まゆみの大学院合格まで 2002年03月16日 | 大学院修士1年(通学) 大学院に行きたい!! 卒業後、大学院へ行きたい!! そう思ったのは1回目の4年生のときでした。 ある程度専門科目もとり終え、演習に面白みを感じるようになった頃でした。 教育実習と卒論を書いたら、卒業してしまうのかぁ。 まだ一葉(まゆみが興味をもっている作家、樋口一葉のこと)の作品を かじった程度なのに、この続きができないまま卒業だなんて… 一時は通教へまた編入して、他学部の教員免許をとろうとしていましたが、 やっぱりなにかひとつ、自分はこれだけを全うしてきた!! という方がいいなと思ったのです。 一葉についてをこれからも勉強していきたいなぁ… これが私が大学院へ行きたいと思った理由でした。 単純に今の続きをまだやりたかったのです。 きっと大学院ならその続きができる! そう思っていました。 この頃はまだ大学院がどういったところなのか 正直知りませんでした。 求めていたのは「ゼミ」 私は大学院へいって何をしたいかがすでに決まっていました。 樋口一葉についてを勉強したかったのです。 一葉作品と、女性の地位や立場について、興味をもっていました。 これをもっと勉強したい!! ただ、単純にそう思っていました。 当時は「研究」といった言葉はピンときていなかった私。 大学の延長が大学院だと思っていました(まぁ確かに延長なのですが) つまり、日大通教でできなかったことがやりたかったのです。 それは「ゼミ」でした。 通学課程にはよくある「ゼミ」 私の母校の短大にもありました。 日大通教で言うならば「国文学演習」がそれにあたるのですが、 3日間で演習単位を1単位取得。そしてその積み重ねは 私にとってはどうしても物足りなかったのです。 昼間スクーリングで通年で演習を履修したものの やっぱり違うのです。私にとって「演習」と「ゼミ」は異なりました。 演習とは受身の授業ではなく、学生が中心となって発表などをする… そういったイメージを持ち ゼミとはさまざまな学年が集まり、学生達がチームを成して専門分野の発表などをする… つまり相違点はふつうの「演習」には生徒達のチームワーク的な仲間意識が「ゼミ」よりも薄いといった点と 専門性に欠ける点でした。 そして熱意の度合いも「ゼミ」の方が上回る気がしました。 そんなゼミに私は憧れました。 日大通教のことは好き。 けれどひとつだけいつも納得がいかなかったのは演習でした。 私は近代文学に興味があったけれど、演習は各時代がくまなく開講されるのでなく 時代はその時その時のスクーリングの先生が決める事であり、 毎回好きな時代を選べる環境ではなかったのです。 そこに通教の限界を感じたのです。 (けれど愛する日大通教を否定したりはしません。あしからず…) 署名運動までおこして、演習の開講数を増やす事を望んだ私だったけれど それは実現できませんでした。 これ以上、通信では専門的なことは学べない… ならば他で学ぶしかない!! そう思ったのです。 大学院リサーチ 私が大学院に求めるものは 自分の興味を持った分野を彫り下げていくこと。 そして少人数制で各専門分野について討論などをすることでした。 大学院はそれができる!! 私はそれを知ってから、大学院についてをインターネットなどで調べ始めました。 大学院についての本を購入したり、 院生とはなにをしているのか、どこの院に国文学専攻があるのか、 一葉について勉強できるのか、私が求める「ゼミ」が充実しているのか… それまで大学院についてはさっぱりだった私でしたが だんだんとシステムがわかってきました。 そして、いくつかの大学院がピックアップされたのです。 私が興味をもった院は ・ゼミに活気があること(院生も内部の学生ばかりでなく外部からの学生などがいること) ・指導教授が私の専門(樋口一葉)を受け入れてくれること ・指導教授がインターネットや電子メールを扱えること 以上の三点でした。 大学院はお金のかかるもの。 形だけ行って、入ったら思っていた環境とちがかったといって辞めていくケースだけは避けたかったのです。 できるだけそういったケースにならないように 事前にサーチしておけば、途中でやめる可能性も減るだろう。 そう思ったのです。 私は興味をもった大学院へ訪問へ行きました。 それが2回目の4年次の4月~6月でした。 もちろん希望の指導教授と連絡をとって 許可をもらってゼミを聴講しました。 