読書。
『クラウドガール』 金原ひとみ
を読んだ。
自分の感情の赴くまま、自己中心的に生きる高校生の杏と、自分の欠落した部分に気づき、理性的に内面の再構築を試みている大学生の理有。この二人の姉妹が、交互に各々の章にて一人称で語っていくかたちの小説です。
仲が良く、内面的な結びつきの強い姉妹です。両親は離婚しており、小説家の母親と暮らしていたのですが、その母親はある日亡くなってしまう。それから姉妹は短い間、祖父母に引き取られますが、ほどなくして、新たな場所で姉妹だけで暮らしていく。それらは小説内で次第にわかってくる事情で、物語自体は妹の杏が彼氏の晴臣をボコボコに殴り散らすシーンから始まります。
洗練された文章だと思いました。序盤1/3くらいまでの間、文章の緩急や構成など、書く人にとっては教科書になるような、パキッとできあがっている美術品のように感じられもしました。そして中盤から終盤へと、深い気づきを得られる箇所がいくつも出てきます。
強迫神経症で鬱でアル中の小説家である母といっしょにいると、「時空が歪む」という理有のセリフ。あれ、こうじゃなかったっけ、何でだっけ、とか思うことが多くて、と(p160あたり)。これよくわかるんですよ。そういうタイプの人っています。たとえばうちの父と暮らしているとそうなので。これってけっこう世の中では特殊な例だと思いますが、それを著者は知っていて、なおかつここまでうまく言い表すのですから、すごいぞ、と思いました。たとえば強迫神経症(強迫症)は、一昔前には、その患者の家族がQOLを著しく下げることになる五大疾病のひとつとして、WHOで数えられていたそうです。度合いにもよるでしょうけど、この病気に持たれているイメージよりも実際はずっと大変なんですよね。本作の主人公である姉妹は、こういった影響下で育ちました。二人の抱える内的な問題の源流にあるのはおそらくこのような過去の影響です。でもですね、まだ姉妹で良かったんですよ。子どもを二人つくっただけでも親としてはフェアなことをやったほうだと思う。これがひとりっ子だとフェアにはいきませんから。
そんな理有と杏、正反対の個性ともいえる二人であっても、共通している価値観があったりします。
__________
人の裏にあるものを覗き見ようとしない人、人の隠したいものを暴き立てようとしない人、そういう人なら、結婚していようが、歳の差があろうが、いいような気がした。(p121・杏視点の章)
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光也にはデリカシーがある。彼は人の踏み込まれたくないところには踏み込まない。人が常に逡巡や躊躇いの中で生きていることを、よく理解している。(p169・理有視点の章)
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ここで言われている性質って、僕自身も他者とコミュニケーションするときに見ておきたいところですし、自分も他者に向けてそういうことの無いように気を付けたいところでもあります。
本作が金原ひとみさんの作品に触れたはじめての機会でした。人を描くのはもちろん、関係性の描き方に作者のそうとうな力量を感じました。関係を通して関係性をよく見ていて、そこからクリアかつ慎重に分析出来ていて、その知見が創造に使えるくらい消化されて血肉になっているような気がします。
さて、金原さんは文學界新人賞の審査員をつとめていらっしゃいます。WEBでは応募を募るためのコメントが掲載されていますが、「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」と、とても気さくで軽いのです。新潮新人賞でも審査員をつとめていらっしゃいますが、同じように、「本当に何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」とある。出合いがしらでは、「ネタなのかな」とちょっと笑っちゃいもしました。
ただこれは、「大丈夫。この世界はあなたに対して、ちゃんと開かれているからね」というメッセージを含んでいると思うのです。表面的には軽いノリのコメントなのだけれど、小説を応募するくらいの人たちならば、たぶんそのような意味をくみ取っているのではないでしょうか。小説を書く人には、言葉にしていかないとこの世界で溺れ死んでしまうタイプの人もたくさんいると思います。言葉にしていくことが、浮力なのです。言葉にしないと、社会の海に沈んでいって溺死してしまう。そういった人たちに向けて、「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」は、あなたが生きていくのに向いているのかもしれない世界への門戸は大きく開かれている、と伝えるメッセージ。そりゃ、腕っぷしで生きていく世界、人生丸ごとぶつけるような世界ですから、めちゃくちゃ厳しい世界ではあるけれども、<開かれている>。それはとても大切なことなんだと思います。
『クラウドガール』 金原ひとみ
