7月17日 キャッチ!ワールドEYES
モーツァルトやベートーベンといった著名な音楽家の活躍の舞台となったウィーン。
いまこの町で
ナチスドイツ時代に迫害を受け未公開となっていたユダヤ人の音楽に光をあてる試みが行われている。
音楽の都ウィーン。
今年5月
かつてウィーンを支配したハプスブルグ家にゆかりの王宮で
ひとりの作曲家のコンサートが開かれた。
アメリカ カリフォルニア州に住むウォルター・アーレンさん(97)。
高齢のため目が不自由だが
家族に付き添われウィーンを訪れた。
演奏されたのはアーレンさんが17歳のときに作った楽曲。
♪ 人はいかなるといでも寛容であり続けるべきだ
メッセージ性の楽曲に観客は心を動かされていた。
(観客)
「彼の音楽はすばらしいわ。」
「数十年後
百年後まで絶えることなく演奏され続けてほしい音楽だと思います。」
アーレンさんはなぜ今になって注目を集めるのか。
その理由はかつてオーストリアを支配したナチスドイツにある。
アーレンさんはウィーンの裕福なユダヤ人家庭の長男に生まれ
幼いころから作曲をするほど音楽が好きだった。
ところが17歳のときアーレンさんの人生が一変する。
1938年
オーストリアがナチス・ドイツに併合され
ユダヤ人への激しい迫害が始まったのである。
(作曲家 ウォルター・アーレンさん)
「あれはたしか午前2時でした。
銃を持った兵士が急にアパートに入ってきて
父親を強引に連行していったのです。」
アーレンさん一家はすべての財産を没収され
父親も強制収容所へ送られた。
“長男だけでもなんとか生き延びてほしい”
大黒柱を失った家族はアーレンさんだけをアメリカに亡命させた。
母親はその後 将来を悲観して自殺。
アーレンさんは罪悪感にさいなまれうつ病になり
毎日自殺を考えたと言う。
このとき心の支えとしたのが作曲だった。
工場での仕事の合間に時間を見つけて作曲を続けたのである。
(作曲家 ウォルター・アーレンさん)
「作曲しないと病気になりそうでした。
自分を癒すためだったのです。」
当時の楽曲を発掘しウィーンの人々に紹介した
ウィーン国立音楽大学のゲラルド・グルーバー教授。
(ウィーン国立音楽大学 ゲラルド・グルーバー教授)
「アーレンさんの音楽を見つけたときは
長い模索のあと誰も知らないところで“音楽の新大陸”を発見した気持ちでした。」
グルーバー教授は
ナチス・ドイツ時代に亡命したり強制収容所に送られて殺害されてたりした
ユダヤ人音楽家の楽曲を発掘して後世に伝える活動をしている。
20世紀を代表する作曲家の1人 グスタフ・マーラー(1860-1911)をはじめ
ユダヤ人の音楽家はクラッシック音楽の歴史において大きな役割をはたしてきた。
しかしナチスはユダヤ人の音楽を「劣等音楽」だとして徹底的に排斥し
演奏を禁じたのである。
(ウィーン国立音楽大学 ゲラルド・グルーバー教授)
「ヨーロッパの中心部で
ナチスが文化を破壊し“大きな損失”が生じました。
当時沈黙させられた楽曲や音楽家を発掘し
コンサートホールや劇場に戻さないとナチスに負けたことになってしまいます。」
グルーバー教授によって発表の場を得たアーレンさんの楽曲は
発表されるたびに大きな注目を集めている。
この日行われたコンサートで演奏されたのは
アーレンさんが1950年代に作曲をはじめ
30年かけて完成させた大作。
ユダヤ人の恋愛をテーマにしたという聖書にある「ソロモンの雅歌」を取り入れた交響曲である。
「The Songu of Songus」作曲 ウォルター・アーレン
♪ 私は大きな喜びを持って
彼の陰にすわった
彼の与える実は
わたしの口に甘かった
“音楽の都ウィーンで作曲家として活動したい”
幼いころのアーレンさんの夢は戦後70年以上を経てようやく叶った。
(作曲家 ウォルター・アーレンさん)「
「この曲が人前で演奏されるのは初めてだったので
とてもうれしかったです。
人生で一度きりの機会ですから。
私の曲が何らかの形で後世の人々のために残ればと思います。
“あの時代”を忘れずに済みますから。」