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琉球王国時代からのみそを守る

2019-05-07 07:00:00 | 報道/ニュース

4月11日 おはよう日本


沖縄県内のラーメン店である味噌ラーメンの販売が始まった。
使われているみそは琉球王国時代から続く伝統のみそである。
(客)
「みその味が本当にまろやかで風味があって最高です。」
みそは160余前から作られてきた。
地下水が豊富に湧き出る首里地区で誕生。
王国時代には王家御用達のみそだった。
伝統の味を守り続けている玉那覇さん(83)。
代々続くみそ作りの家に生まれた玉那覇さん。
幼い頃から老舗への誇りを持っていた。
「使命感はありましたね 小さい頃から。
 継続しなきゃいかんなって
 うちのおふくろもそうだったし
 引き継いでやらんといかんなと。」
玉那覇さんのみその決め手は原料の“こうじ”。
亜熱帯気候の沖縄では自然に発酵が促されるため
こうじ本来のうまみが引き出される。
しかし創業からの伝統の味を危機が襲う。
多くの住民を巻き込んだ沖縄戦である。
玉那覇さんの住む首里の町も焼け野原となった。
「この辺は全部真っ白。
 建物もないもんですから。」
工場は崩壊したが創業時から使ってきたみそを熟成させる“たる”は奇跡的に難を逃れる。
「たるごと残ったんです。
 それを使っています。」
戦後 玉那覇さんの家族は被害を受けた工場を再建。
こうじ菌の残ったたるで伝統の味を復活させた。
みそ作りは軌道に乗り
30代になった玉那覇さんも稼業を手伝うようになった。
その矢先 再び試練が襲う。
沖縄の本土復帰である。
通貨はドルから円に変わり
円高ドル安に。
みその原料費が高くつき
さらに県外から進出した安いみそとの競争にさらされる。
(玉那覇さん)
「沖縄のみそは作って売るけど高いですから
 安いの安いのって消費者は流れていく。
 ほとんどやめましたね。
 最後まで残ったのはうちだけですよ。」
同じ老舗が倒産していくなか玉那覇さんは打って出る。
原料の大豆をこれまでの3倍蒸すことができる大型の蒸し器を購入。
機械化によって生産効率を上げ
危機を乗り越えたのである。
2度の困難を盛り超えたみそは今 新たな広がりを見せ始めている。
玉那覇さんのみそを洋風料理やデザートなどにアレンジして提供する若手経営者の店も出てきた。
(味噌めしや まるたま)
「このみそはすごくおいしいなと思ってて
 それをもっと多くの人に知ってほしい。」
さらに海外からも。
沖縄に来た外国人観光客の口コミやSNSで玉那覇さんのみそを知り
工場に直接買いに来る人まで現れた。
国境を超えて愛されるようになったみそ。
玉那覇さんは守り続けていく決意を強めている。
「伝統の味
 ちょうど沖縄はいろいろあった時代ですから
 それが残っているわけだから
 誇りに思う。
 それを引き継いでいく。
 私の責任を果たしたいと思っています。」



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