を読んだ。
自分の感情の赴くまま、自己中心的に生きる高校生の杏と、自分の欠落した部分に気づき、理性的に内面の再構築を試みている大学生の理有。この二人の姉妹が、交互に各々の章にて一人称で語っていくかたちの小説です。
仲が良く、内面的な結びつきの強い姉妹です。両親は離婚しており、小説家の母親と暮らしていたのですが、その母親はある日亡くなってしまう。それから姉妹は短い間、祖父母に引き取られますが、ほどなくして、新たな場所で姉妹だけで暮らしていく。それらは小説内で次第にわかってくる事情で、物語自体は妹の杏が彼氏の晴臣をボコボコに殴り散らすシーンから始まります。
洗練された文章だと思いました。序盤1/3くらいまでの間、文章の緩急や構成など、書く人にとっては教科書になるような、パキッとできあがっている美術品のように感じられもしました。そして中盤から終盤へと、深い気づきを得られる箇所がいくつも出てきます。
強迫神経症で鬱でアル中の小説家である母といっしょにいると、「時空が歪む」という理有のセリフ。あれ、こうじゃなかったっけ、何でだっけ、とか思うことが多くて、と(p160あたり)。これよくわかるんですよ。そういうタイプの人っています。たとえばうちの父と暮らしているとそうなので。これってけっこう世の中では特殊な例だと思いますが、それを著者は知っていて、なおかつここまでうまく言い表すのですから、すごいぞ、と思いました。たとえば強迫神経症(強迫症)は、一昔前には、その患者の家族がQOLを著しく下げることになる五大疾病のひとつとして、WHOで数えられていたそうです。度合いにもよるでしょうけど、この病気に持たれているイメージよりも実際はずっと大変なんですよね。本作の主人公である姉妹は、こういった影響下で育ちました。二人の抱える内的な問題の源流にあるのはおそらくこのような過去の影響です。でもですね、まだ姉妹で良かったんですよ。子どもを二人つくっただけでも親としてはフェアなことをやったほうだと思う。これがひとりっ子だとフェアにはいきませんから。
そんな理有と杏、正反対の個性ともいえる二人であっても、共通している価値観があったりします。
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人の裏にあるものを覗き見ようとしない人、人の隠したいものを暴き立てようとしない人、そういう人なら、結婚していようが、歳の差があろうが、いいような気がした。(p121・杏視点の章)
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光也にはデリカシーがある。彼は人の踏み込まれたくないところには踏み込まない。人が常に逡巡や躊躇いの中で生きていることを、よく理解している。(p169・理有視点の章)
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ここで言われている性質って、僕自身も他者とコミュニケーションするときに見ておきたいところですし、自分も他者に向けてそういうことの無いように気を付けたいところでもあります。
本作が金原ひとみさんの作品に触れたはじめての機会でした。人を描くのはもちろん、関係性の描き方に作者のそうとうな力量を感じました。関係を通して関係性をよく見ていて、そこからクリアかつ慎重に分析出来ていて、その知見が創造に使えるくらい消化されて血肉になっているような気がします。
さて、金原さんは文學界新人賞の審査員をつとめていらっしゃいます。WEBでは応募を募るためのコメントが掲載されていますが、「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」と、とても気さくで軽いのです。新潮新人賞でも審査員をつとめていらっしゃいますが、同じように、「本当に何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」とある。出合いがしらでは、「ネタなのかな」とちょっと笑っちゃいもしました。
ただこれは、「大丈夫。この世界はあなたに対して、ちゃんと開かれているからね」というメッセージを含んでいると思うのです。表面的には軽いノリのコメントなのだけれど、小説を応募するくらいの人たちならば、たぶんそのような意味をくみ取っているのではないでしょうか。小説を書く人には、言葉にしていかないとこの世界で溺れ死んでしまうタイプの人もたくさんいると思います。言葉にしていくことが、浮力なのです。言葉にしないと、社会の海に沈んでいって溺死してしまう。そういった人たちに向けて、「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」は、あなたが生きていくのに向いているのかもしれない世界への門戸は大きく開かれている、と伝えるメッセージ。そりゃ、腕っぷしで生きていく世界、人生丸ごとぶつけるような世界ですから、めちゃくちゃ厳しい世界ではあるけれども、<開かれている>。それはとても大切なことなんだと思います。