鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

富士山中 に東海道 十里木 3

2013年06月13日 | 古東海道 足柄、箱根、富士
先ずは、
「5月19日 廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也(日本紀略)」
の項目に注目をしてください。
これを、火山灰が道を塞いだのか、溶岩流が道を塞いだのか、、、解釈の問題です。
書き直せば「足柄路を廃し箱根路を開く。富士の焼砕石が道を塞いだ為」であり、
足柄路を塞いだのは、火山灰ではなく「焼砕石が道を塞いだ為」と書いてある。

延喜式の東海道を考えた場合、三島経由ですから噴火の影響は御殿場辺りが影響大です。
当時の溶岩流跡が御殿場に無いので、古代道の研究家は足柄路が火山灰で路を塞がれたと想像した、、、のでは?
大化の東海道経路を十里木経由とすれば、、
十里木峠周辺には、幾多の有名、無名で噴火歴不詳の側火山が在り、そ街道に対する影響を否定できない。

次回は、駅路を曲げたり、塞いだ、、、噴火の具体的な証拠の話です、、
火山専門家でなく門外漢の 洞窟探検家のデーターです。
しかし、示されたデーターは納得の行く判りやすいモノです。

図は、十里木峠より足柄に向いています。
水色の「大化」と書いたマークは、従来よりの直線道路遺構の場所です。
赤色の小さな3個の印の間に道らしき痕跡があり、これが次の問題です。
大化の痕跡の様にハッキリとした直線では無いが、大局的には直線です。
その上、複数の直線がが絡み合い、ロープの様です。
大化の話と別な 小規模の道が、十里木から足柄に向い数本の道が絡み合った状態で存在したと考えるのです。
大和朝廷の強権で作った直線の道と、弱い権力で作った道の 地形に合わせ直線的に造った違いを感じます。
平安、鎌倉、江戸の時代まで、、何度も作り変えて作った痕跡ではないかと考える。

十里木から、折れる事無く直線的に足柄に向け造られています。 っが、この道と「大化の改新駅路」の行き着く先が微妙に違うのです、大化の改新駅路は、竹之下ではなく、伝承の無い場所に方向を向けている。どのルートで足柄峠を登ったのか?と言う問題です。
コメント (2)
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