしながら。
『保健所の「コロナ戦記」 TOKYO 2020-2021』 関なおみ
を読んだ。
保健所と東京都庁の感染症対策部門の課長としてCOVID-19(新型コロナ)への対策に立ち向かい、第一線で指揮を執り続けた公衆衛生医師による記録。
第1波などの感染者数のボリュームがあがった時期をひとつの章とし、3月・4月・5月など月単位を節としてすすんでいきます。とはいえ、そういったまとまりには縛られない箇所は多く、その節ではじめて持ちあがった制度やHER-SYS(コロナ陽性者のデータ管理システム)などのシステムが、その後どういった経路をたどっていったか、などがある程度のまとまりとして一挙に記述されていたりします。なので、あれもこれもと目白押しのように様々な改善や問題が押し寄せてくる中、そのどれもを覚えながらその都度また浮上してきたときに「ああ、あれだったか!」と淡い記憶のなかから引っ張り出さなくてもついていける作りになっています。
それでも複雑といえば複雑に感じる部分はあるのですが、それだけ都庁や保健所での本来の現実の状況が、支離滅裂に近いほどキャパをはるかに越えた極限にあり、追体験的な形式で書いたならばその大変さは伝わるかもしれないですが、脱落してしまう読者がでてくるので、こういった、ある程度まとまった単位の連なりといった体裁になったのかもしれません。
さて。保健所は第1波からもう大変なんです。今振り返ると、第1波の感染者数はそれほどでもなかったような気がしてくるのですが、新型コロナとの出合い頭の時期ですから、まったく楽ではない。新型コロナはそれまでに類のない感染力と症状の強さがあり、何よりどういうウイルスかまるでよくわかっていない。そんな新型コロナへの対応は、前例にならうというよりも(3密回避などはペストの時代が参考になるものではありましたが)、そして同時進行なので他国のやり方を参考にするというよりも、自らでやり方を創造していかないといけなかった。現場担当のやりくりの仕方、それはマスコミ対応に現場を指揮すべき者がとられてしまうなどといった非効率な有り方を変更してもらう働きかけなんかもあるのですが、そういった適材適所的に対応する態勢作りから始まります。しかしながら、他の部署との兼ね合いから改善できなくて苦しい思いをし続ける仕事もしばらく残り続けたりする。なかでも、日勤後の深夜、救急隊からの電話への対応などでの消耗は痛々しい。
また、パンクするほど忙しい、都庁の感染症対策部署や保健所では、その人員で処理できる仕事量をはるかに超える仕事が舞い込むわけです。暴力的な仕事量、とも書かれています。職員のなかにはメンタル不調におちいる者も珍しくないくらいだったそう。そこで、医療の人材派遣会社から看護師が派遣されてくる。そういった医療での民間の余剰戦力みたいなものがあるなんて、知らなかったです。ワクチン接種の時も、引退したり退職したりした看護師さんが一時的に復帰してやってくれているのか、と思っていましたが、人材派遣会社があったなんて。でも、平時だったら、職に定着できない看護師さんだったりするのだろうか。一般職の人材派遣のように、社会に世知辛さを感じていた人たちだったのかなぁと思いもしました。
ホテル療養者になる人や自宅療養者になる人への対応の箇所など、さまざまなケースがあります。枕が変わると眠れないからという人や、閉所恐怖症でホテルの部屋に入れないという人など、読んでみると現実を思い起こして「そういう人はいるだろうな」と思い当たりもするのです。でも、そういう人たちに出くわしてみるまでは想像がつかないケースだと思うんですよ。職員たちは、そういった人たちとも話を重ねて解決策や妥協案を導き出してちゃんと療養かつ隔離の方向へもっていく。
今回の読書で大雑把にですが、これはほんとうに自分が考えたこともなかった新しい知見だなぁと、ちょっと恥ずかしいのですが気付かされた点があります。それは日本という国のなかに住む人々の層は、なかなかに複雑だということです。極端なところだと、予防策を取らず、アクティブに行動する層があり、そういった層は感染しやすい。また真逆に、予防策を順守する、まず感染しない層がある。具体的には、高齢者の介護施設の層があるし、夜の歓楽街の出入りが激しい人たちやそこで働いている人たちの層があり、反社会的勢力の層があり、そういった層とは無縁の層がある。第○波ごとに、感染のはじまりや広がりに特徴的な層があったみたいです。第1波はセレブだとか、海外を飛び回っているだとかで、第5波はオールエントリーみたいになってきていた。社会って複雑な人流があって、それぞれ棲み分けているのか、っていうイメージは今回もしかするとはじめてはっきりと意識することになりました。
それと、感染症法について、コロナ陽性になったとき、過去14日間の足跡の報告を怠ったり虚偽の報告をした場合、30万円の罰金が科せられ(暴行罪と同じ金額)、入院中に脱走したら50万円の罰金が科せられる(傷害罪と同じ金額)ことは初めて知りました。
現在、第6波が最大の流行をしていますよね。保健所の職員は大丈夫なのだろうか、と本書を読んだ後だと背筋がぞくぞくしてきます。東京都では1日に2万人くらいの陽性者が出て、都民の100人に1人が自宅療養者になっている計算になるとどこかの記事で読みました。これ、対応しきれないのではないかと。非常にまずい状況なのは間違いなく……。
アメリカなんかは、コロナへの対応を緩和しているという話をツイッターで聞いたものですが、これって「コロナにはお手上げ」対応しただけなんじゃないか、と。日本の場合、それをやると、医療も保健所もパンクしてしまう。
いろいろと嫌な想像をしてしまいます。一生コロナに罹らないでいるのは不可能だとWHOの誰かが発言したようですが、弱毒化して風邪くらいになればまだいいです。現在主流のオミクロン株は従来より弱毒化したなどと当初言われましたが、ツイッターを眺めている感じではそんな生易しいものではないみたいで、症状が出るとインフルエンザよりもずっとつらくて特に高齢者や基礎疾患のある人にとっては命の危険があることには変わらないようです。とはいえ、情報もさまざまなものが流れていて、どれを信用しようかよくわからなくもなる(まだまだコロナの正体はわかっていないから錯綜します)。そして陽性者が膨大なので、それだけ分母が大きくなると重症者や死者も増えてきます。医療のひっ迫も相当なものです。
緊急事態宣言や生活面での規制でみんな「もういい加減、いやになってきたな」と飽きあきしてきた今、もしかすると最大に危ないのではないか。このまま集団免疫まで突っ走って一度おさまったとして、またインターバルをおいてから同じような流行が繰り返されたりしないのだろうか(何度も陽性になる人がいますから、そう考えることもできます)。
というように、気持ちが暗がりへ転がっていきそうになるところで、もうやめておきます。こういった厳しい状況でも、人のために粉骨砕身はたらいてくれた人たちの記録、つまり本書から、どんなときでもくじけない強い気持ちを人間は持ち得ることを思い起こしながら。