7月12日 国際報道2018
日本とフランスの友好160周年に合わせ
フランスで日本文化を紹介する“ジャポニズム2018”が
各地で美術品の展示や伝統芸能の公演など
7月から来年2月にかけて50以上の企画が行われる。
日本文化を発信するイベントとしては過去最大の規模である。
シャンゼリゼ通りのロスチャイルド館は“ジャポニズム2018”の会場の1つとなっていて
展覧会が開催される。
ロスチャイルド館は19世紀後半に
ジャポニズム(日本の美術)への関心が高まった時代に作られた建物である。
この建物をその時代に立てたロスチャイルド家はヨーロッパ有数の大富豪で
東洋美術の収集家でもあった。
そしてそのジャポニズムは今も続いている。
出版社によると
日本の漫画の海外での売り上げは
フランスがアメリカと常にトップを争っているということである。
その日本のアニメや漫画はフランスで独自の発展を遂げている。
日本のポップカルチャーを紹介するイベント
“ジャパンエキスポ”。
約20年前から開催されているこのイベントは
日本のアニメやマンガを中心に紹介する。
4日間で延べ23万人が集まるフランスの夏の風物詩となった。
(来場者)
「毎年来てるわ!」
「楽しすぎてあっという間に時間が過ぎるよ。」
いまフランスで高まる日本文化熱。
19世紀後半
浮世絵などの日本美術がフランスの画壇に大きな影響を与えたジャポニズムゆかりの場所は
パリ郊外である。
印象派の大家
モネが住んだ自宅の庭。
代表作の「水連」はまさにここで描かれた。
印象派の聖地とも言える場所である。
フランス印象派を代表する画家
クロード・モネ。
モネは日本の浮世絵をコレクションしていたことでも知られている。
収集された浮世絵は231点にのぼる。
モネの作品に見られるあふれる自然の描写や橋などを配置した構図は
浮世絵の影響を受けて描かれたと考えられている。
(クロード・モネ財団代表)
「浮世絵はフランス印象派の画家たちに
自然に対する新たな視点をもたらしました。
細部にこだわり感動を与える浮世絵の手法は
画家たちの心を揺さぶりました。」
そして印象派の画家たちの活躍から1世紀以上経て
“現代のジャポニズム”と言える現象を巻き起こしているのが
日本の漫画やアニメである。
1970年代 日本のアニメがフランスで数多く放送され空前のアニメブームに。
その後 日本のマンガも広く読まれるようになり
漫画やアニメの文化は世代を超えて受け継がれるようになった。
最近では日本でアニメーターになることを夢見る若者も増えているという。
アニメーターの卵の1人 クレア・ロネさん(24)。
「絵を描き始めたきっかけはコナンでした。
子どものころからずっと好きでした。」
漫画を読みたくて日本語を習得。
日本に留学したこともある。
いまはパリでアニメの専門学校に通っている。
卒業後は日本の制作会社で働くことを希望している。
(クレア・ロネさん)
「日本のアニメーターはうまいですから。
絵もキャラクターの動かし方もすごくいいと思います。」
同級生の中にも日本で働きたい友人がいると言う。
クレアさんたちに日本で挑戦したいと思わせる日本アニメの魅力とは何なのか。
「日本のアニメはフランスにもアメリカにもない印象的な作品が多く
本当に素晴らしいです。」
「日本で働くのは夢なので
強い気持ちを持っています。
どんな試練も乗り越えられると思います。」
(クレア・ロネさん)
「私はまだ絵がうまくないから絵の描き方をもっと磨きたい。
チャレンジとして行きたいです。
挑戦してみたいです。」
一方 マンガの世界では
今年特に注目されているのがフランス人が描いた日本風マンガ
“マンフラ”。
(来場者)
「“マンフラ”はここ1年で150冊くらい集めました。」
マンガフランセ。
略して“マンフラ”。
作画もストーリーも全てフランス製のマンガである。
フランスで伝統的に描かれてきたマンガのスタイルとは
コマ割りの手法や表現方法が明らかに違っている。
日本のマンガがフランス人の感性と融合し
新たなマンガ文化を生み出したのである。
(マンフラの出版社 社長)
「フランス人が“マンフラ”を作り
それが大成功しています。
マンフラ市場はすでに相当な規模になっています。」
いま最も人気のあるマンフラ作家の1人