そして大学院のゼミの雰囲気を知ろうと思ったのです。 大学院は学部より狭い世界だと思っていました。 なので顔をあわせる仲間はいつもたいてい同じ。 よって雰囲気は大事だと思いました。 教授達の院に対する力の入れ具合もチェックしていました。 私は短大、大学と入学年数が普通の学生よりも長かったため 現役生との年齢差がでてしまうことを気にしていました。 よって現役生が固まって集団トイレのような「いつも一緒」 といった院生達があつまる院には絶対行きたくなかったのです。 どちらかというと、通教のような いろいろな人がいる雰囲気の空間の中で勉強をしたい。 そう思ったのです。 考え方は人それぞれだと思いますが、 私の中では大学院にかなりのこだわりをもっていたのです。 決意 2回目の4年次、私は教育実習と卒論のみの履修となりました。 卒業後の進路を決めなければならない。 就職?進学? 私にはいくつかの選択肢がありました。 教員関係の資格を増やしていくか、専門を深めていくか、 さまざまな資料をとりよせ、学士編入、通信制大学院、 部屋の中が資料でいっぱいになった時期もありました。 ひとつひとつをチェックし、そして自分にふさわしいか? 自分が勉強を続けることができたのは家庭環境、そして自分の勉強に対する意欲のおかげでした。 すでに「なんとなく」で進路を決める事ができなくなっていました。 働いて家にお金をいれなければいけない。 そういった環境に我が家はあったため、勉強を続けたいならば 生半可な気持ちでは許されなかったのです。 それは短大から日大通教へ編入するときも同じ気持ちでした。 みなが就職をする中で、学業を続ける事を選択した私。 勉強をする価値があるのかと指摘されたとき 「短大に入ってやっと勉強の楽しさがわかった。 大学で続きをどうしても勉強したい。 辞めない、必ず大学を卒業してみせる!!」 そういって進学の許可をもらったのでした。 定期的な収入を入れる事ができない。 それは我が家にとっては大きなダメージでした。 その分きちんとやらなければと、 就職から逃げているから学生をやっているなどと思われたくなかったし、 自分自身も勉強していることに誇りを持ちたかった。 そんな意味での大学進学であり、 大学院志願に対しても、自分が好きで勉強を続けたい。 そういった意思を強くもっていたいと思ったのです。 院試対策 大学院に入るには試験があります。 大学院入学試験、つまり「院試」です。 これをパスしないと大学院には入れないのです。 よって私は志望校の院試の過去問、そして科目等を調べてみました。 調べた結果、ある程度の院に共通していたのが ・語学試験(英語などの外国語を一科目選択) ・専門試験(日本文学についての試験) ・面接 でした。院によっては卒論等の提出を義務付けているところもありました。 また、専門の試験は古代から現代まで、そして国語学などが出題される院もあれば 自分の専門とする時代の中から出題される院もありました。 そう、大学院によって専門試験はそれぞれ異なりました。 語学についてはたいていの院が「英文和訳」でした。 大学入試の国立2次の英文和訳のような感じです。 面接は今後院に入ってからどうしたいかなどの目的意識を問われるものでした。 院試の内容は受験する研究科によって異なってきますが、 国文関係は文学史が大事であることがわかりました。 また院によって専門に力を入れているところもあれば 面接に力を入れているところもありました。 そう、大学院は大学入試とは異なり、 各大学院によって傾向が異なるのです。 よって院へ足を運んで院生などに直接聞いてみる事で 院試の傾向や対策を立てたりしました。 文学史から遠ざかってしまた今、 大学院予備校に行くお金もなかったし 独学でやっていく自信もありませんでした。 よって「聴講」を大いに利用しました。 日大通教や他大学の学部、院の授業やゼミに参加し 文学史の復習や、論文を読む訓練をしていたのです。 この頃、大学院は大学とは異なる事が判明しました。 より専門的であり、指導教授につき、修士と博士に分かれており 始めの修士では修士論文を書きあがることが目標である事。 つまり、論文を書く事が目標なのです。 文学が好きだけれど、論文なんて書きたくない。 そういった人にはかなり辛い空間になるということです。 