Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『乳と卵』

2022-11-07 20:38:11 | 読書。
読書。
『乳と卵』 川上未映子
を読んだ。

芥川賞受賞作「乳と卵」と掌編「あなたたちの恋愛は瀕死」の二編を収録。

「乳と卵」
女性の身体性と、そこからくる心理を描く物語。東京に住む語り手の女性のもとに、姉とその娘(姪)が泊まりにやってくる。姉は、出産を機にしぼんでしまった乳房を手術によって豊かにしたいと考えて実行寸前のところにいる。娘は10歳くらいの子で、女性としての身体的な自覚を、学校の授業なり友達との付き合いなりからしはじめている。女って卵子を持っていて大人になっていく段階で月経がおこるのだとわかって、それで、自分はいやがおうでもその宿命のレールに乗っていて外れることのできない、そこに無慈悲さや不条理なものを感じているふうな書き物をノートにしている。自動的に女だと規定される運命を受け入れたくなくて、過渡期というか間(はざま)というか、そういうところで格闘している様子が読めてくる(将来この娘がどうなるのかはわからないですが)。

男の立場からすると、「わかるわー」とか「共感するわー」とかは言えないものの、たとえば自分が女性になった夢をリアルにみたときのように、小説にどぼんと飛び込んで読むことで、その身体性を想像しながら、「それだったらそういう気持ちになるのはまったくわからないとは言えない」と思えるくらいには、女性性というものが想像の目で見えるくらいに具現化されて、そのものとして表現されているんじゃないかなあと思いました。きっと、女性が読むと、すごく生々しい話なんじゃないだろうか。男と女がフランクに会話するとき、極端な言い方だと「お互い違う生物」でありながら、共通項を探りつつ、その共通項を足掛かりにして理解を深めるというのはありますよね。わかりあえない前提で、できるだけ寄せて、息遣いや体温を感じるくらいのレベルにまで近づけてわかることができればうまくコミュニケーションできたほうだ、といったように。まるまるその異性になることは想像の世界であってもできなくて、それができたら「わかりあえた」と言えるのだと思いますが、僕の考え上ではわかりあうのは不可能なんです。

無理しているふうではないのだけど、大胆に感じられる文体。一文が長く、句点で区切られそうなところを読点でいちおうの区切り、からの主人公の語りがまだまだ蛇行していく。独特なんですけど、読み手のあたまと周波数が合いだすと、なんて巧みで「伝えよう」という表現力と気持ちが強いのだろう、とため息が出る。形式ばることを嫌い、でも形式の好ましい部分はそのままに、という感じもした。あと、主人公の語りから感じられる、見ているものや考えていることの解像度の揺らぎから、人の生々しさがページ上から立ちのぼってくるのでした。

女性の主観で書かれていて見事なんだけど、それでバランスを、大局観みたいなおおきな意味でのバランスをうまく取れているのは、おそらく客観性が発揮されているからで、本文を夢中になって読む分にはどこにも作家の客観性のかけらほども感じさせないのに、読んでみた結果からいうと客観は用いられていた、っていうのが察せられて、そこがかっこいいよなあ、と独り合点のようにうなづいてしまいました。

読んでとても味のある、夢中になる、どんどん読みたくなる、それでいて芸術性のある純文学で、野心的というか、才能が生半可じゃないぞ、と思って。


「あなたたちの恋愛は瀕死」
主人公は若さに少しばかりかげりがやってきた年頃の女性でしょうか。新宿を歩き回る話です。「乳と卵」とはうって変わって、都会のとがった心理が描写され、その鋭さは競争とか抗争とかいった世界の世界観から世の中を見ている者のそれだと思います。これまた芸術の象限にある小説で、なんだか現代美術みたいな感じもしました。「乳と卵」を読んで、川上未映子さんの作品は二冊目だけど、もう全面的に信じていいかと思っていた矢先、続くこの掌編を読んで、おっと危なかったな、と笑ってしまいました。「これは心してかからないと、殴られるぞっ」と思って。でも、笑ってしまっている場合でもない迫力がそこにはあったのでした。


二作品とも、エネルギーというか力というかが生きたまま宿っている作品ではないでしょうか。外にぱーっと放射しているんじゃなく内の奥の方にこもっているのでもなくて、作品のそのものの領域におしなべて等分に力が根をおろしている感じがしました。

というところですが、とても充実した読書体験でした。

小説は、書くでもなく彫るものですね。あまり油断していると文字をぺたぺた貼るようにもなりますが、それじゃいけない、彫るんですよ。


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