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被災地励ます ふしぎな“お知らせ”

2019-05-01 07:00:00 | 報道/ニュース

4月5日 おはよう日本


去年7月の豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町。
その真備町で毎月のように
飲食店などが再開したことを伝える手書きのお知らせが街のあちらこちらに届けられている。
しかしこのお知らせは誰が作っているのかわからない。

倉敷市真備町を歩けば
被災した街のあちこちでそのお知らせを目にする。
地元に愛される洋菓子店が再開したこと。
店の再建を前に移動販売を続ける喫茶店。
再開した病院の連絡先。
復興への歩みが手書きでつづられている。
街に届き始めたのは
被災からおよそ2か月後のことだった。
「1か月に2回ぐらい届いているんじゃないかと思います。」
毎月更新される情報はどこから得ているのか。
再開の日付が記されていたハンバーグ店を訪ねた。
(ハンバーグ店 岩田さん)
「外に“オープンします”と看板を出していたんですけど
 それで前を通られたときとか
 たぶん知って書いていただけたのかな。
 すごくうれしかったです。」
お知らせは街を歩き回って作られているようだった。
送り主は誰なのか。
「お名前がエプロンばあばさんとは出ているんですが。」
「どこに住んでいる方かはちょっと分からないんです。」
「みんなに聞いているんだけど
 どなたがしているかは分からないらしいです。」
分かっているのはエプロンばあばという名前のみ。
その正体は謎に包まれていた。
姿を隠す作者への思いはSNSでも広がっていた。
”エプロンばあさんから手紙が届きました
 ありがとうございます”
“エプロンばあばの見た目のお知らせ2月中旬号が届きました
 今回でNo.14ですね
 続ける事って大変な事です
 感謝感謝です”
投函されたお知らせにメッセージが添えられたことも。
オープン待ってます。
“手に取ったとき思わず涙がこぼれました”
お知らせに町の景色を重ね合わせる人にも出会った。
真備町で45年間暮らし
今は地元で郵便局長を務める山崎さん。
掲示板にお知らせを貼ったところ
「私が貼ったのはたぶん10月分だったんですけど
 知らない間にね11月分になったり
 またパッと見たら今度は12月分になってたりとか。
 エプロンばあばさんかもしれないんですけど
 貼ってくださっているのがなんかすごくうれしくて
 あったかいなって。」
山崎さんは真備町の成長とともに歩んできた。
「水島工業地帯にお勤めの方のベッドタウンとして真備町が栄えていったんですよね。
 住みやすい街でいいなとか
 子育てするなら本当にいい街だよねとか思いながらね
 とっても便利だったんですよ。」
賑やかだった街は豪雨で色を失った。
「真っ茶色。
 全部が真っ茶色。
 道路も真っ茶色。
 すべてが真っ茶色で
 橋を通るたびに悲しい思いをした。」
街を1歩出ると
「茶色の世界から普通な色の世界。
 幸せそうな普通のころ。
 暮らしのある世界になるんですよね。
 こんなに違うんだって悲しかったですね。」
お知らせを見るたび街が少しずつ色を取り戻しているように感じた。
「元気だそうやって思いを発信してくださっているみたいで
 とっても励みになります。」
「またやっぱり人が集まってきて
 またにぎやかな街になるのを見届けていきたいな。」
お知らせをたどる中でエプロンばあばさんと近しい人にも出会った。
しかしみんな揃って口をつぐんだ。
ばあばさんのことで教えてもらったのはだた1つ。
彼女は褒められたいわけでも目立ちたいわけでもない。
ただ真備町のためにひとり
自分ができることをしているだけなのだということを。



 

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