読者として作品を愛すること 2003年09月16日 | 大学院修士2年(通学) 院の後期の授業開始と共に、後期は私がトップバッターで発表をすることになっています。 ドクターの先輩もたくさん参加している演習なだけに、研究に値しない発表をしたら、それことバッシング?と思い不安になりながらも、じゃあどうしたらいいんだろう?と、作品を客観的に読めずに悪循環に陥っていました。 作品は芹沢光治良の『人間の運命』 じゃあ、気持ちを芹沢モードにするためにも、HPで雰囲気をつかんでこようと、「芹沢光治良文学館」を訪問。 すると「芹沢文学を素直な気持ちで読んでほしい」というコメントが目に飛び込んできたとき、強化ガラスのようになっていた心の外側の壁が、スポンジケーキのようにふんわりとなったことがわかりました。 ちゃんとした発表をしなきゃ!と思うと、本当に何を発表したかったのかが伝わりません。 やっぱりその人が、それに対して何らかの情熱とか、想いとかをもっていないと、人の心に響く研究はできないと思うのです。 後期の発表はもうすぐですが、以前のような漠然とした不安がなくなり、研究にとって大切なことが発見できたことで、頑張ろうという気持ちになれました。 一葉に対しても、同じことが言えるので、またこのような壁にぶつかったときは、純粋な読者の気持ちを忘れないようにしようと思います。 きっとそこに私が一番伝えたいことが隠されているのだと…