Fish On The Boat

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『宇多田ヒカルの言葉』

2022-02-17 22:39:02 | 読書。
読書。
『宇多田ヒカルの言葉』 宇多田ヒカル
を読んだ。

ミュージシャン・宇多田ヒカルさんが20周年をむかえた2017年12月に発刊された全75編の日本語詞を執筆順に収録した本です。

宇多田ヒカルさんの音楽史をじっくりと、そして客観的に眺めていくと、三期に分かつことができることに気付くと思います。本書はそういった分かち方をして、合い間で二度区切りながら全日本語歌詞を掲載していく体裁です。

まず一期は14歳で書いた最初の歌詞からはじまり、1stアルバム『First Love』と2ndアルバム『Distance』までの1998-2001の期間。この時期の歌詞は、10代で書いたものにしても、未熟であるとか稚拙であるとかという言葉を安易にぶつけてしまうならばそれはまるで歌詞を読んでいないことと同義になると思います。自分の脚でしっかりと立ちながら、少女が己の生命まるごとから生みだしているのが彼女の歌詞だからです。少なくはない淋しさや悲しみや怒りや苦しみを感じながら、日々を、きっと力の出ない日などもありながら、しかと生きる道を踏みしめながら生きてきたからこそ書ける言葉たちでしょう。彼女のデビュー当時から僕は彼女の音楽に親しんできましたが、こうやって書籍というかたちでサウンドやメロディーそして声から切り離された形で彼女の歌詞作品にあらためて触れてみると、そうハッとして気付くことになりました。

無限の葛藤と格闘しながら(それはたぶん今だって続いているのでしょう)培われていく強さ。その強さが確かな客観性をももたらしているのではないか、そう判断したくなるような彼女の歌詞にあるプロフェッショナル性。ちゃんと作品として世に見せる・聞かせる体裁をわかっている出来映えなんです。主観が強くて客観が弱ければ、内容だとか印象のバランスが悪くなったりすると思うんです。それにこれは歌詞というジャンルで、さらにどうやらメロディが先の書き方の歌詞だということですから、字数の制限があるなかで作らないといけない。構築していったり整えたりする客観性がしっかりしていないとできない仕事ではないでしょうか。

この時期の歌詞に、僕はひりひりと乾いた感覚を覚えます。そして、芯はあるけれど細い言葉たちだという印象。それはそれでとても美しいのです。でも、そんな歌詞から立ち現われてくる心象なり心理なりが受け手へと瞬間的にずどんと伝わる。乾いた端正な文章だけで終わらず、そういったものが出現するのです。これは、書き手の魂(ハート)が燃えているからだろうし、そうであるからこそ芸術を仕事に出来るのでしょう。

そして、こうしてメロディーや歌声と分離して言葉だけを味わったがためにわかることがありました。宇多田ヒカルさんの声のすごさです。彼女の声でこの言葉たちが発せられると、情感も表現も、その奥深さや謎なんていうものも、100倍くらい複雑かつ豊かになっていることに気付けました。神秘的だと言いたいくらい、不可思議だと首をひねりたいくらいの彼女の声の素晴らしい力なんです。もともと歌声が好きでしたが、より立体的に彼女の歌声というものを理解できたような気がします。

長くなりました。さて、では二期へ。二期は3rdアルバム『DEEP RIVER』、4thアルバム『ULTRA BLUE』、5thアルバム『HEART STATION』の2001-2008の時期です。この時期は、歌詞に作家性が強くなっています。よりフィクショナルで、技巧で築き上げていく歌詞。一期の、身体性に基づくひりひりしたものがちょっと影をひそめている作品がちらほらでてきている感じがします。実験的なやり方を試すなどして、自分の書き手としての力量を拡大していたのかもしれません。「traveling」だとか「光」だとかが大ヒットして、コアなファンが増えた時期でもあるのではないでしょうか。

続いて三期。BESTアルバム『SINGLE COLLECTION VOL.2』、6thアルバム『Fantome』、シングル「Forevermore」、「大空で抱きしめて」、「あなた」の2010-2017の時期です。BEST版のあと彼女は一旦表立ったミュージシャン活動を休止しました。そしてその後、再開します。この時期は一期の、感性的な書き方に回帰しながら、その深度は高くなっているし語彙力も技術も高まっていて、ひとりの表現者として結実した時期であると見てもよいのではないでしょうか。結実しながら、今後、変化したり発展したり進化したりするでしょうが、ひとつの「宇多田ヒカル」というタイプの成熟形となった時期だと僕は考えます。この時期の歌では「真夏の通り雨」が僕のなかではもっとも心を捉えられて、当時から聞くたびにざわざわがおさまらないくらいです。ずっとリピートし続けていたいのですがそれがはばかれるような気もして、消費しつくさないように(消費しつくされない強度のある曲ですけども)大切に聞きつづけています。今回、歌詞だけ読んでも、「ああ、すごいな」と感じ入りました。この時期は、お母様のこともあって、そういった事情を考えながら読むと、また一段と歌詞の理解に近づける気がしました(誤解してしまってるかもしれないですが)。

というようにですね、宇多田ヒカルさんは闘ってこられた方であって、そうした過程で磨きがかかっている。必死に生きてきたら表現者として磨きがかかっていた、というところはしっかりあると思います。もともと容姿がきれいな方ですけど、顔つきもどんどん美しくなっていきますよね。あまりに美しいから、前にNHKの『SONGS』に出演されたときには忘れず録画をし、録画終了後、即効でメディアに保存しました。いつでも見直せます。

それはいいとして。本書は20周年のささやかな記録でありながらも、あらためて宇多田ヒカルという表現者をみなおす、あるいは再発見するための役割すらもっています。彼女の歌が好きだったなあ、好きだった頃があってその頃を思い出すなあ、という方にとっても、正面から向き合って彼女の表現を受けとめようとするならば、とても価値ある読書時間となり得ます。僕にはとてもよい時間でした。……いろいろ聞き直そうかなあ。

エムオン・エンタテインメント
発売日 : 2017-12-09

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