7月16日 編集手帳
ロシアの作家ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に、
こんなくだりがある。
<現実主義者にあっては、
信仰が奇蹟(きせき)から生れるのではなく、
奇蹟が信仰から生れるのである>(原卓也訳)
主人公の青年が現実主義者でありながら奇跡を信じていたことを説明した箇所だが、
現実と奇跡の関係に文豪は一方ならぬ見識を持っていたようだ。
サッカーのワールドカップに熱狂した今夏、
奇跡という言葉によく突き当たった。
日本の西野朗監督はコロンビア打倒を「小さな奇跡」と表現していたし、
作家の母国が8強入りした粘りも奇跡的だった。
信じることから、
それは始まったのかもしれない。
とはいえ、
裏付けのある“奇跡”もあったようだ。
番狂わせに見えても、
裏側には綿密なスカウティング(分析)があった。
今後のチーム作りでも、
勝因や敗因を冷静に読み解く作業は不可欠だ。
それこそ人工知能(AI)が、
膨大なデータから改善点を割り出すだろう。
だが何かを信じ、
想定を超えた出来事に出合い、
それを奇跡と思えるのは、
AIにはない人間の特権だろう。
まずは日本の4年後を信じるとしよう