読書。
『読む力 最新スキル大全』 佐々木俊尚
を読んだ。
ツイッターでの毎朝のニュースキュレーションでもおなじみのジャーナリスト・佐々木俊尚さんによる情報の扱い方や仕事術の紹介本であり指南書です。著者自身がおこなっているネットメディアやSNS、書籍などからの情報の取り入れ方や整理の仕方、活用の仕方からはじまり、最適な仕事術の方法で締めくくられています。さまざまなノウハウが開陳されるばかりか、丁寧かつシンプルに解説されている良書でした。わかりやすいこと、この上ないです。
最重要と思われるテーマは、「知肉」です。情報を摂取して得た知識・視点から概念をつかみ、たくさんの概念から世界観をつかむ。そして世界観から掴んでいくのが、自分なりの「知肉」なのでした。自分のものにした「知」という意味になります。
ネットメディアには、浅く広く世の出来事を取り扱うものと、深く狭く取り扱うものがある。また、中立的か右や左に偏りがあるか、などの違いもある。このあたり、弁別がビシッと効いているのは、「さすがジャーナリスト」です。僕を含めて一般的な人は、「このメディアは過激な言葉を使うなあ」だとか、「あのメディアは政権がなにやっても常に批判してるなあ」だとか、尖りすぎて感じられる部分には比較的しっかりとその傾向を認識しはしますが、その他についてはあんまり考えないでぼんやりと各メディアの記事を読んでいたりするだけなのではないでしょうか? 本書を読んでいると、あまりにぼんやりとニュースに接していると、世の中がまったくクリアに見えてこないばかりか、自分自身が偏った見方に染まってしまう危険性に気付くことになりました。今後は気をつけて、できるだけ客観性を増した視座でさまざまなニュースに接していきたいです。
メディアの持つ傾向を弁別するばかりでなく、著者はSNSの性質も看破しそれらを仕訳できていて、実際に使い分けをしているそうです。ツイッターは情報収集用、のように。
SNSの章ではエコチェンバーについても述べられていました。引用すると <エコーチェンバーは「残響室」という意味で、同じような信念や考え方を持つ人々が閉鎖的な場所に集まると、お互いに「そうだ!そのとおりだ!」と言い続けて、ひとつの信念ばかりがどんどん増幅されてしまうことをたとえている> つまり、考えや思想がエスカレートしていったり、ある意味では洗脳のように、その考えに取り憑かれてそれ以外の考えには見向きもできなくなってしまう。これはひとつの認知の歪みとも考えられると思うのです。認知の歪みには不安から逃げ続けるなどの行為が関係するといいますが、「そうだ!そのとおりだ!」というのは一種の不安からの解放で、その不安の解消の仕方は、もしかすると不安から逃げたり避けたりすることと似たような心理体験なのかもしれません。僕にはそんな気がします。
そして、書籍の扱い方については、その読み方も含めて紙幅が多く割かれていました。著者は電子書籍派で、ほとんどはキンドルやタブレットなどで読んでらっしゃるようで、本書でも電子書籍をつよく勧めています。僕のほうは目が疲れやすいし、それこそ目で感じる紙のページの質感のようなものも好きだし、要するに紙の本派なので、このあたりは反発する気でがんばって読みました。ひとつ言うならば、それこそネットニュースの記事にあったんですが、電子書籍だと読解力が上がらないだったか発揮しにくいだったか、そのような内容のものを目にしたことがあります。電子書籍を読んだことはありませんが、パソコンなりスマホなりで文字を読むよりも、紙に印字されている文字を読んだほうが、中身が頭にじわっと浸みわたるように読める感覚はあります。ですから、読解力に差が出るっていうのはあるのかもしれないなあと思うところでした(真偽はわかりません)。
本の読み方のほうについては、その「知肉」までのもっていきかたは、僕の今のやり方と似ていました。僕はこうやって記事化することで、要点のまとめや感想、印象に残った自分にとって大切な箇所などをインプットしたかたちでネットに保存します。自分の言葉でまとめたことですから、あとで読みなおしても、そのときの思考の道はたどりやすく、その本から得た最低限のエッセンスを取り戻しやすいです。取り戻すというか、頭の奥から呼び起こす、に近いでしょうか。そうやってはっきり呼び起こす必要のあるものもあれば、読書体験自体が(つまり著者の論理展開のしかたや発想などといったものが)自分に変化を及ぼしているものもあります。読書の面白いところのひとつはこういうところなのでした。
