少し前の新聞で、2020年から小学校でプログラムの授業が必修化になるという話を読みました。
小学生から、英語を学び、プログラムも学び、大きくなって働くようになったら、少人数でたくさんの高齢者を支えなければならない。ほんと、子供たちはたいへんです。
小学生から、英語を学び、プログラムも学び、大きくなって働くようになったら、少人数でたくさんの高齢者を支えなければならない。ほんと、子供たちはたいへんです。
たくさんの選択肢を与えて、関心のあるものを実際やってみる機会、幅はあった方がよいのだろうけれど、大人側の論理で”必修化”するのって、ちょっと違うような気もします。
自分も学校教育の中で、英語の授業は受けたけれど、外国の言葉より、毎日の給食の献立に関心があった。実社会でもそれほど必要がなかったこともあり、結局なにも残っていない。
Jack and Betty
this is a pen
恥ずかしながら、これが、”あたしの英語力”のすべてといってもいいです。
Jack and Betty
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恥ずかしながら、これが、”あたしの英語力”のすべてといってもいいです。
生きていくのに必要のない知識は、いらないですね。
いらない、意味のないことにたくさんの時間を費やすのは、短い人生、ちょっともったいないような気がします。
いらない、意味のないことにたくさんの時間を費やすのは、短い人生、ちょっともったいないような気がします。
興味があれば、語学にしても、プログラミングにしても、とても面白いし、奥が深いものだと思います。
必修というのではなく、興味のある子が選択して、実学として、いろいろやってみることが、ほんとは必要じゃないのかなぁ。
必修というのではなく、興味のある子が選択して、実学として、いろいろやってみることが、ほんとは必要じゃないのかなぁ。
この歳になって振り返ると、子供のころ、関心があって熱中したことは、熱が冷めた今も自分の中に残っています。そして、それらは今、自分の時間の中で、とても役に立っています。
プログラムの学習を通じて論理的な考え方を身につけさせる、と新聞に書いてあたけれど、「もし・・・ならばA、違えばB」って考える人ばかりの社会は、なんだか画一的で面白くない。それは、生物の世界ではないですね。
実社会では、あいまいさがとても大事だし、抽象的、一般的なとらえ方が役に立つことも多い。論理的思考より、情緒的感性が生きるときがあったりするから面白いし、感動もあるのだと思う。
実社会では、あいまいさがとても大事だし、抽象的、一般的なとらえ方が役に立つことも多い。論理的思考より、情緒的感性が生きるときがあったりするから面白いし、感動もあるのだと思う。
だいたい、小学校の先生で、自分の得意分野のほかに、授業を英語で行え、プログラミング言語を使いこなせる方が、全国にどれだけいるんだろう。
教える側だって、おかしくなっちゃうかも!
教える側だって、おかしくなっちゃうかも!