今まで私は「勉強」といった言葉を使ってきましたが、 大学院は自らが自分の専門とする分野に食いついていく、 今までにないような問題提起や論証などを目標とするのです。 読書感想文の領域ではなく、学部(大学)の領域でもない。 「研究者」の部類に入るんだということを 聴講をして初めて知りました。 「勉強」というより「研究」なのです。 受身ではないのです。自分が切り開いていけなければ 何も始まらないんだと… 正直、論文なんて書けないと思いました。 人が書いた論文ですら何を言っているかわからなかったし、 まして自分にそんな論文を書くだけの力なんて… もし、大学院に受かっても、私はやっていけないのではないだろうか… そんな気がしてなりませんでした。 通教生最後の夏、 私の中には「不安」がうずまいていました。 暑い夏、図書館へ通い分厚い参考書を開き ノートにまとめる作業。 そしてこの頃、卒論へ本格的にとりかかったのです。 諦めようか? 英文和訳と文学史を勉強する毎日が続きました。 家庭の事情などもあり、院試を諦めようか? そういった考えも横切りました。 また本当に自分に大学院は合っているのか? そして院試をパスするだけの学力があるのか? 不安だけが募りました。 そして恐くなりました。 卒論提出が着々と迫る中、 私はこのまま院試対策をしながら卒論をすすめることは 困難であることに気がつきました。 もちろんふたつをこなせる人もいます。 しかし私にはそれは「二兎追うものは一兎も得ず」になりかねなかったので 大学院より大切な、まずは足元をみよう! 大学を卒業しよう!と卒論を選択したのでした。 これだけは、私の中でこれだけはきちっと書き上げよう。 そうでないと、一生後悔する。 もしかしたら卒論がひどくて卒業できないかもしれない。 そうしたら大学院に受かったとしても入る事は出来ない。 まずは通教卒業だ!! 夏から秋にかけて、私は院試の勉強を中断しました。 そして半ば諦めていました。 けれど卒論がきちっと書けたら、 きっと時間をおいてでも院試に挑戦する事はできる。 卒論が書けなかったら、院に入っても論文は書けないだろう。 そう思ったのです。 この頃、院のゼミに変化が表れてきました。 それは私自身に変化があったのです。 今までちんぷんかんぷんだった論文が、 なんとなく見えてきたのです。 そう、卒論対策で先行論文を読んでいたら 論文慣れをしてきたのです。 そして論文が恐くなくなってきたのです。 …大学院へ行きたい… そう思いました。 卒論を書いている途中、 もっともっとこの続きをやりたい。 より深い部分で研究をすすめていきたい。 2度目の4年次の春と秋とでは、院に行きたい気持ちはあったものの 後者のほうがずっと進学意識が強まっていたのでした。 卒論提出後 2度目の4年次の12月に無事卒論を提出しました。 ホッと一息。今となってはあんな論文を提出し 自信をもっていた自分が恥ずかしいのですが、 あれがあのときの私だったんだ。 学部でここまでやってきたんだといった等身大の自分なんだと今だから思えたりします。 卒論提出後、ホッと一息をついたと同時に大学院への願書などの準備が始まりました。 書類を書く手は振るえ、とうとうきたか!と初めて受ける院試が何者かもわからず ただ不安だけが募り、自分に果たして大学院といった大物に対抗していけるのか… 院試はそれほど私の中で大きかったのです。 入ってからやりたいことは決まっている。けれど試験が受からないと… ここで社会人入学などを利用すれば、苦手な語学が免除されるケースがあるのですが 社会に出た経験のない私には、無縁の話でした。 まして社会人入試は法・経済などでは盛んですが、 まだまだ文学研究科には浸透していないようで 院によっては社会人=語学免除というわけではありませんでした。 志望校としてあげた院はTOTAL3校。 英語を苦手とする私には正直ダメかと思いました。 けれど諦めない。最後まで悔いの残らないように!! それだけをモットーとして勉強をしました。 アルバイトも一時中断。院試モードで勉強勉強。 1月にA大学院、2月にB大学院、3月にC大学院の院試がある中、 A大学院の院試は専門200点満点、語学100点満点、面接、卒論(専門重視) B大学院は専門100点満点、語学100点満点、面接(試験重視) C大学院は専門100満点、語学100点満点、面接(専門・面接重視)でした。 