本書では、「知肉」までの過程を客観的に言葉にしていて、ノウハウとしてはこれ以上ないくらいでした。著者がここで書いたことをまず踏まえて、10冊なり20冊なり、楽しみながらやってみたならば習慣のきっかけになるだろうし、それが続いていくと自分の知力にとってけっこう大きなことになることは、著者ならずとも、僕も受け合います。難しい本や相性の悪い本なんかは、「読むのが大変だー」となかなか先のページまで進まなかったりしますが、そういう過程だって楽しんでしまうんです。急がなくていいですから。そうしているうちに、読める範囲が広がるし、読める深度だって高くなります。
最後の章、仕事術に関しては「マルチタスクワーキング」と名付けた、仕事を小さく分けて(重い仕事と軽い仕事にも分けて)少しずつこなしてく方法が述べられていました。これについても、僕のように介護しながらちょこちょこ何かをこなしたい人にもそれなりにフィットするやり方だなあと思いました。実際、こういう感じで原稿書いたり本を読んだりなどしてますから。ただ、ここまで意識的には考えていなかったところを意識化してアウトプットして共有財のようにしてくれたところが良いですよね。
また、後半では無意識はすごいんだ、っていう部分があります。アイデアの出し方や、それこそ無意識下に知識と知識を掛け合わせて新たな知識を生みだして意識にのぼらせるなどをやってるんだっていう話です。無意識を有効につかう手段についても述べられていますが、僕はこれにもうひとつ、ぼうっとする時間や頭を真っ白にする時間も大事だと言っておきたいです。
著者の佐々木俊尚さんには、ツイッターで彼のツイートに引用RTなどを返したときにRTしていただいたことがたびたびあります。その時々の僕の考え方を正面から取り上げてくれたようでうれしかったですねえ。取りあげてくれたということは読んでいただけたということで、なにがしか、僕の知が彼の「知肉」に影響を与えていたのならば、このネット時代で共有・シェアの時代でこそのある種のコラボレーションのように感じます。今回本書を読んでも最後のところで、僕が何度も書いてきた「自律や他律の話」と言い換えてもいいような話題でしめくくられていましたし、もしかすると、佐々木さんが目にするほんとうに数多くの情報源のうちのひとつに、僕のブログかツイッターかが数えられていることがあるのかもしれないなあ、なんて空想してしまいました。僕が考えを公開で書くのは自分のためにやってることでもあるし、ギバー(与える者)としてやってることでもあるし、誰かのなかで育ってほしいという願いもあります。それでも、なんでもかんでも書いてしまうと創作のネタに困ることになるので少しは我慢しないといけないのではないか、という方向にも傾いてはきているのですが。
さて、良書だったので、おもしろかったで締めたいところではありますが、最後にひとつ(余計なことを?)書いておくことがあります。
「人をけなしたりするマウンティング」はいけないと主張するところが出てきてその論調はもっともなのだけれども、他の部分を読んでいてけなされた気持ちになってしまう箇所が少しでてきたんです。
「これ、けなしてるじゃない??」と思ったところは、たとえばこのふたつ。「一方的な視点だけで物事を判断し、『俯瞰して見ると』、と偉そうなことを言ってる人がいるが」「未読の紙の本を積み上げておいて悦に入る積ん読などという言葉があるが、そんなもの単なる自己満足でしかない」
とくに後者はそれこそ一方的な視点だけで判断されているふしすらあります。僕はかなり積ん読するほうなので、刺激されてしまいました。たとえば「積ん読が増えた」と言っても、僕にしてみれば、雪が積もった、くらいの事実を述べているのとあまり変わりなく、時には喜びもするけれどそれだって、雪が積もって遊べるぞ、と喜ぶのとさして変わりがないのですよ。
マウンティングって、それだけ根深い心理というものというか…………ですよね。自覚がないような意識の薄いところでやってしまったり、それこそなんでもないと思ってやってることが受け手によってマウンティングにされたり。扱いが難しくてセンシティブ。
そういうところにひっかかりましたが、本自体の本筋はすごくおもしろい。ちょっとした瑕疵にめくじらを立てたみたいに見られかねませんが、「攻撃性を否定しつつも攻撃しているじゃないですか」的な感覚があって言葉にしてみました。友だちに「そこ、おかしいじゃないの」と指摘するようなノリです。
(気持ちを隠したりソフトに表現したりしないといけないという文筆業の難しいところなんでしょうか。隠して論調に筋を通すのと、隠さないで矛盾があらわになるままなのと、どっちが誠実といえるものなのでしょうか……。人間っていう存在はいくつもの矛盾を頭にも心にも抱えているものなのだけれども。まあ、本っていうものとは距離感があるし、こういうことが出てきてもあんまり気にするものではないと思ってたいていは流してしまうのですが、そういう見て見ぬふりのベールを脱ぐときが気まぐれに生じたりするのでした。)
