まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

元同僚の訃報 自己中逝く

2015年09月10日 | 早期退職

元同僚の訃報が入った。52歳。

一緒に働いていた後輩がメールをくれたときには、葬儀も終わっていた。人は誰でもいつかは逝くわけだが、あまりにも早すぎる。

さっそく、複数の人間に連絡し、状況を探ってみたが、誰も詳しいことは教えてくれず、彼らも事済んでから知りましたので、という話ばかり。
誰からも、通夜等に行きましたという声もなかった。

52歳の旅立ちにしては、ちょっと寂しすぎないかい?

彼とは、13年近く同じ職場で過ごした。

彼は自称、自己中。
そして、職場のみんなも認める自己中だった。

私は歳が近いこともあり、たくさんのことを一緒にやってきたが、彼は、頭もいいし、自分の世界がしっかりある。
そして、男っぷりは悪いが、育ちがいい。(あるお客さまの言葉)

自己中と言っても、自分の持分はしっかりわきまえている男で、私流に言えば、職場が忙しく窮地の時は泣きだったが、普段は、ほんと”微笑ましい自己中”だった。

頭がいいので、意識して、落語の世界を演じているのでは、と思うことさえあった。
実は、とても繊細な感性があり、心配りもできる男。
でも、元職場は、彼を包み込めるキャパがなかった。

一流と言われる大学を卒業後、システムエンジニアとして就職したものの、会社縮小で、アラサーでリストラ。

まったく畑違いの元職場へアルバイトから入り、社員に登用されたものの、生きる文化というか、価値観というか、そんなものがかなり違った空間だったのだろうと思う。

焼酎、競馬、パチンコが大好きで、今度、勝ったら一杯ご馳走するから、が口癖だったが、勝ったときは、ニコニコしているだけで、勝ったという話は聞いたことがない。

負けたときは、負けた、負けたの連呼で大騒ぎ!

彼には、私のいたグループの面倒を見てもらいたいと思い、誘った時期もあったが、やはり自己中。ムリムリムリムリ!と、軽くいなされた。

その後、長時間通勤を解消したい、と転勤を申しで、いろいろ運動をしてみたが、私の影響力では実らなかった。それでも、彼は自分のコネクションを使って、奢ってくれるという約束もそのままに、2年前に転勤していった。
それが最後の別れになってしまった。

悔いを残す仲間は数名いたが、昨年9月末で早期退職。

メンタルの人が休職から復帰してなんとかやっている、そんな話を聞くと、自分が身を引いて良かったなぁ、と思う反面、同僚(仲間と思っていた男)の死は、ショックである。

お互い、後10年も生きのびられれば、りっぱな無所属、りっぱな自由人になり、外房線の上りと総武線の下りで、千葉あたりで落ち合って、競馬で勝ったときに一杯飲ませてもらうのを楽しみにしていたのに。

彼と過ごした13年近くの時間は、元職場も大きく揺れた時期だったが、自分にとっては、もっとも充実した時間だった。

伸びるときに、水もやれず、弱っているときに、力になってやれなくて、ごめんな!

この頃は、いつも、後から気づくことばかりだ。

  

コメント (4)
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