ここも事前にチェックしておきました。 自分に合った院選びも大切。そして自分に合った院試選びも重要でした。 合格発表や、頭金の振込みの日時をチェック。 院試カレンダーを作って手続きのミスがないようにチェック。 願書の写真、書類等も前もって短大や大学側から取寄せました。 大学院によって書類も異なります。 短期大学での書類がいらない院もあれば、書類は3ヶ月以内と指定がある院もあったり… 募集要項に黄色のラインマーカーでチェックを入れていきます。 きっとそのときの顔は深刻な顔だったと思います。 院試 院試が近づくにつれ、緊張しやすい私はドキドキしてなかなか眠れませんでした。 不安だけが募り、あぁどうしようと思う日々。 けれどやるしかない。 初めて手にする院試の受験票。 絶対寝坊だけはしないようにと、日時をチェック。 眠れなくても横になるように心がけ、 とにかく頑張るしかない!!あとは運を天に任せよう!! そして試験日を迎えました。 二日にわたる院試。 一日目は専門、語学の筆記試験。二日目は面接でした。 とにかく最後まで諦めない。後悔しない試験を!! と「もうダメだ!!」という気持ちと戦いながら 時間の許す限り答案用紙に解答を綴っていました。 運良く知っている和歌がでてきたりといった嬉しいハプニングも… しかし英語となると、緊張で全体が見えず、和訳がかなりひどいことになってしまいました。 あぁ、もうダメだぁ… 肩を落としながらも居直り受けた面接。 ものすごく緊張しました。 なんといっても面接官が8人くらいいて、私ひとり… 迫力満点、試験に自信がなかっただけに緊張と不安でいっぱいでした。 思っていた事が言えなかったりなどもあり、 あぁ、もうダメかも… そう思って終えた院試。 正直ダメだと思いました。 結果発表 合格発表まで一週間の期間がありましたが、 なんとも長い一週間でした。 ダメならダメと言ってほしい。 気持ちを切り替えられるのに…と何度も思いました。 しかし後半になると、そんなことを言っていても仕方ない。 ダメならそれが結果。精一杯頑張ったんだから もうこれ以上自分を責めないで、頑張っていこうじゃないかぁ! と自然に思えた頃、合格発表があり、 わりと気楽な気持ちで掲示を見に行きました。 「え…っ?」 よく合格体験記などに載っているけれど 自分の番号を何度も確認する… 私は思わず何度も自分の受験番号を確認しました。 そして掲示されている番号が自分の番号であることが間違いないと… 「う、受かった…」 心の中でまだピンと来ない自分がいました。 帰り道、まだピンと来ない。 翌日大学院側から書類が届き、そこに正式が合格通知が同封されているのを見て初めて あぁ、合格したんだ… そう確信できました。 合格発表から少しして試問がありました。 そのとき、卒論担当の先生に大学院に合格した事を伝え この論文なら卒業は大丈夫だから! と言ってもらい安心しました。 複数の院の中からこの院に行こう! そう決断できたのには理由がありました。 (といっても受けたのはひとつだけでしたが…) ・指導教員との相性 ・院の雰囲気(活気があり、いろいろな人がいました) ・ここなら自分が伸びる!と確信できたこと ・専修免許取得可 ポイントはしっかりおさえていたこと。 そして自分を認めてくれた事。 きっとこの院でなら私は頑張れる!! そう思ったのです。ここで頑張ろう!! そう決意したのです。 今になってわかったことなのですが、 私は英語があまりよくなかったのですが 卒論が高く評価されたようでした。 もし、卒論がひどいものだったら、この合格はなかったといっても過言ではありません。 あの時、卒論に専念してよかった… そう思いました。 卒論が私を救ってくれたのです。 私が大学で学んでいたことは、間違っていなかったんだ… 日大通教が、私に新しい道を切り開いてくれました。 あの時、短大から日大通教に編入を決意したとき まさかこうなるとは思ってもいませんでした。 短大は私に大学編入という道を与えてくれ、 日大通教は大学院進学という道を与えてくれました。 すべてが今に繋がっている… ケンカばかりしていたけれど、結果が出て進学を許可してくれた両親、 愚痴ってばかりいたけれど見守ってくれた日大通教の仲間 聴講生ながらも応援してくれた院生の先輩方 いつも見守ってくれた恩師達に こころからお礼申し上げます。 まゆみはこれからも頑張ります!!