ショック!!! 2003年12月10日 | 大学院修士2年(通学) 私の書いていた『われから』論で、これはすごい発見だ!という箇所が 既に先行研究で書かれているのを発見! なんとなく近くにあった某研究誌を手にして、パラパラとめくっていたとき 「あれ?」と気になる論があったのです。 読んでいくと、なんと『われから』のことが書いてあるのです。 タイトルには『われから』なんて、書いていませんよ。 気になって読み続けていくと、な、なんと 私が発見したと思っていた説を、この先生が書いていたのです! 先行研究の調べが足りなかったのがいけなかったのですが こんな修論提出前に…と思う反面 提出する前にみつけることができてよかったです。 これは、この先生の論も引用して、論を変えなければ…
定説 2003年12月10日 | 大学院修士2年(通学) 先ほど掲示板で「美登利変貌論争」のことに触れて 短大時代を思い出しました。 恩師の授業で、佐多氏の論(出店説)と、その反論の前田氏の論(初潮説)を読んだことがありました。 そのとき、出店だろうと初潮だろうと、私にはどうでもよくて、それより衝撃的だったのが、前田氏の論のタイトルです。 「美登利のために―「たけくらべ」佐多説を読んで」 『群像』1985年7月号だったと思います。 すごいタイトルで、未だに忘れられません。 前田氏は本当に一葉作品を愛しているんだなぁという印象を当時持ちました。 今思うと、初潮説が定説で論じられていただけに、出店説も加わり、『たけくらべ』を今一度読みなおすことが必要だということを教えてくれた感じがしました。 一葉研究は、煮詰まったところが多い気がして やっぱり定説に「ウンウン」と知らない間にうなずいてしまったりするんですね。 でも、そこが盲点なんだと思います。 私の中では、今一度じっくり読んでみることが必要かなと思ったりします。 本も何年か経って読み直すと印象がかわったりするようなことが、一葉作品にも言えると思うし、「ん?」と思う箇所が出てくるかもしれません。 「ん?」と思えるようになるには、やっぱりその人が人生でいろいろな経験を積むことだと考えます。それらが読みを変えていくきっかけになると思うからです。仮説がたてば、あとはそれを論証するための根拠を固めて、発表すればいい。 その作業が大変なんですけどね。 まだまだ勉強が必要です。 そのためにも修論を仕上げます(笑)