『読む力 最新スキル大全』 佐々木俊尚
を読んだ。
ツイッターでの毎朝のニュースキュレーションでもおなじみのジャーナリスト・佐々木俊尚さんによる情報の扱い方や仕事術の紹介本であり指南書です。著者自身がおこなっているネットメディアやSNS、書籍などからの情報の取り入れ方や整理の仕方、活用の仕方からはじまり、最適な仕事術の方法で締めくくられています。さまざまなノウハウが開陳されるばかりか、丁寧かつシンプルに解説されている良書でした。わかりやすいこと、この上ないです。
最重要と思われるテーマは、「知肉」です。情報を摂取して得た知識・視点から概念をつかみ、たくさんの概念から世界観をつかむ。そして世界観から掴んでいくのが、自分なりの「知肉」なのでした。自分のものにした「知」という意味になります。
ネットメディアには、浅く広く世の出来事を取り扱うものと、深く狭く取り扱うものがある。また、中立的か右や左に偏りがあるか、などの違いもある。このあたり、弁別がビシッと効いているのは、「さすがジャーナリスト」です。僕を含めて一般的な人は、「このメディアは過激な言葉を使うなあ」だとか、「あのメディアは政権がなにやっても常に批判してるなあ」だとか、尖りすぎて感じられる部分には比較的しっかりとその傾向を認識しはしますが、その他についてはあんまり考えないでぼんやりと各メディアの記事を読んでいたりするだけなのではないでしょうか? 本書を読んでいると、あまりにぼんやりとニュースに接していると、世の中がまったくクリアに見えてこないばかりか、自分自身が偏った見方に染まってしまう危険性に気付くことになりました。今後は気をつけて、できるだけ客観性を増した視座でさまざまなニュースに接していきたいです。
メディアの持つ傾向を弁別するばかりでなく、著者はSNSの性質も看破しそれらを仕訳できていて、実際に使い分けをしているそうです。ツイッターは情報収集用、のように。
SNSの章ではエコチェンバーについても述べられていました。引用すると <エコーチェンバーは「残響室」という意味で、同じような信念や考え方を持つ人々が閉鎖的な場所に集まると、お互いに「そうだ!そのとおりだ!」と言い続けて、ひとつの信念ばかりがどんどん増幅されてしまうことをたとえている> つまり、考えや思想がエスカレートしていったり、ある意味では洗脳のように、その考えに取り憑かれてそれ以外の考えには見向きもできなくなってしまう。これはひとつの認知の歪みとも考えられると思うのです。認知の歪みには不安から逃げ続けるなどの行為が関係するといいますが、「そうだ!そのとおりだ!」というのは一種の不安からの解放で、その不安の解消の仕方は、もしかすると不安から逃げたり避けたりすることと似たような心理体験なのかもしれません。僕にはそんな気がします。
そして、書籍の扱い方については、その読み方も含めて紙幅が多く割かれていました。著者は電子書籍派で、ほとんどはキンドルやタブレットなどで読んでらっしゃるようで、本書でも電子書籍をつよく勧めています。僕のほうは目が疲れやすいし、それこそ目で感じる紙のページの質感のようなものも好きだし、要するに紙の本派なので、このあたりは反発する気でがんばって読みました。ひとつ言うならば、それこそネットニュースの記事にあったんですが、電子書籍だと読解力が上がらないだったか発揮しにくいだったか、そのような内容のものを目にしたことがあります。電子書籍を読んだことはありませんが、パソコンなりスマホなりで文字を読むよりも、紙に印字されている文字を読んだほうが、中身が頭にじわっと浸みわたるように読める感覚はあります。ですから、読解力に差が出るっていうのはあるのかもしれないなあと思うところでした(真偽はわかりません)。
本の読み方のほうについては、その「知肉」までのもっていきかたは、僕の今のやり方と似ていました。僕はこうやって記事化することで、要点のまとめや感想、印象に残った自分にとって大切な箇所などをインプットしたかたちでネットに保存します。自分の言葉でまとめたことですから、あとで読みなおしても、そのときの思考の道はたどりやすく、その本から得た最低限のエッセンスを取り戻しやすいです。取り戻すというか、頭の奥から呼び起こす、に近いでしょうか。そうやってはっきり呼び起こす必要のあるものもあれば、読書体験自体が(つまり著者の論理展開のしかたや発想などといったものが)自分に変化を及ぼしているものもあります。読書の面白いところのひとつはこういうところなのでした。
