鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

立石 3 

2006年10月03日 | 東山道~鎌倉
同じ地点より反対側の鎌倉向きに(東)撮った写真です。
両側の土塁(土壁)の状態が前の写真より判り易いと思いますが、、、
平らな処に畑を作り、、土塁の場所は、そのままにしてあります。
両土塁間12~15mは家を建てたり、畑を作るに適当な幅でもあります。
土塁は、200mにワタリ直線的に存在する。

段々、、鎌倉に近づいていますが、、、
鎌倉の山を越え市内に入る為の、巨大な道を作る事が出来たのか?
そんな、、、謎解きです。

道幅9mが、何故巨大か?
今の車社会しか知らない人には理解出来ないでしょうが、、、
戦後間もない、自動車が自家用車として使われなかった時代、、、
大半の道は荷車を通せれば、立派な道だったのです。
荷車は大八車が一般的ですが、畳一枚程度を運ぶ幅と長さです。
昔の軽4トラックも畳を運べる規格でした。車幅1200ミリ程度です。
そんな時代に、バスが一台通れば、他の地域をツナグ街道です。
それでは、バスとバスがすれ違えない!
チャンとすれ違う道幅を確保したポイントを作って有ったのです。
遙か彼方に小さく見える対向するバスを延々そのポイントで待っていたのです。

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立石 2

2006年10月03日 | 東山道~鎌倉
「水道道路(明治の地図)その3」の境川を挟んだ立石対岸に赤いラインで示した場所!
「鎌倉街道?これは、東山道武蔵路では?」と「クランク状態を無視して直進した場所」に共通の道幅、坂の傾斜、土手の在る場所です。

写真は道路遺構の真ん中より西(境川)に向けた写真。
右側の人一人通れる幅の道は、土手上を通る直線的な現行の道。
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