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『デザイン思考が世界を変える』

2023-07-22 17:57:10 | 読書。
読書。
『デザイン思考が世界を変える』 ティム・ブラウン 千葉敏生 訳
を読んだ。

アップルコンピュータのマウスや、2000年前後にヒットしたPDA端末・パームⅤを手がけたデザインコンサルタント会社IDEOの社長兼CEOの著者によるデザイン思考を紹介する本。デザインとデザイン思考はちょっと違います。以下、引用を中心に本書の解説・感想を書いていきます。

「デザイン」とは、たとえば自動車のフォルムや内装などがどうなっているかというようなものですが、「デザイン思考」になると範囲は広がり、その自動車の購買者はどういった用途でその自動車の使用を楽しむかというようなことを考えます。乗り心地の快適性、購入時やサポート時の体験、その自動車と共にある生活などを考えてデザインしていく。

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「私たちがデザインしようとしているのは、名詞ではなく、動詞なのだ。(p172)(たとえば、電話[モノ]をデザインするのではなく、電話をかけること[経験]をデザインする)」
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この視野と想像力なのです。モノのデザインの範囲だと職人的で、動詞としてデザインするのは活動家的ともいえそうです。平面的な思考と立体的な思考、っていう感じだってします。これが、デザインとデザイン思考の違いなのでした。

人間中心に考えていくのがデザイン思考だとあります。これはデザイン思考のキーポイントで、ぶんぶん首を振るみたいにして頷きました。世の中では、社会という枠組みに人間をはめこんでしまう考え方の多い事ったらないですから。まあ、社会も大切だし人間も大切だし、極端に偏らないことだと思ってはいますが、人間中心の視点からの行動ってまだまだ少ないです。

たとえば病気ひとつとってみても、患者を診て治す「医学」と、患者がどうしてそのような病気になったのかの個人的要因や社会的要因を探っていく「疫学」があります。「疫学」は、現象学的アプローチの範囲内に入るようなものなのかもしれません。そして、そのような視点と、デザイン思考の視点って近しいように感じられました。デザイン思考と「疫学」をクロスすると、疫学でみた社会的要因をまず見ていくと、たとえば生活習慣病の原因として近所の24時間営業のお店で食べ物を買うことができる、それも高カロリーの食べ物を、というものがあるとします。だから、疫学的見地から、売っている食べ物の質を改めるだとか、24時間営業を考え直してみるだとかがでてくると思うのですが、デザイン思考だと、食べたくなることは仕方がないことなので、そこで生活習慣病にならないような行動をとるようなデザインを考えていきます。食べたら嫌な気持ちになるようなデザインを考えたり、我慢すると大きなメリットを得られるデザインを考えたりというようなことでしょうか。こういったところからも、デザイン思考って幅が広くなおかつ実際的で、できるだけ人間を枠にはめ込まないようにする考え方であると言えるでしょう。

さて、そのようなデザイン思考のヒントやインスピレーションはどこから得るのでしょう。
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インスピレーションには常に偶然の要素が含まれるが、一八五四年にルイ・パストゥールが有名な講演の中で述べたように、「偶然は心構えのある者にしか微笑まない」のだ。(p83)
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→これはよく、アンテナを張っていなさい、なんて言われ方をすることと近しいと思います。また、極端な少数者の訴えに目を向けることが、人間中心に考えるデザイン思考の大きなヒントになることが多いそう。このような少数者って、大多数が幸福になるようにとする功利主義では切り捨てられてしまう部分ですが、逆にそこにこそ大きな利益(人間中心思考においての利益です)が潜んでいるという視点からの知見はとても興味深かったです。
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アイデアの良し悪しは、アイデアの発案者に基づいて判断してはならない。(p97)
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→まず人を見て、その人になんらかのオーソリティ的なものがくっついていると、無批判にその人からのアイデアを受け入れがちっていう人とか集団のムードとかありますよね。これは、ダメ、ダメ。ダメですよ、ということ。さらに、こういう文言もありました。

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一見すると説明不能な人びとの行動が、厄介で複雑で矛盾した世界に対処するための人それぞれの戦略であるということだ。(『デザイン思考が世界を変える』p67)
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→説明できないことは無駄だったり無益だったりすることだ、と短絡的に考える人ってけっこういるので、違うよ、教えたくなります。「それはどうしてなの?」とこちらに訊いてきて、それに対してなかなか言葉が見つからずうまく説明できないと、相手から「だったらこうしましょう」と単純に干渉してくるお節介焼きがいるものです(とはいえ、人助けしようという気持ちは十分にわかってはいます)。たとえば役所なんかに相談した時もそうだけど、説明しがたいところを簡単に更地のようにされて向こうの意見を建設されたりする。そうじゃなくて、元々のその地形に意味がある。その意味を解読するのはとても難しいのだけど、無かったことにするとそれまでのバランスを著しく崩すことになる。本人もよく分かっておらず、外部からも気づかない大切な仕組みや重要な要素が含まれている。外部が関わるとロクなことにならないケースは、簡単に説明の効かないものへの無理解にあるんですよねえ。

大量生産からサービスや経験へと進化してきた昨今の市場状況。それは、供給側が権力を持っていて消費者側がそれに従うという昔からのスタイルから、消費者側も権力を徐々に持つようになっていき供給側が少しずつ権力を手放す、という方向へ時代が動いてきたとの見立てができるものです。そのような時代に入ったからこそ、デザイン思考が本格的に役に立っていく。主流の座に足を踏み入れているわけでした。

前述のように、デザイン思考は人間中心に考えます。だからこそ、環境問題や社会問題の解決への取り組みにも相性が良いといいます。個人的には、障がい者や介護の問題に対しても、このデザイン思考を適用して考えていくといいよなあと思いました。


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