読書。
『いつまでも若いと思うなよ』 橋本治
を読んだ。
作家・文化人の橋本治さんによる「老い」のエッセイ。
著者が仕事に明け暮れたのは、バブルがはじけたために抱えた自分が住むマンションに関する借金が理由だったそう。月に150万円の返済を、70歳までやらなければいけない。借金を抱えた当時は40歳くらいです。その頃、貯金が2000万円ほどあったものも無くなり、自転車操業のようになりながら返済に苦労したみたいです。こういった苦労が作家として役に立つところはあったと著者は言っていますし、そうだろうなあと読んでいて思いはするのですが、それにしたってキツイです。
108ページ目に書いてありますが、60歳くらいのときに、「死ぬ気でやります」と言って、二週間ちょっとで三百五十枚の長編小説を書きあげられている。さすがにそのあとはダメージがあって、肩が痛いを通り越して首が回らないになり、そこから疲れが抜けない状態になったそう。そうして、「ちょっと休みたい」と思っているときにマンションの管理組合理事になってくれ、と言われ、引き受けざるを得なくなる。管理組合は裁判を抱えていて、著者は裁判のためにあくせくするのです。あげく、疲れ果てて、何万人にひとりだという、血管が炎症を起こす難病にもかかってしまいました。
退院後は、歩くのも大変で、頭は回らず(原稿を書くのって体力が要るんだ、とはじめてそのときに知ったそう)、でも日々そういった衰えに抗って回復しようとする姿が文章中からうかがえるのでした。老いに抗うのをよしとはせず、ちゃんと老いていこうとする本書前半部分での語りでしたが、こういった、不当ともいえる、「健康に自然に老いていく」のとは違う衰えに対しては、できる限り回復して人生を歩いていくほうがいい、と僕も思うんです。そこは、老いや衰えの種類が違うのかもしれない。
僕がここで自分なりに読み取って考えたのはこうです。年齢を重ねて、「自分はまだまだ若い」という気でいないことは大切なのですが(世代交代が進まないなどのいろいろな「老害」もあるからです)、じゃあどうするかといえば、老いた自覚を持ち、老いを認める前提で、そのうえで「よりよく生きようとする」のがほんとうなんじゃないだろうか、ということです。歳を重ねても、はつらつと元気でいられれる人でも、若いのとはちょっと違うんだ、くらいの認識は必要かもしれません。
ここからは、引用を。
__________
もう一つわかったのは、忙しすぎて「断る」ということが出来ない心理状態になると、恐怖心が強くなるということです。「あんたの体力はなくなっているよ、やばいところに来てるよ」ということを教えるために、「こわい」という感覚が強くなるんですね。(p112)
__________
→年を取ってから不安が強くなる人っていますけれども、体力とそういった心理との関係をつないでくれている箇所です。心と体の相互性を忘れてはいけないですね。
__________
「入院してただ寝てるにしろ、未消化のストレスをそのままにしてると体に悪い」と思ったので、人が来ると「あのクソババァを殺しとかなかったのは残念だ」とか、思いっきり物騒なことを口にします。「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」と兼好法師も言ってますから、私はその毒出しに一カ月かけて、後はおとなしくしてました。(p146)
__________
→WEB検索すると、「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」は<「徒然草」第十九段の有名な一節である。 言いたいことを言わないで我慢していると、何か腹に物がつかえているようで気持ちが悪い、という意味である。 ストレスと胃腸の関係を的確に表現している言葉である。>と出てきました。愚痴や不満を吐き出すことの大切さは、鎌倉時代にも言われていた、と。僕は、迷惑だろうなあと思いつつXで愚痴や不満や文句や嘆きを吐き出しがちで、以前はLINEでも吐き出したりしていました。胃腸はあんまりよくないです。
最後は三つほど、箇条書きで。
◆人は脳で考えて何かをするより、条件反射的に何かをしていることのほうが多い、と書いてありました。そしてそれは、習慣と呼ばれるものだ、と。で、思い浮かんだのが、習慣を構成している成分のこと。言い換えればそれは思い込みと決めつけというやつで、ときに悪習慣として、勘違いや誤解を生んでいます。
◆著者が42,3歳の頃に『Myojo』の巻頭グラビアを1年ほどやったというけど、どんな意図だったんだろうなあ、といろいろ考えを巡らせるように想像してみました。最後の方はうしろのページに移り女装をさせられたりもしたそう。編集長は異動になったそうです。著者の借金苦に対して、仕事を作ってくれたということなのかもしれない。
◆著者が病気を患った部分を読んでいて感じたことを。60歳や70歳になるまでほとんど病院にかからなかったような健康だった人のほうが、あるとき体調を崩して老いを実感すると、病院にちらほら通った人生の人よりもずっと戸惑うんじゃないでしょうか。健康だった人が年を取って躓くと、老いを腑に落ちる形で処理しづらそうです。病気になるということがわからないぶん無意味な格闘をしやすそうではないですか。老いた現在の自分の状態というものに軟着陸できる人と、墜落気味に着地する人とが、大別するといるんじゃないでしょうか。長らく健康でいることになんのリスクもないのではなくて、そういった墜落気味になるリスクが潜んでいると言えそうという話でした。
『いつまでも若いと思うなよ』 橋本治
を読んだ。
作家・文化人の橋本治さんによる「老い」のエッセイ。
