鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉「謎の大堀切」

2006年11月01日 | 切通し
鎌倉に大堀切があると言われています。
攻めて来た敵を阻止する為に堀をつくります。
人工的に堀を作る事を指して、堀切と言います。
攻めて来る敵を妨害するのが堀切で、石垣の有る城は水を引いて堀にします。

処が、この大堀切は、
鎌倉市内と市外を分ける城壁の山に対し、城壁の山を断ち切る様に掘り切られている!!
それも、幅10mは有ると思われる幅です。

考えて欲しい理屈は、
頼朝は都を造るとき守りに強固な、三方山に囲まれた鎌倉を選んだ。
山は城壁に例えられ、七口は、城門に例えられる。
その城壁に10mもある穴を故意に開けたら、、、
喜ぶのは鎌倉を攻める敵です。
大堀切はその様な構造をしているのです。

通常の敵の進入を妨害する堀とは目的が違うというより、堀の役目を果たしていない。
よって、堀切とは呼ぶのは間違えと言えます。

それじゃ何かと尋ねたら、、、
この土地に、鎌倉以前が存在しないなんて、、考えたら鎌倉を世界遺産にしよう「武士の都鎌倉」で考える理屈と同じです。
鎌倉時代以前の古代東海道や、東山道武蔵路の延長「東山道相模路」の遺構である「切通し」と推察するのです!
この切通しの幅や、鎌倉に入り込む方向から想定すれば、武蔵国府、座間、海老名、想定伝路水道道、立石、関谷、玉縄城脇を経由した、、武蔵大路の痕跡です。(この時点では、笠間中央公園道路遺構や、ゆめが丘脇の中の宮北遺跡の存在を知らない状態でした。2014年加筆)
なんと、、、幅は、朝比奈峠より広いのです。
場所は、海蔵寺の裏にあります。

写真は海蔵寺より、裏山の切通し跡を写したモノです。
赤矢印の処が切通し跡!
鎌倉幕府の手で土橋が作られたと考えられているが、、、
コメント
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