9月14日 おはよう日本
日本で誕生し
一時代を築いた家電製品が
また一つ姿を消そうとしている。
40年前 日本メーカーが世界に先駆けて開発したVHS方式の家庭用ビデオ。
撮影した映像や好きな番組を気軽に楽しむことができるようになり
世界中に普及した。
しかし今年7月
最後まで生産を続けていた国内メーカーが生産を終了。
その歴史に幕を降ろしたのである。
家電量販店では駆け込み需要を見込んで
急きょ売り場を目立つ場所に変更した。
(客)
「寂しい感じはありますけど
使い慣れていたから。」
専門家は“映像の楽しみ方を根本から変えた画期的な製品だった”と振り返る。
(家電製品を研究 道越一郎さん)
「レンタルビデオという新しい業態が出てきて
結構安いお金で
好きな時に借りてきて見ることができる。
昭和の娯楽の形を変えた。」
7月まで都内で唯一VHSビデオの生産を続けていたメーカー。
1983年
後発メーカーとして生産を始めたVHSビデオは大ヒット。
会社の成長を支える主力事業になった。
最終モデルはDVDとの一体型。
去年 海外を中心に75万台を売り上げたが
部品の調達が難しくなり
やむなく生産を終了したという。
(船井電機 佐治成起事業部長)
「生産が終わてしまうことに対して
申し訳ないという気持ちと
これだけ使っていただいているということへの感謝の気持ち。
もう少し続けたかったなっていうのは本当のところです。」
一方 生産中止に戸惑いも広がっている。
東京稲城市の図書館では
映画や教育用の資料など1,800本を超えるVHSテープが所蔵され
誰でも自由に視聴することができる。
利用者は多い日には子どもを中心に30人近くにのぼる。
しかし現在4台あるデッキが壊れるとサービスを停止せざるを得ないと
図書館では考えている。
図書館がVHSをDVDなどに編集することは
法律に触れる恐れがあるからである。
(稲城市立中央図書館 森政裕子さん)
「今後デッキが壊れてしまうと
利用者に貸し出すことができなくなると思います。
せっかくあるものを提供できなくなることはとても残念に思います。」
古いVHSの映像をいつまでも楽しみたい。
そう願う人々が訪れる場所がある。
東京池袋にあるダビング専門店である。
ホームビデオなどの個人の映像を中心に
40台のデッキがフル稼働でDVDにダビングしている。
古いテープの中には劣化したりカビが生えたりしているものが少なくない。
1本1本 手作業で修復する。
VHSテープの生産終了に伴い
注文は約2割増え
ひと月で3,000本近くにのぼる。
(客)
「再生しようと思ったら再生できなかったので
こっちに持ってきました。」
「ビデオが劣化しないうちにDVD化して見られるようにしたいと思いまして。」
大量のテープを持ち込んだ男性がいた。
千葉県からやってきた内堀淳一さん。
5月に亡くなった父親の遺品整理で見つかった50本を超えるテープ。
父は生前 何を記録していたのか。
家族で確かめたい
とダビングを依頼した。
(内堀淳一さん)
「私が見てないものも多いと思いますし
しっかり残しておきたいなと。」
内堀さんの母 文江さんは都内の自宅で1人暮らしをしている。
病気で亡くなった夫の清さんは写真やビデオをとることが大好きだった。
(内堀文江さん)
「無口で頑固で口数が少なくて
でも亡くなってみるとみんな悪いこと忘れます。」
息子家族と離れて暮らす文江さん。
50年以上連れ添った夫に先立たれ
自宅で過ごすことが多くなった。
この日は内堀さんはダビングを終えたDVDを持って
文江さんのもとを久しぶりに訪ねて来た。
清さんが残した映像を見るのは2人とも初めてである。
最初に映ったのは
2年前に家族で近所の神社にお参りに行った時の様子。
清さんは家族の何気ない日常を事細かに記録していた。
「これ親父に感謝だよ。
こんなしっかり記録撮っといてもらった。」
思いがけない映像もあった。
車のドアガラスにカメラを回す清さんの姿が写り込んでいた。
久しぶりに見た母の笑顔。
内堀さんはある提案をした。
「おふくろ これ見ると同居してみたいと思わない?
これを機に内堀家再編成。
それだった喜んでとっとと家を建て替えますけど。」
「じゃあ一部屋 年寄りの部屋を作ってもらって。」
(内堀淳一さん)
「親父がなんでテープを残したのか
なんでテープを撮っていたのかっていうのを
改めて考えさせられるいい機会でした。
本当に財産です。
大きな宝物ですね。」
数々の思い出を刻んできたVHS。
時代が変わるなか
静かにその役割を終えようとしている。