著者が仕事に明け暮れたのは、バブルがはじけたために抱えた自分が住むマンションに関する借金が理由だったそう。月に150万円の返済を、70歳までやらなければいけない。借金を抱えた当時は40歳くらいです。その頃、貯金が2000万円ほどあったものも無くなり、自転車操業のようになりながら返済に苦労したみたいです。こういった苦労が作家として役に立つところはあったと著者は言っていますし、そうだろうなあと読んでいて思いはするのですが、それにしたってキツイです。
108ページ目に書いてありますが、60歳くらいのときに、「死ぬ気でやります」と言って、二週間ちょっとで三百五十枚の長編小説を書きあげられている。さすがにそのあとはダメージがあって、肩が痛いを通り越して首が回らないになり、そこから疲れが抜けない状態になったそう。そうして、「ちょっと休みたい」と思っているときにマンションの管理組合理事になってくれ、と言われ、引き受けざるを得なくなる。管理組合は裁判を抱えていて、著者は裁判のためにあくせくするのです。あげく、疲れ果てて、何万人にひとりだという、血管が炎症を起こす難病にもかかってしまいました。
退院後は、歩くのも大変で、頭は回らず(原稿を書くのって体力が要るんだ、とはじめてそのときに知ったそう)、でも日々そういった衰えに抗って回復しようとする姿が文章中からうかがえるのでした。老いに抗うのをよしとはせず、ちゃんと老いていこうとする本書前半部分での語りでしたが、こういった、不当ともいえる、「健康に自然に老いていく」のとは違う衰えに対しては、できる限り回復して人生を歩いていくほうがいい、と僕も思うんです。そこは、老いや衰えの種類が違うのかもしれない。
僕がここで自分なりに読み取って考えたのはこうです。年齢を重ねて、「自分はまだまだ若い」という気でいないことは大切なのですが(世代交代が進まないなどのいろいろな「老害」もあるからです)、じゃあどうするかといえば、老いた自覚を持ち、老いを認める前提で、そのうえで「よりよく生きようとする」のがほんとうなんじゃないだろうか、ということです。歳を重ねても、はつらつと元気でいられれる人でも、若いのとはちょっと違うんだ、くらいの認識は必要かもしれません。
ここからは、引用を。
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もう一つわかったのは、忙しすぎて「断る」ということが出来ない心理状態になると、恐怖心が強くなるということです。「あんたの体力はなくなっているよ、やばいところに来てるよ」ということを教えるために、「こわい」という感覚が強くなるんですね。(p112)
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→年を取ってから不安が強くなる人っていますけれども、体力とそういった心理との関係をつないでくれている箇所です。心と体の相互性を忘れてはいけないですね。
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「入院してただ寝てるにしろ、未消化のストレスをそのままにしてると体に悪い」と思ったので、人が来ると「あのクソババァを殺しとかなかったのは残念だ」とか、思いっきり物騒なことを口にします。「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」と兼好法師も言ってますから、私はその毒出しに一カ月かけて、後はおとなしくしてました。(p146)
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→WEB検索すると、「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」は<「徒然草」第十九段の有名な一節である。 言いたいことを言わないで我慢していると、何か腹に物がつかえているようで気持ちが悪い、という意味である。 ストレスと胃腸の関係を的確に表現している言葉である。>と出てきました。愚痴や不満を吐き出すことの大切さは、鎌倉時代にも言われていた、と。僕は、迷惑だろうなあと思いつつXで愚痴や不満や文句や嘆きを吐き出しがちで、以前はLINEでも吐き出したりしていました。胃腸はあんまりよくないです。
最後は三つほど、箇条書きで。
◆人は脳で考えて何かをするより、条件反射的に何かをしていることのほうが多い、と書いてありました。そしてそれは、習慣と呼ばれるものだ、と。で、思い浮かんだのが、習慣を構成している成分のこと。言い換えればそれは思い込みと決めつけというやつで、ときに悪習慣として、勘違いや誤解を生んでいます。
◆著者が42,3歳の頃に『Myojo』の巻頭グラビアを1年ほどやったというけど、どんな意図だったんだろうなあ、といろいろ考えを巡らせるように想像してみました。最後の方はうしろのページに移り女装をさせられたりもしたそう。編集長は異動になったそうです。著者の借金苦に対して、仕事を作ってくれたということなのかもしれない。
◆著者が病気を患った部分を読んでいて感じたことを。60歳や70歳になるまでほとんど病院にかからなかったような健康だった人のほうが、あるとき体調を崩して老いを実感すると、病院にちらほら通った人生の人よりもずっと戸惑うんじゃないでしょうか。健康だった人が年を取って躓くと、老いを腑に落ちる形で処理しづらそうです。病気になるということがわからないぶん無意味な格闘をしやすそうではないですか。老いた現在の自分の状態というものに軟着陸できる人と、墜落気味に着地する人とが、大別するといるんじゃないでしょうか。長らく健康でいることになんのリスクもないのではなくて、そういった墜落気味になるリスクが潜んでいると言えそうという話でした。
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