本書では、「知肉」までの過程を客観的に言葉にしていて、ノウハウとしてはこれ以上ないくらいでした。著者がここで書いたことをまず踏まえて、10冊なり20冊なり、楽しみながらやってみたならば習慣のきっかけになるだろうし、それが続いていくと自分の知力にとってけっこう大きなことになることは、著者ならずとも、僕も受け合います。難しい本や相性の悪い本なんかは、「読むのが大変だー」となかなか先のページまで進まなかったりしますが、そういう過程だって楽しんでしまうんです。急がなくていいですから。そうしているうちに、読める範囲が広がるし、読める深度だって高くなります。
最後の章、仕事術に関しては「マルチタスクワーキング」と名付けた、仕事を小さく分けて(重い仕事と軽い仕事にも分けて)少しずつこなしてく方法が述べられていました。これについても、僕のように介護しながらちょこちょこ何かをこなしたい人にもそれなりにフィットするやり方だなあと思いました。実際、こういう感じで原稿書いたり本を読んだりなどしてますから。ただ、ここまで意識的には考えていなかったところを意識化してアウトプットして共有財のようにしてくれたところが良いですよね。
また、後半では無意識はすごいんだ、っていう部分があります。アイデアの出し方や、それこそ無意識下に知識と知識を掛け合わせて新たな知識を生みだして意識にのぼらせるなどをやってるんだっていう話です。無意識を有効につかう手段についても述べられていますが、僕はこれにもうひとつ、ぼうっとする時間や頭を真っ白にする時間も大事だと言っておきたいです。
著者の佐々木俊尚さんには、ツイッターで彼のツイートに引用RTなどを返したときにRTしていただいたことがたびたびあります。その時々の僕の考え方を正面から取り上げてくれたようでうれしかったですねえ。取りあげてくれたということは読んでいただけたということで、なにがしか、僕の知が彼の「知肉」に影響を与えていたのならば、このネット時代で共有・シェアの時代でこそのある種のコラボレーションのように感じます。今回本書を読んでも最後のところで、僕が何度も書いてきた「自律や他律の話」と言い換えてもいいような話題でしめくくられていましたし、もしかすると、佐々木さんが目にするほんとうに数多くの情報源のうちのひとつに、僕のブログかツイッターかが数えられていることがあるのかもしれないなあ、なんて空想してしまいました。僕が考えを公開で書くのは自分のためにやってることでもあるし、ギバー(与える者)としてやってることでもあるし、誰かのなかで育ってほしいという願いもあります。それでも、なんでもかんでも書いてしまうと創作のネタに困ることになるので少しは我慢しないといけないのではないか、という方向にも傾いてはきているのですが。
さて、良書だったので、おもしろかったで締めたいところではありますが、最後にひとつ(余計なことを?)書いておくことがあります。
「人をけなしたりするマウンティング」はいけないと主張するところが出てきてその論調はもっともなのだけれども、他の部分を読んでいてけなされた気持ちになってしまう箇所が少しでてきたんです。
「これ、けなしてるじゃない??」と思ったところは、たとえばこのふたつ。「一方的な視点だけで物事を判断し、『俯瞰して見ると』、と偉そうなことを言ってる人がいるが」「未読の紙の本を積み上げておいて悦に入る積ん読などという言葉があるが、そんなもの単なる自己満足でしかない」
とくに後者はそれこそ一方的な視点だけで判断されているふしすらあります。僕はかなり積ん読するほうなので、刺激されてしまいました。たとえば「積ん読が増えた」と言っても、僕にしてみれば、雪が積もった、くらいの事実を述べているのとあまり変わりなく、時には喜びもするけれどそれだって、雪が積もって遊べるぞ、と喜ぶのとさして変わりがないのですよ。
マウンティングって、それだけ根深い心理というものというか…………ですよね。自覚がないような意識の薄いところでやってしまったり、それこそなんでもないと思ってやってることが受け手によってマウンティングにされたり。扱いが難しくてセンシティブ。
そういうところにひっかかりましたが、本自体の本筋はすごくおもしろい。ちょっとした瑕疵にめくじらを立てたみたいに見られかねませんが、「攻撃性を否定しつつも攻撃しているじゃないですか」的な感覚があって言葉にしてみました。友だちに「そこ、おかしいじゃないの」と指摘するようなノリです。
(気持ちを隠したりソフトに表現したりしないといけないという文筆業の難しいところなんでしょうか。隠して論調に筋を通すのと、隠さないで矛盾があらわになるままなのと、どっちが誠実といえるものなのでしょうか……。人間っていう存在はいくつもの矛盾を頭にも心にも抱えているものなのだけれども。まあ、本っていうものとは距離感があるし、こういうことが出てきてもあんまり気にするものではないと思ってたいていは流してしまうのですが、そういう見て見ぬふりのベールを脱ぐときが気まぐれに生じたりするのでした。)