山田和著「知られざる魯山人」より
壁面の滑らかさや路面の状態から、昭和3年に車を通すために拡張された臥龍峡と考えられる。
> ○台峯の先端、臥龍峡の北。
> Googleの写真で見る限りなくなっているが先端の山頂部に横須賀水道の戦前期の
> 施設があって水道山と呼ばれていた。
> 戦時期は高射砲が設置され南西側の斜面にはかなり大きい防空壕4~5があった。
> 北東側の旧自動車学校側の斜面ははっきり崖が見えていた。記憶は曖昧だが看板
> がつる下げられていた。この斜面がいつ開削されたのか?
戦前には水道施設ですか!
一般人の水道は、この時代には無いに等しい話ですから横須賀に向かう水道なのでしょうか?
若しくは大船周囲の工業関係の水道なのでしょうか??
戦後は、
USA撮影の戦争直後空中写真に高射砲陣地の丸い窪地の映像が映っています。
> 北東側の旧自動車学校側の斜面ははっきり崖が見えていた
これは、鎌倉時代ではなく後の時代と思います。鎌倉時代の崖は、猫が爪で引っ掻いたような、上から見ると鋸歯状のスジが入った様な斜面に成ります。
温暖化も含め、植生が変わりあちこちの崖が緑に覆われていく。
○天神山と台峯北部の間の小山
明治期の地図では残っている。戦前(S16年頃?)の富士飛行機の工場建設
で崩されて今はマンションだが、一部に高い地点が残っている。
戦記には出てこないか。天神山と同様な砦であったのか?
今となっては資料も無いし、想像するのも困難な状態です。
当時、山を消し去る事は大事業で有ったハズです。
何かコンクリート素材採掘の様な鉱業が有ったと思えるのですが、、
1930年の地図では、京急有料道路が有るが、未だ切削されてはいない。
『笠間中央公園から芝浦エンジニアりングよりヤマダ電機迄』の山は切削されています。