先ほど掲示板で「美登利変貌論争」のことに触れて
短大時代を思い出しました。
恩師の授業で、佐多氏の論(出店説)と、その反論の前田氏の論(初潮説)を読んだことがありました。
そのとき、出店だろうと初潮だろうと、私にはどうでもよくて、それより衝撃的だったのが、前田氏の論のタイトルです。
「美登利のために―「たけくらべ」佐多説を読んで」
『群像』1985年7月号だったと思います。
すごいタイトルで、未だに忘れられません。
前田氏は本当に一葉作品を愛しているんだなぁという印象を当時持ちました。
今思うと、初潮説が定説で論じられていただけに、出店説も加わり、『たけくらべ』を今一度読みなおすことが必要だということを教えてくれた感じがしました。
一葉研究は、煮詰まったところが多い気がして
やっぱり定説に「ウンウン」と知らない間にうなずいてしまったりするんですね。
でも、そこが盲点なんだと思います。
私の中では、今一度じっくり読んでみることが必要かなと思ったりします。
本も何年か経って読み直すと印象がかわったりするようなことが、一葉作品にも言えると思うし、「ん?」と思う箇所が出てくるかもしれません。
「ん?」と思えるようになるには、やっぱりその人が人生でいろいろな経験を積むことだと考えます。それらが読みを変えていくきっかけになると思うからです。仮説がたてば、あとはそれを論証するための根拠を固めて、発表すればいい。
その作業が大変なんですけどね。
まだまだ勉強が必要です。
そのためにも修論を仕上げます(笑)
短大時代を思い出しました。
恩師の授業で、佐多氏の論(出店説)と、その反論の前田氏の論(初潮説)を読んだことがありました。
そのとき、出店だろうと初潮だろうと、私にはどうでもよくて、それより衝撃的だったのが、前田氏の論のタイトルです。
「美登利のために―「たけくらべ」佐多説を読んで」
『群像』1985年7月号だったと思います。
すごいタイトルで、未だに忘れられません。
前田氏は本当に一葉作品を愛しているんだなぁという印象を当時持ちました。
今思うと、初潮説が定説で論じられていただけに、出店説も加わり、『たけくらべ』を今一度読みなおすことが必要だということを教えてくれた感じがしました。
一葉研究は、煮詰まったところが多い気がして
やっぱり定説に「ウンウン」と知らない間にうなずいてしまったりするんですね。
でも、そこが盲点なんだと思います。
私の中では、今一度じっくり読んでみることが必要かなと思ったりします。
本も何年か経って読み直すと印象がかわったりするようなことが、一葉作品にも言えると思うし、「ん?」と思う箇所が出てくるかもしれません。
「ん?」と思えるようになるには、やっぱりその人が人生でいろいろな経験を積むことだと考えます。それらが読みを変えていくきっかけになると思うからです。仮説がたてば、あとはそれを論証するための根拠を固めて、発表すればいい。
その作業が大変なんですけどね。
まだまだ勉強が必要です。
そのためにも修論を仕上げます(笑)
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