読書。
『若者と労働』 濱口桂一郎
を読んだ。
とてもおもしろかったです。
現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。
日本の、職業に直結しない教育の度合いというか、
卒業して就職へ臨む若いひとたちの
「これまでの教育が職業に役立つかどうか」の意識というかは、
先進国で最下位だったそうです。
義務教育を受けても、それがその後の就職にはつながらないと
日本人は考えているし、実際そうなのでした。
そんな日本の労働システム。
本書では、メンバーシップ型と読んでいます。
年功序列だとか、新卒一斉就職だとか、
そしてそれらとマッチングした企業内のシステムだとか、特殊なんですね。
欧米に限らず、中国を含むアジアの先進国にも、
日本のようなメンバーシップ労働システムはないそうです。
日本では、仕事のスキルのない新卒者をいっせいに採用して、
社内で少しずつ教育して使いものになる労働者に育てていきます。
一方で、欧米型では、スキルのない若者は採用されません。
欠員がでたときに、その仕事ができる人を公募して、
若者にしろ中年にしろそこは構わず、
持っているスキルで採用の有無を判断するそうです。
その結果、若者たちが就職できないという問題を生みますが、
公的な職業教育制度があったりして、
その問題に対処しているそうです。
もともと「人」を大事にする思想ではじまった
メンバーシップ型労働システムなんだそうだけれど、
法律など建前としては欧米的なジョブ型労働システムを
よしとしているようです。
ハローワークでの職探し、職業訓練、などは
「仕事」に「人」をはりつけるジョブ型の考え。
日本的なのは、「人」に「仕事」をはりつけるメンバーシップ型の考え。
そして、いまや学生たちは就活と職探しを別々に考えているらしい。
職探しは就活より下とみていて、
なんとしても新卒で就職しようと躍起になる。
給料もそんなに違わなくて、
長い時間かけて取り組んだとしてどこがブラックかもわからなくても、
既卒で職探しはしたくないみたいなんですよね。
話は変わりますが、教育について著者は言います。
大学の文科を抜本的に見直すべきと。
あいまいな「人間力」なるもの、
潜在能力なるものを面接官がみて内定をあたえるのを無くすならば、
戦力になる職能の有無をもっているかどうかを見るべきだと。
そういうのが、偏差値を一元的に信奉する価値観を改め、
中学や高校で荒れる生徒までをも減らすのだ、といいます。
本書の後半で語られますが、
「人間力」という潜在能力でひとを判断するメンバーシップ型は、
その潜在能力を信じて、いろいろな仕事を割り振り、異動させたりもして、
社員を成長させていくシステムです。
しかし、仕事の能力ではなく「人間力」という抽象性に注目すると、
たとえば不採用になったときなどに、人間性や人格を否定されることになります。
そうやって自分が悪いんだという一種のマインドコントロールに陥ります。
自分の精神面や人格を変革しなければならないという観念を持ってしまい、
だから、「自分探し」などという錯覚にはまってしまったりもするわけですね。
なるほど、と思いながら、
でも、ぼくは、
文科系に進路を取るなら、
自律性を養うカリキュラムをもうけてもらって、
必要ならば学生が自分なりに知識や技術や資格をとっていくように
育てればいいのではないのでしょうか。
文科系をなくせ、という話にはならないとぼくは考えます。
文科系の生き方、そういう自由はあっていい。
また、
労働基準法がどうあれ、
社員というものは基本的に残業をするもので休日出勤を断れないもので、
それらに反すると解雇されて当然だと最高裁の判例があるようです。
この本に、いろいろと判例がちょこっとずつ載っているのだけれど、
法律の建前の部分に反する判決がでていたりします。
表向きはこうだけれど実際はこうだから、
と暗黙の内に了承して声すら上げないことってけっこうありますけども、
たとえば労働システムなんかの現実を踏まえていて、
「しょうがない、そういうもんだ」みたいに飲みこんだりします。
そして、一事が万事みたいにあちこちで
