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朝鮮戦争休戦60年 ①休戦監視の最前線は

2013-07-31 08:00:01 | 海外ネットワーク
7月28日 NHK海外ネットワーク

太平洋戦争の後 朝鮮半島では南部にアメリカ軍が
北部にソビエト軍が進駐。
1948年 北緯38度線を境にして韓国と北朝鮮がそれぞれ樹立を宣言した。
しかし2年後の1950年6月 武力による朝鮮半島統一を狙った北朝鮮は突如韓国を攻撃。
これが朝鮮戦争の始まりである。
北朝鮮は約2か月でソウルを含む朝鮮半島のほぼ全域を制圧。
これに対し韓国はアメリカ軍を中心とする国連軍とともに攻勢を強め一気に巻き返す。
しかし北朝鮮は中国からの援軍を受け再びソウルを制圧。
北緯38度線付近で一進一退の攻防が繰り広げられた。
1953年7月27日 北朝鮮、中国、国連軍が休戦協定を締結。
韓国は戦闘の継続を主張し休戦協定には署名しなかった。
開戦直後のような大規模な戦闘こそ行われていないものの休戦協定のもと両国はいまだに戦争状態にある。

ソウルから北に約60キロ。
道路沿いに物々しい鉄条網と監視台が見えてくる。
この道の先にあるのが南北の分断の象徴パンムンジョム(板門店)。
ここでは今も両国の兵士がにらみ合いを続けている。
臨戦態勢をとる両国のすぐそばで休戦状態が保たれているかを監視する部隊がある。
朝鮮戦争で一貫して中立の立場をとったスイスとスウェーデンで作る中立国監視委員会である。
休戦協定の締結以来60年にわたって警戒を続けている。
パンムンジョムに拠点を置き現在10人の兵士が駐留している。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「我々の任務は朝鮮半島だけではなく近隣の国々にも影響を及ぼす。
 難しいが非常に重要な任務なのでやりがいを感じている。」
週に1度スイスとスウェーデンの責任者が軍事境界線の上に立つ建物で協議する。
監視活動を通して得た南北の舞台の動きや兵士の人数の増減について情報交換するためである。
協議した内容は休戦協定に基づき国連軍と北朝鮮にそれぞれ提供することになっている。
毎回部屋の北側にあるレターボックスにメモを入れる。
しかし北朝鮮のレターボックスにはメモが大量にたまっていた。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「北朝鮮は1995年以降一度も取りに来ていない。
 いっぱいなのですべて取り除いてからまた入れる。」
北朝鮮は1995年 中立国監視委員会は無意味なものとし委員会との接触を一方的に拒絶。
北朝鮮側と情報交換ができないまま休戦監視を続ける日々が続いている。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「いまも任務は完了していない。
 私ではないがいつか後任の兵士たちが母国に帰り任務完了を報告できる日が来れば嬉しい。」






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