Fish On The Boat

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『イワン・デニーソヴィチの一日』

2016-02-18 23:30:37 | 読書。
読書。
『イワン・デニーソヴィチの一日』 ソルジェニーツィン 木村浩 訳
を読んだ。

ソビエト連邦時代の文学です。
作者のソルジェニーツィンはノーベル賞作家です。

酷寒の囚人労働施設の話。
酷い目に遭って働かされていても、
その世界を受容してなんとかそこでよりよい生活をしようとしている。
隠し持つずるさは生きるためのもの。
ずるく賢くじゃないと生き残れない。
丸見えの利己主義でも生き残れない。
そして、主人公のシューホフ(イワン・デニーソヴィチ)は、
そんななか、ときにやさしい心根をのぞかせる。
それは囚人とされた身であっても失われない人間性だった。
囚人といっても、スターリン下のソ連でのことだから、
ほぼ現在の世界では無実のようなくだらない罪状だとか、
思想犯だとかで過酷な労働施設へと連れて行かれるのでした。

『イワン・デニーソヴィチの一日』の中には、
人間の根源的な生命の火のようなものが描かれている。
あの、妙な温かさはその火のぬくもりだと思う。
ぼくも自分の小説で、稚拙ながらもそういう火を扱ったことがあるから
その火をまっさきに感じるのだろう。

死ぬか、生きるためにうまくふるまいながら狡猾さを発揮するか。
本書の世界での振る舞い方は、
ぼくの人生でいうと小学三年生の世界だった。
あのころの論理がそのまま磨かれて大人の世界でも適用されているという感覚。
ぼくは自分の小学三年生の世界では、
主人公のシューホフ的に、
ときにばれない程度に小ずるく振る舞って自分の立場を優位にしたり得したりしたと思う。
あのままの論理で生きていってしぶとい人間になることはなく、
あの論理から卒業したのか脱線したのかして今がある。

ぼくはわざわざさっぱりした人間になったタイプだ。
いやらしくしぶとく成功を掴んでいくタイプとして生きるのは
きっと向いていないと悟ったのだろう。
誰にも気づかれなくても、
うまいことやったことは神様には見られているとでも思ったのかもしれない。
そこから、誰にも知られないでうまくやれることはないという意味で限界を感じ、
さらにその非スマートさが嫌になった。
スマートに振る舞えないことで、
汚れても泥だらけでもうまくやっていこうとする
強い生命力を発揮する道から降りたのは、
ナイーヴすぎたんだろうなあ。
歳を重ねて、強い生命力を再獲得していこうとしているフシは少しある。

…と、自分の人生に重ねて考えてしまいましたが、
本書の面白みはそういうのとはべつにちゃんとあります。
淡々とした文章でもって、その内容の濃さでひっぱっていくような物語です。
しりすぼみにならずに、
クレシェンドのように物語が終わっていくように感じられもしました。
たった一日の話であり、就寝前のシーンだって、作家は気を抜いていないし、
実際に、あの場所は眠るまではいろいろある場所だったんだろうなと推察もできます。

ぼくは北海道の寒い内陸部に住んでいますし、今は二月です。
そんな季節にこのロシアの酷寒の時期・地域の物語を読んだので、
けっこうなリアリティを持って読めたなあという気持ちでした。

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