「しょうがないんだ」と適用しちゃう。
それこそが、メンバーシップ型の実際面なのですが、
そこを巧みに利用して、ブラック企業がでてきたわけです。
詳しい部分は本書を読んでください。
それと、へええ、と思ったのが、
同一労働同一賃金の議論は、50年代60年代からに一度あったことですね。
そのときの議論は70年代のオイルショックなんかの影響で負けたらしいです。
日本には基本的に下記の二つしか働き方がありません。
メンバーシップ型と非正規社員です。
本書の終いのほうになると、もうひとつの労働者のタイプを提言してくれます。
これは非常に注目すべきだなと思いました。
日本のメンバーシップ型のいわゆる正社員は、みんなが総合職で、
管理職を目指すというのをよしとしすぎるんです。
転勤も昇進もない一般職を目指すような男は採用されない、という風潮も
根強くあるそうですね。
そこらあたり、欧米各国と比較すると、顕著にわかるらしく、
一般職こそふつうの職のありかただとして、欧米では多くのみんなが働いている。
もしかすると、世間の世知辛さってものを生む大きな原因が、
この総合職でなければ正社員ではないという体質なのかもしれない。
あとがきでは、
労働法について、それが建前としての色が濃いものだとしても、
学ぶべきですよ、と言っていました。
会社に適応することはいいことですが、
同時に抵抗するすべを持つこと、抵抗することそのものも大事だといいます。
そうやって抵抗して解雇される危険性があった
これまでのメンバーシップ型の体質が、
ブラック企業を生んだ原因でもありますから、
しっかり、そこらあたりは改善していかないと、というわけでした。
長くなりましたが、中身の濃い良書です。
善良な経営者に読んでもらって、雇い方に着いて見識を深めてほしいです。
ふつうのいろいろなタイプの労働者のひとたちも
読んで知っておくと、
自分の気もちや態度に自信が持てるようになると思います。
社会よ、少しずつ良いほうへ変わってゆけ。
そのきっかけになる可能性を秘めた本です。
『若者と労働』 濱口桂一郎
を読んだ。
とてもおもしろかったです。
現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。
日本の、職業に直結しない教育の度合いというか、
卒業して就職へ臨む若いひとたちの
「これまでの教育が職業に役立つかどうか」の意識というかは、
先進国で最下位だったそうです。
義務教育を受けても、それがその後の就職にはつながらないと
日本人は考えているし、実際そうなのでした。
そんな日本の労働システム。
本書では、メンバーシップ型と読んでいます。
年功序列だとか、新卒一斉就職だとか、
そしてそれらとマッチングした企業内のシステムだとか、特殊なんですね。
欧米に限らず、中国を含むアジアの先進国にも、
日本のようなメンバーシップ労働システムはないそうです。
日本では、仕事のスキルのない新卒者をいっせいに採用して、
社内で少しずつ教育して使いものになる労働者に育てていきます。
一方で、欧米型では、スキルのない若者は採用されません。
欠員がでたときに、その仕事ができる人を公募して、
若者にしろ中年にしろそこは構わず、
持っているスキルで採用の有無を判断するそうです。
その結果、若者たちが就職できないという問題を生みますが、
公的な職業教育制度があったりして、
その問題に対処しているそうです。
もともと「人」を大事にする思想ではじまった
メンバーシップ型労働システムなんだそうだけれど、
法律など建前としては欧米的なジョブ型労働システムを
よしとしているようです。
ハローワークでの職探し、職業訓練、などは
「仕事」に「人」をはりつけるジョブ型の考え。
日本的なのは、「人」に「仕事」をはりつけるメンバーシップ型の考え。
そして、いまや学生たちは就活と職探しを別々に考えているらしい。
職探しは就活より下とみていて、
なんとしても新卒で就職しようと躍起になる。
給料もそんなに違わなくて、
長い時間かけて取り組んだとしてどこがブラックかもわからなくても、
既卒で職探しはしたくないみたいなんですよね。
話は変わりますが、教育について著者は言います。
