文学史の勉強していると
近代に黄表紙という草双紙が出てきます。
草双紙とは江戸時代の通俗的な絵入りの読み物で、黄表紙は黄色い表紙で、草双紙の中でもわりと大人向きな洒落と、キレイな絵が特徴です。
文学史で覚えたら、大切な言葉だけとりあえず覚えるだけとなってしまいます。
しかし以前に授業で、この黄表紙を先生が持ってきてくれました。
そのイメージがとても強く、黄表紙というと、私の中では授業中にまわってきた、あの絵入りの本!
とイメージがリアルに浮かび上がります。
それくらい実物に触れること、手にとってみることは大事だなと思うのです。
なんといっても忘れない・・・
授業で見たときは、
なんだか古くて汚れた本だなぁ・・・
としか思わなかったのですが
今更になって、わざわざ授業中に黄表紙をまわしてくれた先生に感謝しています。
だから草双紙の中でも黄表紙は私の中で忘れない、もし忘れてもすぐに思い出せる領域にあるのです。
活字だけで覚える文学史と、手にとってみる文学史とでは
ずいぶん違うんだなと。。
全部は手に取れないけれど、極限見て、触れて、そして感じていきたいと思います。
近代に黄表紙という草双紙が出てきます。
草双紙とは江戸時代の通俗的な絵入りの読み物で、黄表紙は黄色い表紙で、草双紙の中でもわりと大人向きな洒落と、キレイな絵が特徴です。
文学史で覚えたら、大切な言葉だけとりあえず覚えるだけとなってしまいます。
しかし以前に授業で、この黄表紙を先生が持ってきてくれました。
そのイメージがとても強く、黄表紙というと、私の中では授業中にまわってきた、あの絵入りの本!
とイメージがリアルに浮かび上がります。
それくらい実物に触れること、手にとってみることは大事だなと思うのです。
なんといっても忘れない・・・
授業で見たときは、
なんだか古くて汚れた本だなぁ・・・
としか思わなかったのですが
今更になって、わざわざ授業中に黄表紙をまわしてくれた先生に感謝しています。
だから草双紙の中でも黄表紙は私の中で忘れない、もし忘れてもすぐに思い出せる領域にあるのです。
活字だけで覚える文学史と、手にとってみる文学史とでは
ずいぶん違うんだなと。。
全部は手に取れないけれど、極限見て、触れて、そして感じていきたいと思います。
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