上は、明治の地図で青丸が切通の有る場所。
古代東海道の痕跡探し! ですが、
絶対的な痕跡の根拠は、目的地へ向けた直線的道路と、道路勾配と、道路幅に在ります。
文献や伝承がホトンド無いために現状の地形や上記の痕跡が頼りに成ります。
足柄路が富士噴火で不通になり、箱根路を急造したと路と思われる石垣城経由の道は細かったが、
峰を通る直線的でナダラカな状態はサスガに官道とおもえます。
地図の切通道は、足柄を越える正規な東海道と考えられる路です。
臨時に造られた「箱根路」とその延長に小田原、国府津、大磯周りで平塚へ造られたで有ろう道が混乱している様子です。
時代による変遷、ルートによる変遷、国府や国分寺に関わる変遷等、、
詳細や根拠が曖昧なママに、憶測ばかりが先行し、学説として発表したとなれば、メンツまで絡む。
これらが、重要な道路遺構が存在しても無視する失態を犯したのでしょう。
古代史最大の興味は 邪馬台国の比定地探しが定番ですが、詳細や根拠が曖昧な説が乱立しています。
それとは別に、古代東海道は道路遺構が在る訳で、安易な学説を唱えるべきではない。
半端な学説は道路遺構の発掘で可否が明確に
される運命に在る。
あくまでも、科学的な態度で研究して欲しいのです。
どんな研究も批判されて当たり前!
批判に耐えられる研究か?否か??
そんな事と思います。
現地はどの様な状況ででしょうか、、、