大学の文科を抜本的に見直すべきと。
あいまいな「人間力」なるもの、
潜在能力なるものを面接官がみて内定をあたえるのを無くすならば、
戦力になる職能の有無をもっているかどうかを見るべきだと。
そういうのが、偏差値を一元的に信奉する価値観を改め、
中学や高校で荒れる生徒までをも減らすのだ、といいます。
本書の後半で語られますが、
「人間力」という潜在能力でひとを判断するメンバーシップ型は、
その潜在能力を信じて、いろいろな仕事を割り振り、異動させたりもして、
社員を成長させていくシステムです。
しかし、仕事の能力ではなく「人間力」という抽象性に注目すると、
たとえば不採用になったときなどに、人間性や人格を否定されることになります。
そうやって自分が悪いんだという一種のマインドコントロールに陥ります。
自分の精神面や人格を変革しなければならないという観念を持ってしまい、
だから、「自分探し」などという錯覚にはまってしまったりもするわけですね。
なるほど、と思いながら、
でも、ぼくは、
文科系に進路を取るなら、
自律性を養うカリキュラムをもうけてもらって、
必要ならば学生が自分なりに知識や技術や資格をとっていくように
育てればいいのではないのでしょうか。
文科系をなくせ、という話にはならないとぼくは考えます。
文科系の生き方、そういう自由はあっていい。
また、
労働基準法がどうあれ、
社員というものは基本的に残業をするもので休日出勤を断れないもので、
それらに反すると解雇されて当然だと最高裁の判例があるようです。
この本に、いろいろと判例がちょこっとずつ載っているのだけれど、
法律の建前の部分に反する判決がでていたりします。
表向きはこうだけれど実際はこうだから、
と暗黙の内に了承して声すら上げないことってけっこうありますけども、
たとえば労働システムなんかの現実を踏まえていて、
「しょうがない、そういうもんだ」みたいに飲みこんだりします。
そして、一事が万事みたいにあちこちで
「しょうがないんだ」と適用しちゃう。
それこそが、メンバーシップ型の実際面なのですが、
そこを巧みに利用して、ブラック企業がでてきたわけです。
詳しい部分は本書を読んでください。
それと、へええ、と思ったのが、
同一労働同一賃金の議論は、50年代60年代からに一度あったことですね。
そのときの議論は70年代のオイルショックなんかの影響で負けたらしいです。
日本には基本的に下記の二つしか働き方がありません。
メンバーシップ型と非正規社員です。
本書の終いのほうになると、もうひとつの労働者のタイプを提言してくれます。
これは非常に注目すべきだなと思いました。
日本のメンバーシップ型のいわゆる正社員は、みんなが総合職で、
管理職を目指すというのをよしとしすぎるんです。
転勤も昇進もない一般職を目指すような男は採用されない、という風潮も
根強くあるそうですね。
そこらあたり、欧米各国と比較すると、顕著にわかるらしく、
一般職こそふつうの職のありかただとして、欧米では多くのみんなが働いている。
もしかすると、世間の世知辛さってものを生む大きな原因が、
この総合職でなければ正社員ではないという体質なのかもしれない。
あとがきでは、
労働法について、それが建前としての色が濃いものだとしても、
学ぶべきですよ、と言っていました。
会社に適応することはいいことですが、
同時に抵抗するすべを持つこと、抵抗することそのものも大事だといいます。
そうやって抵抗して解雇される危険性があった
これまでのメンバーシップ型の体質が、
ブラック企業を生んだ原因でもありますから、
しっかり、そこらあたりは改善していかないと、というわけでした。
長くなりましたが、中身の濃い良書です。
善良な経営者に読んでもらって、雇い方に着いて見識を深めてほしいです。
ふつうのいろいろなタイプの労働者のひとたちも
読んで知っておくと、
自分の気もちや態度に自信が持てるようになると思います。
社会よ、少しずつ良いほうへ変わってゆけ。
そのきっかけになる可能性を秘めた本です。
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