トニー・ヴァレントさん。
トニーさんの代表作「ラディアン」。
見習い魔法使いの成長の物語である。
フランスマンガ界では異例の20万部売れた。
子どものころから日本のマンガに慣れ親しんできたトニーさんは
表現する手段としてマンフラを選ぶのは必然だったと言う。
(マンフラ作家 トニー・ヴァレントさん)
「私にとってマンガは日本のものではなく
すでにフランスに存在していたものなのです。
マンフラを描くことは私にとってとても自然なことでした。」
そしてトニーさんの「ラディアン」は日本でアニメ化され
10月から放送されることとなった。
(マンフラ作家 トニー・ヴァレントさん)
「アニメ化されると聞いてとてもうれしかったです。
アニメ化の話は最初 信じられませんでした。
「ラディアン」は外国に進出した唯一のマンフラですが
これをきっかけに世界に広がってほしいです。」
今回の展覧会ではフランス人の作品も紹介されている。
ポール・ゴーギャンも浮世絵の影響を受けている。
ただこれで終わらないのが今回の展覧会である。
“日本のゴーギャン”と言われた田中一村(1908-1977)の作品がとなりの部屋に飾られている。
このように日本とフランスの美意識の響き合いを知ることができる。
「深みへー日本の美意識を求めてー」というタイトルになっている。
一村の作品が海外で展示されるのは初めてということだが
奄美に移り住みんだことによって
南の島で大きく作風が変わったというところまでゴーギャンによく似ている。
19世紀後半の日本とフランスの交流が始まったばかりの頃に
日本人の人々の暮らしの中に火を見い出したフランス人がいる。
ジャポニズム2018に合わせてフランス中部リヨンで行われている展示会。
テーマは“日本の祭りや風習からうかがえる日本人の宗教感”である。
会場でひときわ目を引く千手観音像。
日本でその姿に魅せられたフランス人が100年以上前に購入し持ち帰ったものである。
像を持ち帰ったのはフランス人の実業家
エミール・ギメ(1836-1918)である。
(コンフリュアンス博物館 デルドリ・エモンスさん)
「ギメは研究者ではありませんでしたが
日本に対する情熱がありました。」
ギメはどのような思いで日本の美術品を収集したのか。
コレクションの中心を占めるのが日本の仏教美術である。
ひ孫のユベール・ギメさん。
ギメはその芸術的な価値とともに
背景にある日本の文化を紹介したかったのだと言う。
(ユベール・ギメさん)
「ギメにとって美術品は日本人の考えを伝える手段でした。
作品の背景を伝え
人々の見識を広げることを重視したのです。」
1876年(明治9年)日本を訪れたギメ。
2か月余の滞在で京都や日光などをまわる。
ギメは旅のことを本にまとめている。
去年11月 パリの出版社が復刻させた旅行記である。
「日本散策」エミール・ギメ著。
書かれているのは開国して間もない当時の日本の姿である。
フランスから来たギメは
日本人にとってなんでもない日常の風景に心を奪われる。
炊かれた米はまばゆいばかりの白さで
あたかも雪を彫り出しているようだ
ギメは日本人の素朴な暮らしに息づく「美」を発見したのである。
(ユベール・ギメさん)
「ギメは自然を畏怖する日本人の姿や
彼らの飾らない暮らしぶり
そして深い信仰心などに驚嘆しました。
西洋人は自分たちの価値観を押し付けがちですが
ギメは人々の暮らしを先入観なしに敬意を持って見つめようとしたのです。」
帰国後 ギメは持ち帰った仏像などを展示するために
ギメ東洋美術館を創設する。
建物の中心には図書館を設置。
美術品を楽しむだけでなくその背景を知ってもらうのが狙いだった。
(ギメ東洋美術館 ミシェル・モキュエールさん)
「美術品はこの美術館の一部にすぎません。
この図書館が収蔵する“知”こそがもう1つの重要な要素なのです。」
ギメが収集したのは美術品にとどまらない。
ギメは美術館に和室を設置する。
日本の文化を肌で感じてほしいという思いからである。
(ユベール・ギメさん)
「ギメは単に珍しい美術品を収集したのではなく
日本の文化を伝えるうえでじゅうようなものを選んだのです。
今後も大切にしていきたいです。」
暮らしに息づく日本美術の奥深さを伝えようとしたギメ。
その精神は今もフランスの人々に受け継がれている。