Fish On The Boat

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『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』

2025-01-31 01:16:05 | 読書。
読書。
『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』 小川さやか
を読んだ。

香港にある安宿、チョンキンマンション。そこには貧困国タンザニアからやってきた多くの人たちなど、多国籍の人びとが住まっている。それぞれが、さまざまに、インフォーマルな仕事をしながら。ブローカー業、衣料や雑貨や家具そして家電製品などを仕入れて母国で売る商人、セックスワーカー、地下銀行業者など。そして明記はされていないけれども、麻薬の販売や窃盗、詐欺などをしている者も少なくはないはず。

そんなチョンキンマンションの「ボス」を自称するタンザニア人のアラフィフ男性・カラマが、論考的エッセイである本書の最重要人物として登場します。著者は偶然にも彼と出会い、それから友好関係ができあがっていき、そのうち彼の連れのようになり、ともに日常を送っていくことで見えてくるものがあったようです(著者は経済人類学者なので、「見えてくる」ことを最初から企図して彼に帯同しているのでしょうが)。見えてくるものとは、商売目的で香港に(長期にしても短期にしても)滞在しているタンザニア人たちの商売の成り立ち方、そしてコミュニティのメカニズムなのでした。そこには、西洋化した資本主義社会から見れば独特の仕組みが息づいており、彼らは香港の商業文化や制度、法律などを受けるかたちで衝突や摘発から逃れるために知恵を使い自らの態度を変化させ、うまく適応したかたちで自然と独自の仕組みが発現してきた、と言えるところがあります。

また、香港で商売をするタンザニア人たちのやり方は、昨今の、Airbnbやサブスクなどのシェアリング経済と仲間内での「分配」という意味合いでの類似性も見出されていましたが、タンザニア人たちの「分配」には分配する者とされる者の間に生じる権威や負い目を回避しながらも「お互いがともにある」と思い合えるマインドがありました。言ってしまうと興ざめですが、約束をいちいち守らなかったり、いい加減さが緩衝材の役目をしたり距離を保ったりしています。

他に、Amazonや食べログなどがイメージしやすいと思いますが、利用者が出品者や飲食店に星をつけて、かれら事業主の信用度を評価するという評価経済型システムが有する「排除の問題」を回避する仕組みがあることも指摘されていました。星が低いと信用度が低いので淘汰されていく、というのが排除の仕組みで、評価経済は行き過ぎるくらいに責任感や気遣いを強いる傾向があります。これは、評価経済に参加している社会全体でおしなべて強迫観念が強化されることを意味するでしょう。タンザニア人たちは、仲間への親切や喜びや遊びを仕事にするというマインドがまずありまず。それでいて「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という集まりなので、一度裏切りがあったとしても、状況が変わればその人の立ち位置は変わりもするので、信じてみることを選択するほうが得策ということにもなり得るのです。これは、強迫観念的な「是か非か」「0か1か」「白か黒か」といった二分思考の枠外にある思考法ではないでしょうか。二分思考は強迫観念をあおるので、やっぱり生きやすさを考えれば、二分思考ではないほうがよいのでした。

読み進めていけば、これは本書の背骨に当たる箇所だなと思える部分はなんとか判別がつき、その尻尾はつかめるのですが、タンザニア人たちの生き方が、あまりに日本人に内面化しているあれこれを刺激したり、俎上にあげたりするものですから、頭も気持ちもぐらぐらぐにゃぐにゃしながらになりました。それでも、海外に滞在してみないと、そういったギャップやショックを受けることはまずないですから、家にいながらそういった経験が少しでもできるのはよい経験です。

また、香港でセックスワーカーとして稼いだタンザニア人女性が帰国して、そのお金を元手に化粧品会社を立ち上げ、母国では誰でも知っている大成功者になっているそうです。もちろん、セックスワーカーの過去は封じ込められている。時代や国を問わず、こういう成功譚ってたぶん珍しくないのではないかな、と思います。秘められているだけで、社会に出たときにはロクなことをしてなかったけどその後大成功して地位を手に入れた、というような。

というところです。読んでみて、「サバイブ」の片鱗でもいいから自分のものとできたら素晴らしいと思います。本書からなにをフィードバックするか、そして実際的に遂行できるかが肝ですが、おそらく、こういったオルタナティブな方法論があるんだよ、といったことが多くの人たちの間に広まることが、いちばんインパクトが生じるムーブメントではないでしょうか。勇気ある誰かが率先して実践してみた、という現実が最初の一押しになったりもするでしょう。小さな一部分であっても、仕事へのアイデアで、組織のありかたででもいいですが、なにか応用が効いたものが採用されるなんてことがあったらすごいですよね。そういった、小さな一歩と全体の空気感の変容と。同時に進むと世の中にはなにか変化が生じるのかもしれないですね。



