そんなに強固な城に弱点は有ったのか?
それが、、有りなんで稲村路が通れたのです。
その上で、干潟が加勢したと考えられるのです。
その弱点とは、、
絶対的な守備の優位を追求するあまり、、峯の最上部に兵を配置し、平地より峯に上がる迄の間に曲輪(平地の敵を攻撃できる高さに平場を作る)が無く、後世では曲輪を作って平地の敵を攻撃しますが、守備位置から平地を攻撃出来ない!
守備位置の峯の位置が高くて、平地の敵兵を攻撃するには距離が遠すぎる構造です。
その為、極楽寺切通しの偵察に針摺橋で睨み合いが成り立ったと考えるのです。
その結果、
> 太平記(国民文庫)より抜粋<http://www.j-texts.com/taihei/thkm2.html>
> ○稲村崎成干潟事
> 二十一日の夜半許に、片瀬・腰越を打廻り、極楽寺坂へ打莅給ふ。
> 明行月に敵の陣を見給へば、北は切通まで山高く路嶮きに、木戸を誘へ垣楯
> を掻て、数万の兵陣を双べて並居たり。南は稲村崎にて
これは、稲村の針摺橋辺りまで、様子見に入り込んでも攻撃を受けなかった事を示します。
針摺橋より、南の道を稲村崎に向かう兵士に攻撃しても、切岸が高すぎて矢なら避ける余裕のある距離と道幅がある事を理解できるでしょう。
写真は、
稲村ガ埼の陣鐘の峰西側で、切岸が在り、平地より峰には登れない。峰より平地には距離があり、矢も狙い撃ち出来る距離ではない。
ご覧の様に、谷戸はU字状の平場と切岸から成っており、峰の上はナダラカですが、霊仙山では、更に急で高い切岸となり、その傾斜は峰の上まで続く。
それが、、有りなんで稲村路が通れたのです。
その上で、干潟が加勢したと考えられるのです。
その弱点とは、、
絶対的な守備の優位を追求するあまり、、峯の最上部に兵を配置し、平地より峯に上がる迄の間に曲輪(平地の敵を攻撃できる高さに平場を作る)が無く、後世では曲輪を作って平地の敵を攻撃しますが、守備位置から平地を攻撃出来ない!
守備位置の峯の位置が高くて、平地の敵兵を攻撃するには距離が遠すぎる構造です。
その為、極楽寺切通しの偵察に針摺橋で睨み合いが成り立ったと考えるのです。
その結果、
> 太平記(国民文庫)より抜粋<http://www.j-texts.com/taihei/thkm2.html>
> ○稲村崎成干潟事
> 二十一日の夜半許に、片瀬・腰越を打廻り、極楽寺坂へ打莅給ふ。
> 明行月に敵の陣を見給へば、北は切通まで山高く路嶮きに、木戸を誘へ垣楯
> を掻て、数万の兵陣を双べて並居たり。南は稲村崎にて
これは、稲村の針摺橋辺りまで、様子見に入り込んでも攻撃を受けなかった事を示します。
針摺橋より、南の道を稲村崎に向かう兵士に攻撃しても、切岸が高すぎて矢なら避ける余裕のある距離と道幅がある事を理解できるでしょう。
写真は、
稲村ガ埼の陣鐘の峰西側で、切岸が在り、平地より峰には登れない。峰より平地には距離があり、矢も狙い撃ち出来る距離ではない。
ご覧の様に、谷戸はU字状の平場と切岸から成っており、峰の上はナダラカですが、霊仙山では、更に急で高い切岸となり、その傾斜は峰の上まで続く。