鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中に東海道 序 10

2013年05月23日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
十里木峠の最下部を通過しない理由は、、、
何故でしょうか?
在るとすれば、
行く(又は戻る)方向を明確に確認でき早く行く為に。屈曲する峠で、蒲原方向を直線で確認できる場所である。
水が出やすい場所を避ける。
十里木峠より足柄経路を直線にしなかった理由は、
道の近辺に宝永火山に連なる噴火列口が近くにあるのを避ける。
きっと、ひとつの理由ではなく、複合された結果と考えるのです。

上のGoogleアース画像の様に、、不必要と感じるほどの直線です。
巨視的には、富士の裾野の平坦な場所ですが、微視的には現代の自衛隊が道を作った様に山と谷が在り、地形の凹凸を避けて無理無く作れば曲線になる成る道を、強引に直線で作ったと思うのです。
周囲の道路と比較すれば、その直線の異常は理解できると思います。

結果、、、何が判るのか??
取り敢えずは「大化の改新」に書かれた東海道の可能性が考えられる事と、
この直線遺構が、十里木峠より足柄峠方向へ向かうと成れば、、、道として否定する事が困難に成るのでやはり、、大化の改新時代の東海道と考えるわけです。
更に足柄峠の古代道の考察ができるのです。
足柄峠は、金太郎伝説と伴に幾多の伝承があります。
でもそれは、、、古くても平安時代の伝承の道で、現在JR足柄駅の在る竹之下を通るが、足柄峠の平安以前の道である根拠にはならない。大化の改新の東海道は、竹之下に向かうか?っという課題です。
では「大化の改新」駅路は何処を通ったのか?
「駅路は竹之下では無く、伝承の無い場所を通った!」
この直線道路遺構を根拠に、其処まで語らせよう! っという考えです。

注:十里木峠東の火口もどきは、、
笛塚、岡野山、宮塚、南宮塚、麹ヶ塚、六郎塚、竜爪塚、上高塚、横塚、一木塚、他名称不明の 側火山らしきものが在り大化の改新当時に火山活動をしていたら、、当然迂回する訳ですが、これは憶測の部類でしょうか、、
<>ttp://www.yamareco.com/modules/diary/31995-detail-37597>ヤマレコより引用
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする