Fish On The Boat

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『ハンチバック』

2024-03-06 00:16:13 | 読書。
読書。
『ハンチバック』 市川沙央
を読んだ。

第169回芥川賞受賞作で、作家のデビュー作です。

背骨が右肺を押し潰すようなかたちで湾曲しているせむし(ハンチバック)の要介護中年女性・井沢釈華が主人公。人工呼吸器も入浴介助も必要な人です。彼女は零細ツイッターアカウントで、零細であるがゆえに大胆なツイートをしています。「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です」などがそう。

読んでいて面白かった表現や描写は多かったです。たとえば会話を、長調、短調、そして無調と表現するだとか。また、「愛のテープは違法」事件って初めて知った事柄でした。視覚障がい者の方たちでも本が読めるようにという配慮として音読が録音されたテープを貸し出したことが、著作権違反になるとされたらしいです。そして、それが押し通されたのでした。障がい者側の声が小さいことを、その声をすくい取るのとは反対の方向へと見取られてしまった出来事ですね。など、かくいう僕も、おそらく他の多くの人も、障害者側の目線にはほとんど立てていないっぽいもので、異を唱えられてもピンとこないようなマイノリティへの配慮ってたくさんあるんじゃないかなあ、と思いました。

他には、インセルという言葉も初めて知りました。非モテだとか、望まない禁欲主義者だとかの意味を持つ言葉で、昨今はこう可視化されているみたいです。なかなかに考えさせられる。



さて、ここからはラストの箇所の読解をします。主に構造的な部分の解釈になります。ネタバレでもありますのでご注意を。



聖書の引用を挟んだラストのシーケンス。これによってこれまでの話が、最後にでてくる風俗嬢・紗花の手による物語だった、と変貌しました。右肺を押し潰すようなかたちで背骨の湾曲したせむし(ハンチバック)の女性・釈華はそれまでの物語の主人公でしたが、釈華は「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」と紗花の名義でSNSで呟いてもいて、リンクしている部分のひとつです。本作出だしのネット記事から、釈華の日常に移るときもそうでしたが、「実は入れ子構造でした」という技術がここでも用いられて本作は閉じられていました。

ラストシーケンス前に位置する聖書の引用部分も、最初の一段落目からして示唆的なのでした。
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ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。(p81)
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→これはキリスト教やイスラム教などの聖典となる聖書の引用です。かたや、物語の主人公の釈華(しゃか)、あるいは紗花(しゃか)は仏教の祖・釈迦と同音です。本作は、田中という介護士に自らの体と精神を性的な行為で攻めさせたところが物語の佳境でしたから、それらを通して、聖なる名前である主人公が、その名前ゆえに聖性にイメージを導きやすいなかで、人工呼吸器を使い介護を必要とするせむし女性(ハンチバック)という存在が、人間の尊厳というものを諸国民(読者および社会)の目の前にしらしめる意味合いを含ませているように読み受けました。健常者そして社会は無意識に、本書の言葉を使えば「健常者優位主義(マチズモ)」の心理を自らの内に形成しているものであり、人間の尊厳についても健常者の側へ付随しがちだったりしないでしょうか。というのも、以下のような箇所がその直前にあるので伝わるものがあるのです。

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壁の向こうの隣人が乾いた音で手を叩く。私と同じような筋疾患で寝たきりの隣人女性は差し込み便器でトイレを済ませるとキッチンの辺りで控えているヘルパーを手を叩いて呼んで後始末をしてもらう。世間の人々は顔を背けて言う。「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」と。だが、それは間違っている。隣人の彼女のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこまで辿り着けない。(p79-80)
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→この箇所がズーンと読者に響くために、これまでの物語の構築があったといってもいいのかもしれないです。「涅槃」は、悟りを得て現世を離れるといった意味合いですが、俗っぽく言えば、人としてよりレベルが高いところへ到達する、といってもいいかもしれません。

また、ラストのシーケンスについてもうひとつ書くのですが、筋疾患の病気を宿した要介護の存在が主人公としてそのまま終わっていくのではなく、最後に健常者(人生に痛みを抱えてはいますが)の視点に変わって、比較的マジョリティ的な日常に帰すというような技法が取られている。大方の読み手は健常者なのだし、という点を考えての視点の転換であり、逆にそうすることで本作が要介護の存在を社会的・日常的「離れ小島」にしてしまわない作品に仕上がったともとれそうです。

といったところです。社会の差別だとか尊厳だとか、そういったところを扱う作品ですが、ユーモアにしろブラックユーモアにしろ、使い方が軽妙かつふんわりもしているところも随所にありました。背景知識や教養、ウイットにも富んでいる作者のようにも感じました。20年ほどエンタメのほうで創作投稿をされていたそうですが、純文学に舵を切った本作でいきなり芥川賞受賞の快挙には、ちょっと小気味良さを覚えました。本作は怒りをエネルギー源にして完成させた、というような発言も読みました。怒りというのはなかなか難しいものだと思うのですが、本作を読む限りでは、怒りは作者にアンダーコントロールされている感じがあります。でなければ、最後の20ページくらいはもっと違うものになっていたと思います。

使われる固有名詞は時代を切り取るものでしたし、いろいろなところにアンテナを張ってらっしゃるな、と見習いたいところでした。

しっかり読ませる、力のある作品でした。


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