4月17日 読売新聞「編集手帳」
街を歩く人がまばらになった。
東京・銀座の大通りを高い場所から映す映像を見て、
思い出した井上ひさしさんの文章がある。
<銀座のほどのよい混み具合は、
理想に近い…
ぶらぶら歩きがたのしいのは、
歩いている人間がたがいに見たり、
見られたりするせいではないでしょうか。
とくに人間を行き交いざまにちらっと見るたのしみを、
私は人間の基本的娯楽である、
と信じている>
(「銀座礼讃」、中公文庫『わが蒸発始末記』所収)
楽しく闊歩(かっぽ)している人を見れば、
なぜか自分も心がはずむ――
そんな気持ちだろうか。
平時には気づかないささやかな娯楽がほかにも多くあろう。
幼稚園や小学校から聞こえてくる歓声や歌声がそうだろうし、
電車で席を譲った時に返ってくるお年寄りの笑顔もそれかもしれない。
思えば、
見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニケーションが以前はあった。
感染症の拡大が閉じ込めているものは人々の身体だけではあるまい。
あれも戻った、
これも戻ったと、
平時の小さな喜びを再発見する日を待とう。
しばらくは耐えながら。
ほどよい人混みのぶらぶら歩きが恋しい。