では、引用をいくつか。

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「(略)サヤカ、香港のタンザニア人が病気になる一番の原因は何だと思う? 多くの人は、最初に物事の調整ができなくなるという病にかかる。その後に(アルコール依存症の)本当の病気になるんだ。(香港と母国とは物価が違うので)俺たちは母国ではありえない額のお金を稼ぐ。誰でも考えるさ。香港で一皿を買うお金でタンザニアでは何人が食べられるのかとか。それでもっと稼ぐために何にしたらいいか、どんな商売に投資しようなどと仕事のために頭を働かせる。けれども思いがけずボロ儲けする日が続くと、これからもどうとでもなる気がしてくる。逆にぜんぜん稼げない日が続いたら、突然すべてのことがむなしくなる。こんな遠いところまで来て俺は何をしているんだと。きっかけは人それぞれだろうけど、もうどうでもいいやって気分に陥ることは誰にでもある。そうして仕事をやめて暇になると、稼ぐことに頭を使っているうちには考えなかったことに悩まされ始める。母国と香港の生活のギャップとか残してきた家族とか、せっかく香港にいるのだから自分の人生を楽しもうとか犯罪行為をして楽に稼ぐ仲間がうらやましいとか、あいつが稼げて俺が稼げないのはなんでなんだとかさ。この時点では大した病じゃない。大部分の人は悩むことに飽きて、しばらくして普通の日々に戻る。だけど商売は大事なんだよ。頭を働かせるのをやめたら、そこから先の転落はあっという間だ」。そしてこうつけ加えた。「こじらせて犯罪者になったり不治の病になったりした仲間がいたとして、そんなやつはどうでもいいとはならないよ」(p81-82)
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→カラマの言葉です。商売に明け暮れていれば(でもタンザニア人は1時間くらいしか働かない人もいて、遊んだりネットで動画をみたりして過ごすのは珍しくないのだけど)、悩む心配はいらない。悩むとロクなことにならないから、香港へ来て「悩む」という洗礼を浴びても、また商売へ復帰するのがいいのだ、と説いているような箇所です。また、「そこから先の転落はあっという間だ」というところ、泳ぎ続けないと死んでしまう、みたいだしとてもシビアな現実が反映されているのですが、最後につけ加えた「そんなやつはどうでもいいとはならないよ」が、競争社会で資本主義社会の日本や西洋化した社会には無い、包摂や連帯の意識だなあと思いました。こういうところを日本にも導入できればいいのにって思っちゃいます。


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「毎日(パキスタン人の中古車ディーラー)イスマエルに会いに行けば、彼は俺を自分の子分のように思い始めるだろう。イスマエルが怒るから彼の言うとおりにするなんて態度をとっていたら、彼は俺を自分の従業員のように扱うようになるよ。俺は、パキスタン人と何年も仕事をしているから、これは予想ではなく事実だ。もしイスマエルに雇われたら、彼だけが儲けて、俺は彼の稼ぎのために働くことになる。俺たちアフリカ人が、香港の業者と対等にビジネスをするためには、彼らが俺に会いたいと恋しがる頃に会いに行くのがちょうどいいのさ」
 カラマは、本気で彼らを怒らせないように時々なだめる必要があると言いながらも、そもそも自分たちを対等であるとみなしていない人々に対しては、「扱いやすい人間」にならないことが肝要であると説明した。(p98)
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→カラマは商談さえ遅刻したりすっぽかしたりするのですが、それには上記のような考えが存在しているのでした。これ、パキスタン人とタンザニア人の間に限らず、僕らの社会にも使えそうじゃないですか。たとえばマウントを取られ続けて、相手が自分を下と見なすようになると、相手は自身が得するために自分を使うようになります。そういう相手には、遅刻やすっぽかしで勝負したいですが、なかなかそうはいかないでしょうから、「怒るから言うとおりにする」というのは避けるなどが有効かもしれませんね。対等って大事ですよねえ。



引用はここまで。香港のタンザニア人は「商売」がまっさきに頭にあるひとたちで、だからこそ、実にうまいぐあいに人間関係が成り立っています。たぶん「商売」というものを、場合によっては巧みに名目的にも利用できるからなのではないか。「商売」という看板に、面倒くさいものを背負ってもらって、その場をしのぐみたいなシーンはありそうです。

重ねて言うことになりますが、カルチャーショック的な、いい意味での「ぐらぐらする感覚」を覚えた読書でした。こうして書いてみても、書評としてはかなり不完全ですけれども、自分にとってのここぞの部分は書き残しておいたつもりです。





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